ここから駆け出して しんしんと雪が降っている。 この地――ウィーンで雪が降ることは、さして珍しくはない。 けれど、雪を見ると思い出してしまう。 クリスマスイヴの夜を――。 「……香穂子…」 吐息を吐き出すようにさりげなく、口をついて出たのは、愛しい彼女の名前。 日本にいる彼女は、今頃普通科から音楽科に編入するための勉強を、一生懸命しているだろう。 彼女と想いを交わすまでは、ここで出来る限り勉強したいと考えていた。それは今でも変わらない。 だが時々、思うことがある。 ここから駆け出して、君に逢いに行けたら その思いを王崎はかぶりを振って追いやった。 逢いに行くとしても、目の前のことを全て片付けた後ではくては、全てが無意味になってしまう。 もう一度さらおうと弓を弦に当てた時だった。 リーン、とアパートの呼び鈴が鳴った。 時刻は夕方で、雪も積ってきているのに誰だろう。 先程まで一緒に弾いていた友人が忘れ物でもしていったのだろうか。 不思議に思いながらも、王崎は玄関の扉を開けた。 「こんばんは、信武さん」 「香穂…子?」 驚きで王崎の声は掠れていた。 扉を開けたら逢いたいと思っていた人が立っているのだ。驚愕しないはずがない。 「ごめんなさい。驚きましたよね?」 香穂子が申し訳なさそうな顔で、上目遣いに王崎を見る。 「確かに驚いた。けど、嬉しいよ」 王崎が優しく微笑むと、香穂子は頬を緩めた。 細い肩についている雪を目に留めて、王崎は手でそれを払った。 「頬が冷たくなってるね。中に入って」 香穂子の頬にそっと触れてから、華奢な手を引いて部屋の中に招いた。 「……弾いているところ、邪魔しちゃいましたね」 視線を追うと、テーブルに置いたヴァイオリンに注がれていた。 連絡すればよかったですね、と香穂子が眉を曇らせる。 「そんなことないよ。実を言うと…君のことを考えていたんだ」 「えっ?」 驚きに瞳を瞬く香穂子に、王崎は目元を赤く染めた。 「香穂子に逢いたいなって。だから、逢いに来てくれて嬉しいよ」 「信武さん…」 香穂子は白い頬を赤く染めて、嬉しそうに微笑んだ。 そしてコートを脱ぐことも忘れて、王崎にぎゅっと抱きついた。 「ずっと逢いたかったです」 耳元で囁かれた言葉に、王崎は「うん」と答えて。 華奢な身体を抱きしめた。 END 【配布元・あまいきば】 とめられない、5のお題「04.ここから駆け出して」 BACK |