勝利の女神はどちらに微笑む




 風薫る五月のと或る日。
 白い雲が浮かんだ青空の下、三番組は京市中を巡察していた。
 このところ多数の長州者が京へ潜伏しているとの情報が入り、新選組は念入りに市内を見回っている。半刻程前に長州藩の者を二人捕縛したが、屯所への報告では京へ入った不逞浪士は百人をくだらないというので、気が抜けない。
 天の陽が西へ傾き始めた頃、あと僅かで屯所に着くという所で斉藤は足を止めた。
 突然立ち止まった組長を不思議に思いながらも、同行している隊士達は倣って足を止める。
「斉藤組長、どうかしましたか?」
 隊士達の心の内を代弁するかのように、斉藤のすぐ近くにいる隊士が尋ねた。
 だが斉藤は答えず、伍長を呼んだ。
「悪いが、こいつらを連れて先に屯所へ戻ってくれるか。所用が済んだら俺も屯所へ戻る」
 普段から無口な斉藤は、指示を出す時にもあまり表情に変化がない。斉藤の下についた当初は表情から何も読み取れなくて戸惑ったが、表情にあまり変化がないのが斉藤一という人物とわかってからは、気にしなくなった。
 部下である伍長は所用とは何か、などど野暮な事は聞かず是と頷いた。
「頼んだぞ」
 斉藤から絶対の信頼の言葉をかけられた伍長は「はい」と返事をして、平隊士をまとめて屯所への道を歩き出した。
 ほどなくして、三番組隊士達は二軒先の角を曲がり、姿が見えなくなった。
 斉藤は隊士達の姿が見えなくなってから、わずかに来た道を戻った。道を戻るに連れ、威勢のいい声が聞こえる。道行く人を呼び込む和菓子屋の主と思しき者の声だ。
 客寄せをしている店の前で、斉藤は足を止めた。
「いらっしゃい、旦那」
 商売人といった風情の男が斉藤へ声を掛けた。にこにこと人のよさそうな笑みはくったくなく、嫌味を感じない笑顔だ。
 声を掛けられた斉藤は、さてどうしたものかと軽く首を傾げた。
 先程この店の前を通り過ぎた際、数日前に藤堂が言っていた大福が評判だという店だとわかった。
 不意に新選組で唯一の女性である千鶴の顔が浮かんだ。
 甘い物が好きだと言っていたのを思い出し、屯所を出られない彼女に土産として買ってかえろうと思ったが、巡察中なので通り過ぎた。
 だが後ろ髪を引かれて、引き返してきた。使命を第一とする常の自分では考えられない行動に出た理由はわからない。
 数秒考えて、斉藤は大福を買っていくことにした。
「大福を…二つ頼む」
「はい。おおきに」
 斉藤は大福二つ分の金を払って、和紙に包まれた大福を受け取った。
「毎度どうも。またご贔屓に」
 大福を手に持ったままでいいかどうか一瞬考え、誰にも見つからなければ問題ないな、とそのまま手で持ち帰ることにした。それに、大福を懐や袂に入れるべきではないだろう。
 そして三番組隊士達の後を追って、自分も屯所へ戻るべく歩を進めた。


 斉藤が大福を買い求めている頃、同じように菓子を買い求めている男がいた。
 その男――沖田は非番で暇だった為、近所の子供らと鬼ごっこをして遊んでいたのだが、一刻程遊んだ頃飽きてきたので「また今度」と約束し、市内へ出たのだった。
 道すがら店を冷やかしたりして、ぷらぷら歩いてたどり着いたのは、賀茂川と高野川が交わり鴨川となった所からほど近い場所に軒を連ねる一軒の店の前。
 店の中からほんのりと甘い香りが漂ってくる。それに誘われてか、店の評判を聞きつけてか、数人の客が店を出入りしている。
 甘い物は嫌いではないが、好きというわけでも無い。だが沖田は、祇園にあるとある店のくずきりは好きだったりする。
 ともかく、この店へ来たのは買い物をする為だ。
 暖簾をくぐり入った店内では、桃色、薄紫、薄緑、黄色、白色など色鮮やかな金平糖が売られている。
 沖田は六角形の赤い箱に五種類の味の金平糖が詰められたものをひとつ、買い求めた。
 金平糖を屯所にいる彼女に贈ったらどういう顔をするだろう。
 驚くだろうか。警戒するだろうか。それとも笑うだろうか。
 表情豊かな彼女を思い浮かべながら、沖田は歩いてきた道を戻った。


 壬生の屯所へ戻った沖田は、千鶴の部屋へ向かった。
 幹部以外の隊士に彼女の性別は秘密にされているため、部屋は幹部達の部屋の近くにある。当初は監視もしやすいようにとの配慮もあったが、千鶴の態度から監視の必要はないと判断され、彼女の部屋の周囲に幹部の姿は無い。
「千鶴ちゃん、いる?」
 障子越しに廊下から問いかけながらも、沖田の手は障子戸へかかっている。
 部屋の主の返答があるより先に、沖田は障子戸を開け放った。
 沖田の翡翠色の瞳に、立ち上がりかけた千鶴の姿と三番組組長が映った。
「………なにしてるの、斉藤君」
 驚いたのは一瞬。すぐに気を取り戻し、沖田は千鶴の向かいに座っている斉藤に言った。
 沖田の声色は僅かに冷たさが宿っているが、付き合いの長い斉藤は動じない。
「総司。戸は返事を聞いてから開けるものだ」
 この状態で至極もっともなことを口にできる斉藤に、千鶴は心の中でこっそり感心した。
「気配を消してる君に言われたくないなぁ」
 口端を上げて笑う沖田の顔は常の微笑みとは全く違っている。
 二人の仲を取り成そうと、千鶴は横合いから口を挟んだ。ほんの少しだけ土方の苦労がわかった気がした。もっとも副長の大変さには微塵も及ばないだろうが。
「おっ、沖田さん。何か御用ですか?」
 千鶴は顔中の力を集めて、僅かな焦りは隠せなかったが、なんとか笑顔で言うことに成功した。
「用がなかったら来ちゃいけないのかな?」
 微笑みながら言う沖田に、千鶴は首を横に振った。
「そんなことありません!」
 否定の言葉を唇に乗せると、沖田は満足そうに笑った。
「でも、今は用があって来たんだけどね」
 にやりと笑う沖田に千鶴はぽかんと口を開けたまま固まった。
「総司。雪村をからかうのはそのくらいにしておけ」
 溜息混じりに言われたが、沖田は黙殺した。
「ねえ、千鶴ちゃん。それ、何?」
 部屋の中へすたすた入り、千鶴の脇に立った沖田は訊いた。
 先程は気がつかなかったが、向かい合っている二人の前に白い紙につつまれた物があることに気がついた。
「大福です」
 千鶴の言葉に沖田は片眉を上げた。屯所から出られない千鶴が大福を買ってくることは出来ない。ゆえに誰かが千鶴に買ってきたのだということは、すぐにわかった。
「…斉藤君、抜けがけ?」
 視線を向けられ、斉藤は一瞬だけ沖田の手元に視線を落とし、そして顔へ向けた。
「そういうお前が、そうなんじゃないのか」
「これはご褒美だよ」
「そうか。奇遇だな」
 しれっとした顔で【褒美】だと言う沖田に、斉藤も静かな声で応じた。
 斉藤は千鶴が甘い物を好きだと言っていたから、買ってきただけで、藤堂が言っていた店の前を通らなければ、買ってくることもなかった。【褒美】とは少し違うが、【抜けがけ】とは全然違う。無論、そう思っているのは斉藤だけで、沖田は自分のことは棚に上げ、斉藤が【抜けがけ】したと結論付けている。
「ふぅん。奇遇、ね」
 呟いて、沖田はしたり顔でにやにや笑っている。そんな彼を斉藤は黙ったまま見ている。
 萱の外になってしまった千鶴は、座りなおしておとなしく二人の会話に耳を傾けていた。だが、なんだか居心地が悪くて落ち着かない。
 千鶴は再び腰を浮かせた。予期しない沖田の来訪で座ってしまったが、先程は茶を淹れに行こうとしていたのだ。
「あの、私お茶を淹れてきます」
 そそくさ立ち上がり、静止される前に、と千鶴は部屋を出た。
 あからさまだったかな、と思わないでもないが、居辛かったのだから仕方がない。
 だが二人だけにしてしまってよかったのかと考えると、そうとは言えない。
「…早く戻ったほうがいいかも」
 そっと呟いて、千鶴は歩を早めて、台所へ向かった。
 部屋に残される形になってしまった二人の間に、数秒の沈黙が流れた。
 その沈黙を破ったのは沖田だった。
「千鶴ちゃん、どっちを先に食べると思う?」
 沖田は斉藤の斜め向かいに座り、懐紙に包まれた大福の横へ六角形の赤い箱を置いた。
 斉藤はその箱が先日近藤が持っていたものと酷似していることに気がついた。
「それは金平糖か?」
「ねえ、斉藤君。賭けをしない?」
 斉藤の問いを無視して、沖田は自分が言いたい言葉を口にした。そんな彼には慣れているので、斉藤は気にしない。それに、箱の中身が何であるのかは、沖田の刹那の瞳の動きで当たっているとわかった。だから重ねての質問は不要だ。
「…賭け、とは?」
 斉藤はとりあえず聞こうという姿勢をした。
 賭け事にあまり興味は無く、しようとも思わない。だが、この男のことだ。勝手に話し出すに決まっている。 
「千鶴ちゃんが先に食べた菓子を買ってきた方が勝ち、っていう勝負」
「くだらないな」
 呆れた顔で斉藤が溜息をつく。
 それを見た沖田はにやっと笑った。
「いいの?勝った方が千鶴ちゃんに膝枕してもらうんだよ?」
「なんだそれは」
 斉藤はすかさず突っ込んだ。
 何故勝ったら雪村の膝枕なのか。いや、それ以前に雪村に無断で勝手に決めているだろう。
 沖田の思考回路は付き合いの長い斉藤でも時々わからなくなる。特に、雪村千鶴が絡むと。
 だが、沖田の言動は結果的に千鶴への嫌がらせか意地悪としかとれない。
「どうする?斉藤君」
 胡坐をかき、足に頬杖をつく沖田の笑みは、斉藤の答えなど見通しているかのようだ。 
 千鶴が大福か金平糖のどちらを先に食べるか、で勝敗を決するなど馬鹿馬鹿しい。そのようなくだらないことはどうでもいい。
 けれど、最後の一線が斉藤を踏みとどまらせた。
「……その勝負、受けて立とう」
 自分が勝負を受けない時点で沖田の勝利になる。それは沖田の毒牙に千鶴がかかることを意味している。勝負を受けて勝たねば、千鶴が可哀想だと思った。
 例え、沖田の思惑に嵌っているとわかっても、だ。
「負けるつもりはないよ」
「当然だ」
 くすくす笑う沖田に斉藤が答えた時、かたんと小さな音がして、すっと障子戸が開いた。
「お待たせしました」
 盆には湯気の上る湯のみが三つ乗っている。
 千鶴は自分が居ない間の二人の遣り取りなど知らないので、笑顔で二人の傍へ近づいた。
 自分の顔をじっと見つめてくる斉藤と、楽しそうに微笑む沖田に、千鶴は黒い瞳を瞬いた。
 …なんだろう。何か嫌な予感がするのは、気のせいかな…。
 胸の内で呟いた千鶴は、数秒後に嫌な予感が的中したことを知るのだった。




【終】


【Little Colors】ユウ様へ沖千漫画をいただいたお返しに書かせていただきました。
リクエストは『沖+千+斉』の小話。


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