ご褒美=君




「…斉藤君」
「なんだ」
 広間で刀の手入れをしていた斉藤は、名を呼んだ相手を一瞥もせずに答えた。
 さして重要でもない話――暇を持て余して声をかけてきたに違いない。
 斉藤としては「何故、俺に」と不満を口にしたいところだ。
 が、そう言ったら最後、「冷たい」だの「いいじゃないか」だの、色々言われるのがわかっている。
「千鶴ちゃん、知らない?」
 一瞬、聞き間違えたかと思った。「暇だから遊ぼう」とでも言うかと思っていたので。
「何故、俺に聞く?」
 刀の手入れを中断して、斉藤は沖田へ視線を向けた。
「最近、彼女と仲が良いみたいだから」
「気のせいだ」
 どこをどうみたらそう思うのだろう、と斉藤は思ったが顔には出さない。それに、彼女と仲良くしているのは、誰から見ても平助や原田だろう。自分も彼女と接する事はあるが、それは任務ゆえで、自ら進んでの事では無い。だから、沖田が言っている内容は的外れ以外の何者でもない。
「気のせい、ね」
 唇を三日月に刻んで、沖田は面白そうに笑う。
 だが、翡翠色の瞳の奥は笑っていないようだった。殺気に似た光が一瞬だけ浮かんだのを、斉藤は見逃さない。不穏な炎が翡翠色の瞳の奥で揺れている。
 ……お前がどう思っているかは知らないが、と前置きして、斉藤は沖田を見据えたまま続けた。
「千鶴と一番仲の良いのはお前だろう、総司」
「一番良いのは、ね」
 沖田は瞳を細めてくすくす微笑む。
 この男は相変わらず掴み所が無い。一体何が言いたいのか本音を口にしないから、付き合いが長くとも察するのは困難に等しい。
「………千鶴なら、先程左之といたのを見かけた」
 知らないか、と訊かれた時に先ず言うべきだったことを斉藤は口にした。
 何故言わなかったのか、斉藤自身わからない。
「なんで止めなかったのさ」
 不機嫌そうに沖田は顔を歪める。
 斉藤は沖田の剣幕に切れ長の瞳を驚きに瞬いた。不機嫌になる事はよくある男だが、いつも飄々としている彼にしてはこうまであからさまなのは珍しい。
「止める理由など無かった」
 至極あっさりと事実を述べた斉藤に、沖田は眉を寄せる。
 だが何も言わずに踵を返すと、来た時と同じように足音を立てずに去っていった。
 微妙な空気の中に残された斉藤は、なんだったんだと胸中でごちて、刀の手入れを再開した。


 広間を退出した沖田は、まず千鶴の部屋へ行ってみることにした。
 彼女は市内への巡察以外で外出することはない。だから千鶴がいるとしたら、中庭か原田の部屋か自室だ。
 中庭は広間に行く前に訪れた。原田の部屋には春画本が置いてあるのを知っている。そんなところに初で純な彼女を連れ込んではいまい。まあ、連れ込んでいたら連れ込んでいたでこちらにとって好都合ではあるのだが。
 とすると、千鶴は自分の部屋にいる可能性が高い。先程彼女の部屋に訪れた時に居なかったのは、原田と居たからだろう。
 千鶴の部屋の前、ぴったり閉められた襖の前で、総司は声をかけた。
「千鶴ちゃん、入っていい?」
「えっ?は、はい、どうぞ」
 千鶴が返事をするのと沖田が襖を開けたのは、ほぼ同時だった。
 沖田は遠慮なく千鶴の部屋へ入る。
「えっと、なにもおかまいできませんが」
 困ったように言う千鶴に沖田は楽しげにくすくす笑う。
「いいよ、気にしなくて。すぐに帰るから」
「……そうですか」
 少し寂しそうな声に、沖田は意地悪そうな笑みを浮かべる。
「帰って欲しくないなら言ってくれれば、朝まで一緒にいてあげるよ」
 意地悪そうな笑みがより一層深さを増す。
「いいです、平気です。一人で眠れます」
「…そこまで言い切られると、傷つくなあ」
 露ほども思っていないのに、瞳を伏せて言うと千鶴は慌てた。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ…」
「……なあんてね。冗談だよ」
 くすっと微笑むと、千鶴はもごもご反論した。
「沖田さんはずるいです」
 そんな千鶴の言葉など聞いてないかのように、沖田は思い出したように言った。  
「君が頼まれるはずだった仕事、僕が代わりにやっておいたから」
「えっ!そうなんですか?ごめんなさい。ありがとうございます」
 突然話題を変えられて、言われた内容を理解した千鶴はぺこりと頭を下げた。
 自分が頼まれるはずの仕事だったのなら、沖田がするような仕事ではなかったはずだ。些細な仕事だったのだろうに、彼の手を煩わせてしまったのが申し訳ない。
「だからさ、ご褒美ちょうだい」
「…ご褒美、ですか?」
「うん」
 そう言われても千鶴は居候の身。
 京に来る際に持ってきた路銀は、新選組にやっかいになるので賄い方へ渡してしまった。つまり、早い話が無一文なのである。
 だからご褒美を寄越せと言われても、何も渡すことができない。金平糖や団子や餅などを買う資金が全くないのだ。
 どうしたらいいか思考を巡らせる千鶴に、沖田はきらきらの笑顔を向ける。
「ご褒美に君が欲しいな」
「なっ、なに言ってっ」
 頬は勿論、耳も首も真っ赤に染めて千鶴は慌てふためく。
 これもいつもの冗談だと言い聞かせてみても、火照った身体は冷めない。
「そんなに真っ赤にならなくても、口付けのひとつ位いいよね」
 言うが早いか、千鶴の華奢な身体を抱き寄せた。
 そして赤く染まった頬――限りなく唇へ近いところへ、音を立てて口付ける。
「ここはそのうち、ね」
 唇を長い指でなぞられて、千鶴は意識が無くなりそうだった。




【終】 

初出・WEB拍手 再録にあたり加筆
「05.ご褒美=(イコール)君(恋したくなるお題・手放せない恋のお題)」

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