一方的な約束 新緑色の葉が明るい日差しの中、風に揺れている。 そこから地面へ視線を滑らせると、どこからか飛んできた種が根付いたのか、いくつかの菜の花が咲いていた。 巡察以外では外出を許可されていない千鶴は、中庭に面する縁側に腰を下ろし、ぼんやりと景色を見つめていた。 屯所内の掃除を終えたので、一息の休憩をしているところだ。 昨日会った自分によく似ていた薫のことをぼんやり思い出す。 藤堂と巡察していると、途中で同じく違う経路で巡察をしている沖田と出会った。 その時に近くで浪士に絡まれている少女がいて、助けたのをきっかけに知り合ったのが薫だ。 紅梅色の着物を着た少女と自分が似ているということには、初め気づかなかった。 隣に並んでみてと促す沖田がいなければ、気づかなかっただろう。 『やっぱり……よく似てるね、二人とも』 そう言われて初めて、助けた少女が自分と似ていることに気がついた。藤堂は『似ていない』と言っていたが、千鶴は恐いくらい自分に似ていると思った。 鏡に映したように薫は千鶴によく似ていた。千鶴よりも瞳が小さく、不思議な雰囲気をまとっているのを除いて。 「……また会えるかな?」 千鶴はぽつりと呟いた。 彼女の顔が昨日から気にかかっている。自分に似ていたからではない。 昨日会うより前――ずっと昔にどこかで見たことがあるような、そんな気がしてならない。 だからもう一度会えたら、何か聞けるのではないかと思った。 けれど問題は、広い京の町で偶然に再会できるかどうかだ。 ふぅと溜息をついた時、不意に後ろから抱きしめられた。 「きゃあ!」 驚いて悲鳴を上げると、耳の近くで不機嫌そうな声がした。 「悲鳴をあげるなんて人聞き悪いな」 「…沖田さん」 顔だけを後ろに向けた千鶴の黒い瞳に映ったのは、常に笑みを絶やさない沖田だった。 「ぼんやりしていると斬られちゃうよ?」 笑顔でぶっそうなことをしれっと口にする。 ぼんやりしていただけで斬られたらたまりません、と心の内で叫んで、千鶴は口を開いた。 「ちょっと考えごとをしてたんです」 沖田には嘘をついてもすぐに見抜かれてしまうので、素直に言った。 「どんな?」 好奇心で沖田が聞いているのではないと彼の瞳から判断したものの、千鶴は僅かに迷った。 考えても仕方ないんじゃない。 さして関心のない顔で言われそうな気がして。 「……脱走でも考えてたの?」 「そんなわけないじゃないですか!私はただ薫さんのことを考えていただけです」 一息で言い切ると、沖田は口端を上げて微笑んだ。 その顔を見て、千鶴は瞬時にだまされたのだと気がついた。 「誘導するなんてずるいです」 むっと唇を尖らせる千鶴に、沖田は翡翠の瞳を僅かに細めてくすくす笑う。 「君って本当、素直だよね」 「………認めますから、腕を放してくれませんか?」 今頃になって、ようやく沖田に抱きしめられたままだったことに気がついた。 もがいて逃げ出そうとすれば、益々放してもらえない気がして、千鶴は沖田が手を放すのを待った。 けれど、数秒待ってみても腕は解かれない。 「沖田さん、聞いてますか?」 「聞いてるけど、聞けないな」 それはどういう意味なのか、と千鶴は首を傾げた。 そんな彼女に沖田は笑みを深める。 「薫さんのこと考えてたって言ったけど、何を考えていたの?」 あっさりと話題を変えた沖田に、千鶴は放してもらうことを諦めた。いくら言っても、彼が飽きない限り開放してもらえそうにない。 せめて誰もここに来ませんように、と千鶴は祈った。 幹部の誰かに見られたら騒ぎになりそうで、そうなると土方から説教をされかねない。 自分が巻き込まれた形であっても、自分だけ逃れるような真似は千鶴にはできない。それならば、騒ぎが起こらない状況であればいい。 「……どこかで会ったことがあるような気がして」 沖田は黙って耳を傾けているので、千鶴は話を続けた。 「…うまく言えないんですけど……初めて会った気がしなくて。それで――」 「面白くない」 千鶴の言葉を遮って、沖田は言った。 「え?」 「正体の知れない奴より、僕のことを考えてくれたっていいと思うな」 「なっ、何言ってるんですか!」 思わず声を荒げてしまう。 言うに事欠いて、どうしてそんな言葉が出てくるのか。 またいつもの冗談だとわかっているのに、頬が熱くなるのを止められない。 「だって、僕の方が君の傍にいるんだよ」 「それはそうですけど」 千鶴が混乱しながらも同意をすると、沖田は満足そうに微笑んだ。 「だよね。君は僕を見ていればいいんだ」 彼の顔が近づいたと思ったら耳元で囁かれて、千鶴は訳がわからなくなる。 その時、落ち着いた静かな声色が縁側に響いた。 「総司」 名を呼ばれた沖田は、面白くなさそうな視線を斉藤へ投げた。 「…土方さん、いいところで邪魔してくれるな」 不機嫌をあらわに沖田が呟く。 気が乗らないが、副長が呼んでいるのであれば仕方がない。 沖田が千鶴を放すのを見届けて、斉藤は踵を返した。待たずともすぐに後から来るのがわかっている。 「千鶴ちゃん、今の約束、忘れないでね」 立ち上がりながら言って、千鶴の頭をぽんぽんと軽く叩く。 「えっ?ちょっと待ってください、沖田さん!」 声を上げたが、沖田は振り向かずに行ってしまった。 しばし呆然としていた千鶴は我に返り、盛大な溜息をついた。 約束を忘れないでもなにもない。自分は頷いていないのだ。 それなのに、沖田の中ではすでに約束したものとなっている。 どう考えても一方的な約束に過ぎない。 けれど、約束を破綻に――というか、無効にする勇気は無い。 「……沖田さんはどこまで本気なんだろう…」 一人ごちて見上げた空は、どこまでも青く広がっていた。 【終】 戻る |