悪戯 今日はよく晴れていて、天気がいい。 突き抜けるような青空というのは、今日のような空を言うのかもしれない。 冬の研ぎ澄まされた刃のようなキンとした冷たさもいいけれど、今日みたいな春の陽射しが柔らかい日も嫌いじゃない。 不意に、柔らかく、くったくのない瞳を持っている彼女を思い出した。 彼女と初めて会ったのは、三ヶ月前。暴走した新撰組隊士たちを斉藤君と追っていた時だった。 ものすごく頼りなくて、危なっかしくて、言いたいことを言わない彼女に苛立つのは変わらない。 けれど、不思議とあの子の傍にいるのは嫌いじゃない。 ころころと変わる表情は見ていて飽きないし、なにより何を言っても素直な反応を返してくれるのが楽しいし心地よくもある。 ふと思い立って、僕は中庭に足を運んだ。 一人での外出を禁止されている彼女が屯所内でいられる場所は限られてる。今日は天気がいいから部屋ではなく、中庭にいるはずだ。 中庭に行くと僕の予想していた通り彼女がいて、縁台に座って空を見上げていた。 「あっ、沖田さん」 空を見上げていた黒い瞳が僕に向けられる。 敵意も害意もない、真っ直ぐな眼差し。「殺しちゃうよ」とか「斬るよ」と口にすれば微かに震えて揺らぐのに、僕という人間を多少なりともわかっていると思うのに、いつも変わらない澄んだ瞳を向けてくれる。 「こんなところで何してるの?」 「えっと…その…よい天気なので、日向ぼっこを…」 していたんです、と消え入りそうな声で彼女は答えた。 外出は禁じられていて、屯所での仕事もほとんど無い。 部屋にこもっていても気が滅入るから、ここにいるのだろうというのは察しがつく。 自由のない――監禁状態にあるのに、日向ぼっこをすることさえ、ばつの悪そうな顔をする。 「やだな、そんな顔しないでよ。僕が君をいじめてるみたいじゃないか」 「す、すみません。そんなつもりじゃ…」 どうしよう、と顔に書いて慌てる姿はみていて飽きない。むしろ可愛いと思う。 だけど、こんな顔が見たいわけじゃない。 そう、例えば、平助君に見せるような――笑った顔を見たい。 「隣に座っていい?」 駄目とは言わないだろうけど。いや、駄目って言われても聞かないけどね。 千鶴ちゃんは瞳を数回瞬いた後、ほっとした顔で頷いた。 「はい、もちろんです」 微かだけれど、ようやく微笑みを見せてくれたことに安堵した。 真ん中に座っているわけじゃないのに、千鶴ちゃんは少しだけ脇に避けた。僕との距離を意識的に取っているわけじゃなく、場所を広くしようと思っての行動だろう。 こういうちょっとしたことで、つい彼女をからかいたくなってしまう。 まあ、ここに来れば千鶴ちゃんがいると思ったし、非番だから千鶴ちゃんと遊ぼうと思ってきたんだけど。 僕は何を話すでもなく、ただ彼女の隣…空けてくれた分の距離をわざと詰めて座って、千鶴ちゃんを見つめた。 「………あの、沖田さん?」 戸惑うような顔で、彼女が首を傾げる。 「ん?」 「私の顔に何かついてますか?」 「うん」 頷くと、千鶴ちゃんは必死な顔になった。 やっぱり君は面白い。 顔についてるものなんて決まってるのに、ね。 「可愛い目と鼻と口がついてるよ」 「なっ…おっ、沖田さんっ!」 白い頬を赤く染めて、千鶴ちゃんはうろたえた。 こんな簡単な罠にかかる子、滅多にいないよ。いや、初めてかもしれない。 「なんで怒るのさ?僕は聞かれたから教えてあげたのに」 にっこり笑って言うと、千鶴ちゃんは「だからってひどいです」と呟いた。 その仕種が可愛らしくて、思わず華奢な身体を抱きしめた。 細くて柔らかくて、力を入れたら簡単に壊れてしまいそうだ。 「お、沖田さん、苦しいです」 「あ、ごめん」 無意識のうちに強く抱きしめてしまっていたらしい。 抱きしめている腕は解かずに、力だけを緩めた。 「大丈夫です。でも」 「放して欲しい?」 彼女の言葉を遮って訊くと、黒い瞳を驚いたように見開いた。 「…はい」 顔を赤く染めて、千鶴ちゃんは素直に頷いた。 「そうだね…僕の事を名で呼んでくれたら考えてあげる」 「名、って言われても…そんなの無理です」 「どうして?」 「どうしてって沖田さんは目上の方ですし」 「君からしたら、平助君だって目上の人だよね」 言い訳を考える千鶴ちゃんの逃げ道を塞ぐ。 唇を結んで言葉に詰まる姿に、思わず笑みが零れた。 「僕の名を呼ぶのは、そんなに嫌?」 意地悪く問えば、焦った顔で首を横に振る。 「嫌とかそういうわけではないんですけど…」 「…呼びたくないなら仕方ないけど、君が呼んでくれるまでこのままだよ。 抱きごこちがいいし、温かいから僕はこのままでもいいけど」 千鶴ちゃんは困ったように視線を彷徨わせて、そして少し俯いた。 「………総司さん」 恥ずかしそうな声に頬が緩む。 「いい子だね、千鶴ちゃん」 褒めるように頭を撫でると、黒い瞳が僕を見上げた。 「あの、沖田さん?」 「なに?」 「呼んだら放してくれるって」 「僕は考えてあげるって言ったんだよ」 呆然とする千鶴ちゃんにくすくす笑って、赤く染まる頬に口付けを落とす。 「なっ、なにするんですか!」 僕の唇が触れた頬を手で抑えて声を上げる彼女に、僕は笑みを深めた。 「わからなかったのなら、もう一度してあげる」 否定の言葉が届く前に、今度は左の頬へ口付けた。 【終】 戻る |