桜に想う 風に揺られた桜色の花弁が、ひらりと舞い落ちる。 地にはそうして落ちたいくつもの花びらがあり、あたりは桜色に染まっていた。 一昨日に満開となった桜だが、今は減ってしまっている。 それは、先ほど急に風が吹き始めたからだった。 「桜が咲いたら花見に行こう」 そう言って総司から誘われたのは、五日前のこと。 山を少し奥へ入った所で八重桜を見つけたから、と。 嬉しかったから、千鶴は二つ返事で頷いた。 それから花見をするのをとても楽しみにしていた。 けれど、残念なことに満開の桜を見られなくなってしまい、少し寂しい気持ちだった。 「…桜、いっぱい散ってますね」 落胆の色を濃く顔に出し、千鶴はかすかな溜息をついた。 朝から天気はよく、家を出た時に風は吹いていなかった。それなのに、ここへ着く少し前、突然風が吹き始め た。 花見をしながら昼飯をと思い、支度をしてきたから、落胆はなおさらだ。 「今頃になって風が吹くとはね…」 総司は半眼になり渋い顔を作った。 命を削って生きてきた自分に残された時間は、そう長くはない。 それがわかっているからこそ、千鶴との想い出をたくさん作ろうと思って、今年もまた花見をしようと思ったのに。 自然を相手に文句を言っても仕方がないとわかっていても、苦い気持ちは顔にはっきり表れる。 「一刻でもいいから、止んでくれるといいんですが…」 四半刻程かけて山を登ってきて、目的を果たさずに戻る気にはなれない。 せめて少しでも風が和らいでくれたら、天気もいいし、心地よく過ごせるのは間違いない。 「…………弱くなった?」 「あ、本当。弱くなった気がします」 吹き始めた時と同じように、唐突に風が弱くなった。 その証拠に、風に散らされる花弁がなくなっている。 「千鶴が願ったからじゃない?」 楽しそうな声が頭上から降ってくる。 「総司さんたら」 千鶴はふふっと微笑んだ。 「でも、これなら花見ができますね」 嬉しそうに言う千鶴に総司は頷いた。 穏やかな春の一日を、千鶴と過ごす。 そのなんでもないけれど大切な事を、総司も楽しみにしていたのだ。 日当たりのよい芝生の上に二人並んで腰を下ろす。 家の近くであれば茣蓙を持ってきたのだが、山中なので敷物は持ってきていない。 先程まで吹いていた風はすっかり止み、空の青が濃くなってきていた。 「すごくいいお天気」 「花見日和だね」 澄んだ青空に桜の花がよく映えている。 雪村一族がひっそり隠れ住んでいた土地に暮らすようになって、自分はずいぶん変わったと思う。 剣を手に戦っていた時は、こんな風に過ごす日がくるとは思っていなかった。 あの頃は千鶴がかけがえのない人になることも、近藤や土方と離れる日がくるとも思っていなかった。 こうして花見をしていると、あの日のことを思い出す。 京に着いて一年目の、桜が咲き乱れる春。白川通りや祇園の桜。 一緒に居たのは、気心知れた仲間たち。 あの頃はどちらかと言えば平和で、穏やかな日が多かった。 だから、祇園の東――真葛ケ原の桜を皆で見に行くことができた。 近藤が容保公から報奨金が出たからと誘ってくれ、真葛ケ原にある左阿彌という料亭でした宴は楽しいものだった。 酒に弱い土方が酔っていた姿や、酔っ払って腹踊りをしようとした原田が近藤に止められたり、永倉が前後不覚になるほど酒を呑んだり。 あれほどの馬鹿騒ぎをしたのは、あとにも先にもなかった。 「総司さん、どうぞ」 「ずいぶん変わった団子だね?」 差し出された菓子に総司は緩く首を傾げた。 白と緑と桜色の三色の花見団子には見えないし、餡子や醤油をつけたものとも違うようだ。 それに串ではなく平たく細い棒に団子らしきものがついている。 「五平餅って言うらしいです」 「五平餅?」 「はい。この間お千ちゃんが教えてくれたんです」 京で知り合った、お千こと千姫は、側近の君菊と時々家を訪ねてくれるのだ。 そして、道中で知った珍しい料理や菓子があると教えてくれたりする。 ただ千鶴が実際に食べたり目にしたことはあまりなく――日持ちしないので仕方ないが――見た目と味と材料を聞いて作っているのだった。 「あ、風間さんがくれたお酒、呑みますか?」 「千鶴」 「はい?」 「変な奴から物を貰ったら駄目だよ」 今ではお互い敵対心がなくなったとはいえ、過去を考えると呑む気にはなれない。 毒よりも厄介で妙な物が入っていそうではないか。 「ですが、総司さんは気に入るだろうって風間さんは仰ってましたよ」 屯所にいた頃、風間に妻になれと強引に連れ去られようとしていた事など、千鶴の頭にはないようだった。 総司はわざと盛大な溜息をついた。 「あのね、千鶴。風間からの物なんて受け取らなくていいから。むしろ捨てていいよ」 「え、でも…」 「でもじゃないの」 総司は千鶴の手から酒を奪った。 酒の処分はあとで考えるとして、それより今は千鶴の作った団子――ではなく、五平餅とやらだ。 千鶴は総司の行動に唖然としたが、取り返すのは諦めたようだった。 「料理も召し上がりますか?」 そう言って千鶴は重箱を広げた。 色鮮やかな、珍しい料理が詰められている。 「料理の腕をめきめき上げてるね、千鶴」 「総司さんが色々食べてみたいって仰ったからですよ」 「うん、言ったね」 数年前、京に居た頃、屯所内で千鶴に文を送ることが流行った。それは長い間続いて、年賀状へと繋がり、総司はそれに「この国の料理を制覇しちゃってよ」というような事を書いた。 それを覚えていてくれて、こうして作ってくれた千鶴の気持ちが嬉しい。 「じゃ、早速いただこうかな」 「はい」 にっこり笑う千鶴に総司は千歳緑の瞳を細めた。 麗かな春の日、桜の花弁がふわりと舞っている。 願わくば君といつまでも――。 「来年も来ましょうね」 千鶴は桜を見、それから総司へ視線を滑らせた。 嬉しそうに、幸せそうに微笑む千鶴に、総司は「そうだね」と答えて、桜を見上げた。 馬鹿騒ぎしている仲間たちの声が聴こえた気がした。 【終】 ※エイプリルフール(企画?)にて、申込者限定先行公開した小話 戻る |