抱きしめたまま世界が終わればいい




 すうすうと穏やかな寝息が聞こえる。
 総司は腕の中で眠る千鶴の髪を長い指でそっと梳く。ぐっすり眠っている彼女に目覚める気配はない。おそらく口付けをしても起きないだろうと思われる、深い眠り。
 いつもなら総司も千鶴を抱きしめて眠りにつくのだが、今夜は眠れずに起きていた。否、正確には眠らずに起きているのだ。
 眠っている時の彼女の表情も、覚えていたい。
 凛としたまっすぐな瞳を縁取る睫毛。
 規則正しい寝息が零れる、柔らかな唇。
 すっと通った鼻梁。
 あどけない寝顔を見られるのも、もうわずかしか残されていない。
「……ねぇ、気がついてるんだろ?」
 返事が返らないのを承知で紡がれる言葉は、優しさと寂しさが宿っている。
 壊れ物を扱うように、そっと白い頬に触れる。掌から伝わる温もりが愛しい。
「好きだよ…」
 何度繰り返しても、足りることはない。
 日課にしている原っぱでの昼寝の時なら、千鶴は幸せそうな笑みを浮かべて、言葉を返してくれる。
 けれど今、彼女は穏やかな寝息を立てていて、好きですとは言ってくれない。
「千鶴…君が好きだよ」
 心の中を見せられたら、僕がどれほど君を愛しているのか見せられるのに。
 そうらしくないことを思うほどに、千鶴が愛しい。
 あと何回、君に好きだと言えるだろう。
 血に染まった手を取ってくれて、心を包んでくれた、温かくて優しくて、少し強情な愛しい人。
 隣に眠る愛妻の華奢な体を総司は抱きしめた。
 願わくば――。
「……君を抱きしめたまま世界が終わればいい」
 優しい腕
(かいな)に抱(いだ)かれて世界が終わるのもいいけれど、温もりを感じて世界が終わって欲しい。
 幾人もの命をその人の断りなく奪った自分が願うには過ぎた願い。人の命を勝手に終わらせた自分が、望むように終わりたいと願うのは勝手過ぎる。
 それでも、だ。
 最後の瞬間まで、君の温もりを感じていたい。

 別れの時間は、もうすぐ訪れる。
 けれどそれまでは。

「……愛してるよ」
 千鶴の耳元で甘く囁いて、総司は千歳緑の双眸を閉じた。




【終】

狂おしいほど愛しい人に7題「7・抱きしめたまま世界が終わればいい」
【1141】様(http://2st.jp/2579/)

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