望むものは一つだけ 荊州へ迎えに来てくれた仲謀と京城へ戻ってきた、翌日。 一緒にお茶しよー、と大小喬姉妹に誘われて、それを承諾した花は二人と東屋でお茶とおしゃべりを楽しんでいた。 過日、仲謀軍と玄徳軍の繋がりを強化するために行われた劉玄徳と孫尚香の婚儀は罠が仕掛けられており、阻止できなかったら同盟は危うかった。結果として無事に終わったものの、玄徳軍と同盟を結んだとはいえ曹孟徳の脅威がなくなったわけではなく、仲謀は毎日忙しそうにしている。 「私に手伝えることはない?」 戦のない未来を望んだ自分に、戦のない未来を創ると約束してくれた仲謀の力になりたくて、花は訊いた。 本はこの世界に残ると決めた時に消えたし、軍師としては都督の地位にある公瑾、そして参謀の子敬がいるから、力と言っても微々たるものしかないと自覚している。 けれど、自分にできる何かがきっとある。 「お前は大小と茶でも飲んでろ」 それはつまり、何もないということに他ならない。 「そう…」 自分は政に口を出せる立場ではない。だから、今の段階で何も役に立つ事がなくても仕方のないことだ。けれど、わかっていても気落ちするのは隠せなかった。 しょんぼりとした顔で肩を落とす花に、仲謀は慌てて言葉を付け加える。 「言っておくが、今は、だからな」 言葉の中に優しさがこもっているのがわかる。 「うん」 仲謀の優しさが嬉しくて、花は首を緩く傾けてふわり笑った。 「――っ…だから、どうしてお前はそうかわいいことすんだよ!」 花の可愛らしい仕草に仲謀は目元を赤く染めて、華奢な身体を抱き寄せた。 「ちゅ、仲謀!?」 仲謀の腕の中で花は真っ赤になった。ここは回廊で誰か通るかもしれない。そんな場所での突然の抱擁に花が慌てるのは無理ないことだ。 「お前が悪い……責任取れよな」 「えっ…」 仲謀は驚く花を抱えて柱の影へ身を隠し、可憐な唇へ口付けた。 「んっ…」 花の唇から甘い吐息が零れる。 それに答えるように仲謀は深く唇を重ねようとしたのだが――。 「あっ、仲謀はっけーん!」 不意に響いた声に仲謀は慌てて花から唇を離す。柱の影にいるため、彼女たち――大喬と小喬には見られていないだろう。 仲謀はちらりと花へ視線を向けると、彼女は顔を真っ赤に染めていた。これでは何かあったと言っているも同然で、大喬と小喬が色々言うだろうことは明白だ。 「うりゃー」 「てーいっ」 「…っ、大小!!」 大喬と小喬に足を突撃された仲謀は、なんとかその場に踏みとどまった。花を巻き込まなかったことに安堵し、大小姉妹を睨みつける。 「お前らいい加減にしろ!踏むぞ!!」 「そんなこと言っていいのかなあ」 「花ちゃんに嫌われちゃうよー」 小喬と大喬はそう言って、にかっと笑う。明らかに楽しんでいる顔だ。 大喬の言葉に仲謀が内心で動揺していることに気がついてない花は、「嫌わないですよ」と笑顔で言って、仲謀の動揺を消し去った。 ほっとした顔をする自分に気がついた姉妹ににやにやされて、仲謀はばつの悪さに軽く舌打ちする。 「お前ら何の用だ」 「花ちゃんを探してたんだよ」 「ねー。お部屋に居なかったから、どこかなーって」 「そうだったんですか。すみません」 花はぺこりと頭を下げた。 「それで、私に用ってなんでしょうか?」 「一緒にお茶しよーって誘いに来たの」 「わ、ありがとうございます」 「じゃあさっそく行こー」 「こっちだよ」 大喬と小喬は花の両手をそれぞれ取り、ぐいっと引っ張る。 「きゃっ!」 つんのめりそうになった花だったが、仲謀の腕が伸びて支えてくれた。 「っぶねーな。 おい、大小、こいつに怪我させるつもりか」 「待って、仲謀。私が躓いただけだから、二人は悪くないよ」 「…ったく。お前がそうやって甘やかすから」 仲謀は呆れたように溜息をついたが、それ以上文句は言わなかった。 「――花」 「なに?」 夕方になったら手が空くから、それまでに部屋へ戻ってろ。 花の耳元へ唇を寄せ、仲謀は囁いた。 最近は一緒に過ごす時間というのがなくて、花は寂しく思っていた。けれど、それを言うことはできなくて我慢していたのだけれど、それは仲謀も一緒だったらしい。 「うんっ」 嬉しそうに返事をする花に仲謀は蒼い瞳を細めて微笑み返し、花を離した。 気を利かせてくれていたのか、姉妹にしては珍しく黙ってくれた。 花は二人と一緒に、お茶の用意をしてもらっているという東屋へ向かった。 まだ日は高く、日暮れまで時間がある。 ずいぶん経ったと思うのだが、今日はなんだか時間が経つのが遅い。 花は知らずにふぅと微かな溜息をついた。 「花ちゃんどうしたの?」 「あ、いえ、なんでもないですよ」 大喬に問われて、花は顔の前で手を左右に振る。 「あやしい」 「うん、あやしい」 「さっきから空を気にしてるしね」 「仲謀と何の約束したの?」 「どうして知――っ」 言いかけて口を押さえたが、すでに遅かった。 二人は悪戯っぽい笑みを浮かべている。 恥ずかしくなって、花は白い頬を桜色に染めた。 仲謀は二人に聞こえないようにと耳打ちしたに違いない。それなのに、それを台無しにしてしまった。仲謀の気遣いを無にしたのが申し訳なくて、穴を掘って入ってしまいたいと思った。 「心配しなくてもいいよ」 「そうだよ。二人の邪魔なんてしないから」 「好きなだけいちゃいちゃしてね」 「――っ」 かああっと顔は勿論、耳まで真っ赤にし、花は絶句した。 もしかして、キスしてるの見られてた!? とても気になる。けれど、訊ける筈がない。見られていたら恥ずかしいし、見られていなかったのなら墓穴を掘るだけだ。 「あ、あのっ、私、そろそろ部屋にっ」 いたたまれなくて立ち上がった花を二人は「うん」と頷いただけで、引き止めることはしなかった。 自室まで走って戻った花は、部屋の扉を閉めてふうと息をつき、扉に背を預けた。 なんだかどっと疲れてしまった。 「……仲謀が来るまで少し休んでようかな」 溜息交じりに花が呟いた時。 「花」 「――仲謀!?」 驚いた花の華奢な身体が扉から離れる。 「…嘘じゃなかったようだな」 扉越しに聞こえた少し不機嫌な声に花は瞳を瞬いた。 嘘じゃなかった、ってなにがだろう? 「入るぞ」 花が返事をするより先に仲謀は扉を開けて入室した。 「仲謀、もう終わったの?」 「終わらせてきた」 「お疲れ様。あ、そうだ。お茶淹れるよ」 仕事を代わる事はできないけれど、労うことだったらできる。 「いい」 「……仕事、大変だったの?すごく疲れてるみたい」 「あいつらのせいだ」 「あいつら、って?」 「大小だ」 「大喬さんと小喬さん?」 「……お前が…、…俺に早く逢いたがってる、っていうから、だな…」 言い淀む仲謀から、花は恥ずかしそうに視線を逸らす。 どうしてあの二人が知っているのだろう。 早く夕方にならなかなと思ってそわそわしてたこととか、少しだけでいいから仲謀と二人でいる時間が欲しいな、と思っていたのを。 そんなのはただの我侭で、仲謀は揚州を守っていかなくちゃいけなくて、特に今は大事な時期だから、そんなこと望んじゃいけないとわかっている。だから口になんてしていないのに。 「言えよ」 「えっ」 引き寄せられて、ぎゅっと抱きしめられる。 「お前が望んでいるものだよ」 「どうして急にそんなこと…」 「そんなの、知りたいからに決まってるだろ」 「………」 今望んでいるのは、仲謀といる時間。 だけど、そんな事は言えない。仲謀を困らせるだけだ。 けれど、それ以外に望むものはない。 「……仲謀は、ないの?望むものって」 花は誤魔化すように問い返した。 「あるぜ。一つだけ、な」 「なに?」 訊くと、仲謀は蒼い瞳に剣を滲ませた。 「バカか、お前。俺が欲しいのはお前に決まってんだろ」 「――っ」 「で、お前は? 俺様に聞いておいて言わないつもりか」 「……わ…わがままなのも、言ったらだめっていうのもわかってるんだけど、……仲謀と一緒の時間が…欲しい。傍に居たいの」 「わかった」 あっさり頷かれて、花は虚をつかれた顔で仲謀を見上げる。 「わかった、って…だって、でも……」 「なんか文句あんのか?素直に頷かねえなら――」 不穏な光が仲謀の瞳に宿るのを見、花は慌てて頷いた。 「なんかむかつくな…」 「だって、仲謀が…」 花は頬を染めて仲謀から視線を逸らす。彼の言いたかった事がなんとなくわかってしまったから、顔をまともに見られない。 「俺はお前に聞かれたから言ったまでだ」 「それはそうなんだけど…」 「覚えとけ。俺が望むものは一つだけ」 お前だけだ、と囁かれ、熱い口付けで花は言葉を封じられた。 ―終― 心が求める、5のお題 05.望むものは一つだけ あまいきば様(http://www.k4.dion.ne.jp/~m-fang/ak/top.html) 戻る |