愛していると何度言えば足りるのだろう 柔らかな身体を抱きしめて、着物越しの温かな温もりの確かさに幸せを噛み締める。 こんなにも狂おしいほど愛しい人ができようとは、思いもよらなかった。 「愛しています」 何度そう言えば足りるのだろう、と思うほどに愛しい。 だから今宵も、愛を囁き、唇を重ねる。 口付ける以上を望まぬわけではないが、「……公瑾さんが初恋だから」と告げられたのは記憶に新しい。そんな彼女に簡単に手を出すのは戸惑いもあり、彼女が閨を共にすることに対してどう思っているかはわからないが、婚儀を挙げるまで公瑾は待とうと思っていた。 けれど、三日前に挙げた婚儀の夜も、花を抱いていない。寝台へと運んだ彼女は、口付けだけで身体を硬くしていた。それが初めてゆえのことだと、想像に難くなかった。緊張と不安に揺れる花を宥めて身体を重ねることは、可能だっただろう。どうしてそうしなかったのかと問われたら、答えは一つしかない。 ――花を大切にしたい。 だが、彼女と二人きりでいて、触れないというのは無理だ。公瑾とて健康な男子であり、なにより愛しく想う花を抱きたいという欲望は消せない。 花を抱いて、彼女の中を己で満たしてしまいたい。花の心だけでなく、身体も欲しい。彼女の全てを自分のものにしたい。 それができないから愛していますと囁くのだが、何度言っても足りない。 肌を重ねて愛していると言えば足りない隙間を少しでも埋められるのではないかという気持ちを、笑みの中に隠す。今宵も。 自分にとって大切なのは孫家で、それ以上に大切なものなどなかった。 存在の全てが、孫家の為にある。 孫家当主を支え、伯符が思い描いていた世――中原制覇という悲願の為に人生を捧げてきた。 孫家の利益となるのなら、何を犠牲にしても厭わなかった。この手がどんなに血で汚れようとも、孫家悲願を成せるのならば構わない。 伯符亡き後も、そのために動いてきた。 だから孫家よりも大切な存在ができるなど想像していなかったし、ましてや溺れるまで好意を持つなどありえない――筈だった。 花を意識し始めたのがいつからであったかなど、覚えていない。 初めて会った時、彼女は伏龍の弟子だと名乗っていたが、公瑾は信用していなかった。何かの冗談かと思っていた。 ぽややんとした世間知らずにしか見えないただの娘に、何ができるというのか。 孫家の為になるのならば手元へ置いておけば役に立つだろうと考え、その逆であれば玄徳の手の者という事実を利用し牢へ閉じ込めてしまえばいいと考えていた。 そうして、花の言っている事は正しい――伏龍の弟子というのは真実であるのか、軍策の相談をする振りをし、この目で確かめた。 彼女は自分が考えていたのと同じような戦略を考え、仲謀軍に勝利をもたらした。 だからこの先も孫家の為に利用しようと、玄徳に拾われ世話になっているから恩をしたくて助けていた、という花を仲謀軍に留めるように仕掛けた。 全ては孫家繁栄のために。それ以外の理由など皆無だった。 それからしばらくして、まさか花の書物の所為で過去に飛ばされるとは思っていなかったが。 手を焼かせる娘、という認識が変わったのは――。 「………公瑾さん?」 不思議そうな声で名を呼ばれ、公瑾は思考を打ち切った。今更過ぎた事を振り返ったとて、何かが変わるわけでもない。 花を愛している。もう手放せない。 それが全てで、それ以上もそれ以下もない。 「…何か考えごと、ですか?」 寝台の上、公瑾に抱きかかえられるように後ろから抱きしめられている花は上半身を捻って、公瑾へ視線を向ける。 「いいえ。考え事ではありませんよ」 「え、でも…」 「でも、なんです?」 「………私じゃ相談相手になりませんか?」 おずおずと口を開いた花に、公瑾は呆気に取られたが、それは刹那。 「考え事ではないと言ったのを聞いていなかったのですか」 「聞いてましたけど、なんていうか……悩みがあるような顔をしてたから…」 当たらずも遠からず、だ。頭を占めていたのは、悩みと言えなくもない。 公瑾は僅かに苦笑する。上手く隠していた筈なのに、花の前ではどうも上手くいかないらしい。 「花のことですよ」 「えっ、私?公瑾さんを悩ませるようなことしちゃいましたか?」 心当たりはないけど、気づかなかっただけかもしれない。 どうしよう…理由がわからないのに謝るのも失礼だよね…。 などと、思考が顔にだだ漏れの花に、公瑾はふっと笑みを浮かべる。 「花」 「は、はい?」 「愛しています」 何度言われても慣れない花は、瞬く間に頬を赤く染めた。 「何度言っても足りないのですよ。あなたはどうしたらよいと思いますか?」 「ど、どうって…?」 「花が言ったのですよ。相談して欲しい、と」 花の腰に回した腕に力を込めて抱き寄せれば、彼女はますます顔を赤らめた。耳まで真っ赤に染めてうろたえているのが可愛い。 「策をお教えいただけませんか」 「そんなこと急に言われても……」 「ないのでしたら、仕方ありませんね」 言葉とは裏腹に、甘く艶めいた声色。 「愛していますよ、花」 花の顎を捕らえ、可憐な唇へ口付ける。 角度を変えて何度も口付けると、花は息が上がり酸素を欲して唇を開いた。それを逃さず、公瑾は深く口唇を重ねる。歯列をなぞり舌を絡めとると華奢な身体がびくりと震えたが、さしたる抵抗はなく甘受された。 このまま抱いてしまいたい。 ―――花が欲しい。 湧き上がる欲望を押し殺し、公瑾は口唇を離す。 日毎に募る欲望を理性で押さえ込むのも、そろそろ限界に近い。婚儀の夜にはと思っていたが、それができずにいる今、些細なことで枷はいともたやすく外れそうだ。 「……こう…き、…さ…」 花が熱に浮かされたように名を呼ぶから、これ以上は我慢できそうになかった。 花の潤んだ瞳は誘っているようにしか見えない。それが自分に都合のよい解釈だという自覚はあったが、もう止められそうにない。 これ以上先延ばしになれば、初めての彼女を気遣う余裕はなく、滅茶苦茶に愛してしまいそうだ。 力が抜けた花の華奢な身体を自分の方へ向けさせる。――花が頷くことを願って。 「……花。私のものになってくれますね?」 耳元で囁くと、花は真っ赤な顔で一拍の後小さく頷いた。 「……で、でも、あの…、……私…どうしたらいいか、とか全然………」 消え入りそうに小さい声が耳に届く。 こちらの気持ちも知らないで煽ってくれる、と思わないでもなかったが、正直で無防備なのが花らしい。 「そのように可愛らしいことを言われると、優しくできなくなりそうです」 「――っ」 びくりと肩を震わせた花の頬に公瑾は手を添える。 花が欲しいと渇望する心は留まることを知らない。だから、優しくするにも限度がある。けれど。 「……できる限り優しくすると約束します」 小さく頷いた花に公瑾は頬を緩めた。 可愛らしい花が愛しくてならない。 狂おしいほど愛している。 「愛しています」 ――やはり足りない。 小さく呟かれた声を拾った花は瞳を瞬いた。 なんのことだろう? 「……何が足りないんですか?」 素直に聞いて教えてくれるとは思わなかったが、気になってつい聞いてしまった。 けれども、やはり公瑾は苦笑しただけで何も答えてくれない。 「それよりも、今は私のことを考えていただきたいですね」 「え、あ…っ」 今の状況を思い出し、かああっと頬を染める花に公瑾は愛しげに瞳を細め、華奢な身体を抱き上げて寝台の上へ優しく降ろした。 「……公瑾、さん……」 公瑾は揺れる瞳で名を呼ぶ花を安心させるように微笑んで、柔らかな口唇へ啄ばむような口付けを落とした。 手燭の明かりが室内に揺れている。 明かりを消してください、と花は懇願したが、公瑾は消してくれなかった。 「……あなたの顔を見ていたいのです」 情欲を含んだ熱い声に身体が熱くてどうしようもなくなり、羞恥に瞳を逸らすことしかできなかった。 可愛い仕草をする花に公瑾は小さく笑って、新たな所有の印を彼女の首筋に刻んだ。 それからほどなくして、明かりも他の何もかも――公瑾以外意識から締め出されるほど愛された花は、彼の下で荒い息をついている。 「愛していると何度言えば足りるのでしょうね」 自分が与えた熱で上がった息を朦朧としながら整えている花を見下ろし、公瑾は呟く。 愛しい人を抱きながら、愛していると何度言っても足りない。 愛していると言えば言うほど、足りないような気がしてならない。癒えることのない病のようだ。 「………花、愛しています」 このまま意識を失ってしまいそうな花には聞こえないかもしれないと思ったが、彼女はうっすら瞳を開けてふわりと微笑んだ。嬉しそうな彼女の笑顔に公瑾は頬を緩ませる。 愛していると何度言っても足りない。 けれど、花の嬉しそうに、幸せそうに、はにかんだ笑みを見られるのなら、足りないままのほうがいいのかもしれないと、微笑んだのち意識を失った花の可憐な唇へ口付けを落としながら思った。 ―終― 初出・WEB拍手 狂おしいほど愛しい人に7題 1. 愛していると何度言えば足りるのだろう 1141様(http://2st.jp/2579/) 戻る |