触れ合った温もり




「……どうぞ。熱いですから気をつけてください」
「ありがとうございます」
 公瑾に差し出された茶杯を、花は笑み浮かべて受け取る。
 二人がいるのは執務室ではなく、公瑾の私室。
 午後の仕事を終えた後、こうして公瑾の私室で過ごすことは日課になりつつあった。
 公の場ではなく、私的な場で公瑾といられることが嬉しい。
 恋仲になっても公瑾が感情を表に出すことは滅多にない。仕事中は特にそうだ。それが不満というわけではない。けれど、誰にでも見せる顔ではなく、自分にだけ見せてくれる素の公瑾をもっと見たいと思う。それが見られるのは、こういう時間だ。
 もっとも、一番嬉しいのは公瑾の傍にいられることだけれど。
「……甘い香りがしますね」
 花は湯気とともに立ち上る甘い香りに驚いたように瞳を瞬かせる。
「砕いた干李を入れてみたのです。たまには趣を変えるのもよいかと。甘い物はお好きでしたよね」
 そう言って公瑾は僅かに微笑んだ。
 どんな味がするんだろうとわくわくしながら、花は甘い香りを放つ熱い茶を啜った。
「甘酸っぱくて、すごく美味しいです。私、李って食べたことないんですけど、こういう甘酸っぱい味なんですか?」
「桃よりは酸味が強いですが、美味しいですよ。今は時期ではないので生果は出回っていませんが、干した李でしたらありますから、今度食べてみますか?」
「はい、ぜひ。楽しみです」
 瞳を輝かせて笑う花に公瑾は微苦笑を浮かべた。
「あなたは食べ物の話をするといつも幸せそうな顔をしますね」
 しみじみとしたような口調で言われて、花は目元を僅かに赤く染めた。心当たりがないとは言い切れないのが恥ずかしい。
「……いつもなんてしてないです」
 消え入るように小さな声で反論すると、公瑾は喉の奥でくくっと笑った。
「そのように頬を赤く染めて言われても、説得力に欠けますよ」
 花は更に頬を紅潮させて絶句した。恥ずかしいやら悔しいやらで、何も言い返せない。恨みがましく視線を向けても、公瑾の笑みは少しも崩れない。
「――ところで、花。その簪はどなたからの贈り物ですか」
 今朝から気になっていた疑問を公瑾は口にした。顔には出さないが、仕事中も気になって仕方がなかった。だが、花が執務室へ来てすぐ、書簡が山ほど届き、訊く機会がないまま夕方になってしまっていた。
「はい、芙蓉姫から。市で似合いそうな簪を見つけたから、って昨日手紙と一緒に届いたんです」
 そう言って嬉しそうに笑う花に、公瑾の瞳に不機嫌な色が浮かぶ。
 花が自分以外の男から贈り物を受け取るとは思えないし、恋人である自分の目を盗んで贈り物をするような命知らずな輩はいないだろう。ならば花自身が買ったか、尚香か大小姉妹の名前が出てくるかと思っていたし、そうであるなら贈り物に問題があるわけではない。もっとも気にはなるが。
 だが、芙蓉が花に似合うと書いてきたのが公瑾にとって問題だった。重大、とつけても過言ではない。
「……花、明日は市に行きませんか。 ゆっくり回ったことはないでしょう?」
 明日は公瑾が休みで、以前から一緒に過ごすことを約束していた。けれど、唐突過ぎる言葉に花は瞳を瞬いた。
 簪の話をしていたのに、なぜ市へ行く話になったのだろう。
 疑問に思いつつ、花は曖昧に頷く。
「あなたに贈り物をさせていただきたいと思いまして」
「え、でも、公瑾さんからは着物と簪と靴を貰ったばかりですよ」
「芙蓉殿からの贈り物は受け取れても、恋人である私からの贈り物は受け取っていただけないのですか」
「そんなことありません!すごく嬉しいです。けど、貰ってばかりで何も返せないから、悪いです」
「何もなどど…そんなことはありませんよ。私はあなたに貰ってばかりなのですから」
 公瑾は手を伸ばし、花の髪を飾っている簪を抜き取った。
「……それに、あなたを飾り立てるのは私だけでいい」
「公瑾さん…」
 囁かれて、花の頬に朱が散る。
「……私のわがままに花が頷いてくれる。それが返すことになっていると思いませんか」
 問うというより、そうだと断言している言い方に花は何も言えなくなってしまう。
 上手く丸め込まれてしまったような気がするが、「それとも、私と出かけるのは嫌なのですか」と駄目押しされて、頷かざるを得なかった。
 公瑾のこういうところは卑怯だと思うのだが、いつも彼の望む結果になってしまう。



 街中は活気に満ち溢れている。
 こうして街に出るのは久しぶりで、ただ歩いているだけで楽しい。
 曹孟徳の脅威がなくなったわけではないが、賑やかな場所にいるとそれを忘れてしまいそうだ。
 争いがない平和な国。
 それが花が望む未来。そしてそれを公瑾も望んでくれているはずだと思う。
「きゃっ!」
 すれ違いざま、背の高い男に身体をぶつけられ傾いた華奢な身体は、公瑾の腕に抱きとめられた。急いでいるのか、ぶつかった男は「悪いな、姉ちゃん」と謝罪の言葉を投げ、あっという間に人波へ姿を消した。
「大丈夫ですか」
「はい。ありがとうございます」
 花を助けた公瑾は自然な仕草で彼女の華奢な手を取って繋いだ。
「こっ、公瑾さん!?」
「はい?」
 花の焦るように上ずった声に返されたのは、いつもと同じ落ち着いた声。
 触れ合った温もりが嬉しいのは、手をつながれてどきどきしているのは私だけなのかな。
 少し寂しく思いながら、花は口を開く。
「あの、手……」
「また先程のようなことがないとも限りませんし、迷子になられたら困りますので。こうしていれば安心でしょう」
 素っ気無く言った公瑾の目元が僅かに赤く染まったのを見、花は頬を緩めた。
「……なんです?とつぜん笑ったりして。変な人ですね」
 瞳を眇めて何でもない振りをする公瑾がちょっと可愛いと思った。けれど。
「なんでもないです」
 そう言いながらも嬉しくて、花は頬が緩むのを止められない。
 楽しそうに笑う恋人を止めることはできないと悟ったのか、公瑾は諦めたような溜息をついた。
「ちゃんとついて来てください」
「はいっ」
 たわいない話をしながら街を歩くのは楽しくて、今頃になって、これってデートって言うのかな、と意識したら頬が熱くなった。
「……花?」
 急に黙り込んでしまったのを不思議に思い、公瑾は花へ視線を落とす。公瑾がいる側とは違う、左側へ視線を向けている彼女の耳が赤く染まっていた。
「っ!え、あっ…あのお店の可愛いなって見てました」
 花は慌てて首飾りや腕輪、髪飾りなどの装飾品が並んだ店を指した。可愛いと思ったのは嘘ではないが、公瑾が相手では誤魔化しは通用しない。
「表情と言っていることが一致していませんよ」
 呆れた声に、花は思わず「すみません」と謝ってしまった。
「何か私に謝らなければならないことを考えていたのですか?」
「違います……」
 じっと見つめられる視線に耐え切れず、花は小さな声で告げた。
 これってデートなのかなって思ったら、なんだか恥ずかしくなって……、と。
「でえと、というのは恥ずかしいことなのですか?」
 問われて瞳を丸くした花は、公瑾が不思議そうな顔をしている理由に気がついた。
 この世界では花が当たり前に使っていた単語が通用しないのだ。花は視線を上に向けてふさわしい言葉を考える。
「えっと、デートっていうのは…うーん……逢引き、みたいな意味で……」
「……それでなぜ恥ずかしくなるのです」
「それはそうなんですけど……」
「……まあ、あなたが変なのは初めてでもないですしね。 なんとなくわかりましたから、いいですよ」
 諦めたような言葉なのに声が優しかったから、花は怒れなかった。
 公瑾は花が気になると言った店へ足を向けた。


 京城へ帰る道すがら、花はずっと嬉しそうに笑っていた。
 あれから、公瑾が簪と耳飾りを選んで贈ってくれた。簪を選んでいる時、すごく真剣な顔をしていたのは、芙蓉と張り合っているのだろうかと思わせる表情で、それを思い出すとくすぐったいけれど、嬉しい。
 簪はつけられなかったが、耳飾りは店先でつけた。公瑾に一番に見せたかったからだ。耳飾りは親指の爪程の大きさの白い花がついている。白い珠を削って作られた花で、光の加減によってはそれを弾き、煌いて見える。
「公瑾さん」
「はい?」
「また今日みたいに一緒にでかけてくれますか? 簪とかを貰うのも嬉しいですけど、こうして公瑾さんといられるだけで嬉しいんです。公瑾さんが忙しいってわかってて言うのは、すごくわがままなんですけど……」
 徐々に声が小さくなっていく花に公瑾は困ったような、それでいて嬉しそうに、優しく微笑んだ。
「……いいですよ。 一緒にいられて嬉しいのは私も同じなのですから」
 街を出てからも繋いだままの手が、少しだけ強く握られる。
 それがどうしようもなく嬉しくて、花も同じように握り返した。公瑾は一瞬驚きに瞳を丸くし、可愛らしい恋人の仕草に頬を緩めた。
「……もう着いちゃいましたね」
 城の門が目の前に迫り、花が残念そうに呟いた時。
「手を繋いでるーっ!」
 甲高い声がして、花と公瑾は二人同時に手を離していた。
 触れ合う温もりが手放しがたくて、花の手を離さずに城に戻ったのを公瑾は激しく後悔した。よりによって見られたのが大喬と小喬だとは。
「慌てて離さなくてもいいのに」
「そうだよ。もっといちゃいちゃしてなよ」
「ねー」
「ちゅーしたりとか」
 異口同音に声を揃えて言われ、花は顔を真っ赤に染めて絶句し、公瑾は笑みを引きつらせ、こめかみに血管を浮かべたのだった。




―終―

君と手を繋いで5題 4.触れ合った温もり
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