いっそ壊してしまいたい




「…いっそ壊してしまおうか」
 物騒な言葉を発した声の主は、口端に笑みを浮かべている。
 本気なのか冗談なのか、表情からは読み取れない。
「どう思う?元譲」
「…さあな」
 仕事を放り出した孟徳を探しに来た元譲は、聞くつもりがないのに上司の呟きを耳にしてしまった。挙句、どう思うかなどと振られても答えようがない。孟徳の言葉が差すのが何であるのか理解できてしまうから尚更だ。
「壊してしまえたらいいのにな」
「………やめておけ」
 本気で実行しそうだと思った元譲は制止の言葉を投げた。


 今後誰も信用しないと孟徳が言ったのは、友の裏切りで危うく命を落とすことになった日の事。
 呪いじみた誓いは、その日からずっと続いている。
 けれど、それが揺らぎ始めたのは最近だ。
 信じないと誓ったそれは、面白くて可愛い少女が心の中に浸透するにつれ、ぐらついている。
 だが、だから壊してしまいたい、と思うのではない。
 花の存在が自分の中で大きくなり過ぎて、大切になり過ぎて。
 いっそ壊してしまえたら、誰の物にもならない。
 風切羽を切って飛べなくした鳥のように、彼女を閉じ込められるだろう。鳥籠という名の檻に。


「……会いに行ったらどうだ」
 僅かに目を伏せていた孟徳は、元譲へ視線を滑らせた。その目には軽い驚愕が浮かんでいる。
「公認で仕事しないっていうのもいいな」
「しなくていいとは言っとらん」
 仕事を全て放り出しかねないのを危惧し、元譲は渋面を作る。
「花ちゃんと逢うのに時間を気にするなんて面倒だ」
「お前の立場を考えれば仕方ないだろう」
「あー、はいはい」
 それ以上はもういい、聞きたくない、とばかりに孟徳は元譲を追い払うように手を振り歩き出す。
 孟徳が戻る事を願い、元譲は執務へと戻る為、上司が向かった先とは違う方へ足を向けた。



 確か午後は休みだと文若が言ってたな。
 数日前に得た花の情報を思い出し、孟徳は彼女の部屋へ向かった。
「花ちゃん、いる?」
「えっ、孟徳さん!?ちょっと待ってくだ――きゃああっ」
 悲鳴が聞こえ、返事を待つ事なく孟徳は扉を開けて部屋に駆け込んだ。
「花ちゃん!?」
 飛び込むようにして抱きついてきた花を受け止める。
 ぎゅうっとしがみついてくる花に孟徳はどうしたのか、と首を傾げた。
 まさか警備の隙をついて昼間から侵入者でも現れたかと思ったが、人影も気配も感じられない。
「ゆっ、…」
「ゆ?」
「ゆ、床に大きな蜘蛛がっ……!」
「蜘蛛?」
 花の震えた指先が指す先を追ったが、そこには何もいなかった。
「いないみたいだよ」
「え?」
 花は孟徳の上着を両手で掴んだまま、おそるおそる先程蜘蛛がいた所へ視線を向けた。
 いないことを確認し、花はほっと安堵の息をつく。
「よかった。どこか行ったみたいで」
「外に行ったとは限らないけどね」
 孟徳の何気ない言葉に花はさあっと青くなった。それを見て、少し意地悪だったかと思わないでもなかったが、本当の事だからしょうがない。
「しばらく部屋を移る?」
「え?」
「君の安全が確認出来るまで、部屋を移ったらいいよ」
「でも、そんな…」
「遠慮しなくていい。君のためなら部屋なんていくらでも用意する」
「…………いいんですか?」
「うん」
「……ありがとうございます」
 恥ずかしそうに笑う花に孟徳は笑みを返した。


 いっそ壊してしまいたい。
 そう思うけれど、壊したらきっと笑顔が見られなくなる。
 君が俺の笑った顔が好きと言ってくれたように、俺も君の笑った顔が好きだから。

 狂おしいほど、君が愛しい。
 でも君は本当の俺を知って、それでも好きと言ってくれるだろうか。
 言ってくれないなら、いっそ壊してしまえば君は俺の――俺だけのものになるのかな。

 君を永遠に手に入れられるのなら、優しくて物分りのいい大人の男を演じ続けてもいいけれど、それはもう出来そうにない。
 本当の意味で君を、君の全部を、手に入れたい。




―終―

初出・WEB拍手
狂おしいほど愛しい人に7題 2.いっそ壊してしまいたい
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