嘘も真実も声も言葉も、全部呑ませて




 頬を撫でるような優しい風が、木の葉をさわさわ揺らす音。
 鳥の鳴き声。
 柔らかな春の陽射し。
 長閑な春の一日を、ここ――東屋でゆっくり過ごす予定だった。
 作りたての茶菓子と淹れ立ての桂花茶を味わいながら、午後なら時間が空くという孟徳とおしゃべりをするつもりだったのだ、花は。丞相という地位にある孟徳は多忙を極め、銅雀台に移ってからはこれまでの比ではない忙しさで、一日顔を見ないという日もある。
 そんな中、孟徳が今日の午後は時間が空く――元譲に言わせれば、無理矢理に時間を作って、逢瀬ができることになった。
 久しぶりに孟徳と過ごせるとあって、花は嬉しかった。まだ慣れたとは言い難い、こちらの厨房で茶菓子を作るほどに。



「花ちゃん」
 名を呼ばれて、花は緩く首を傾けて、嬉しそうに笑う。
「孟徳さん。よかった、私もいま来たところなんで――」
 花が紡ぐはずの言葉は喉の奥に消えた。不意に孟徳に抱き寄せられ、唇を塞がれてしまったから。
 息苦しさを覚えて孟徳の胸を押すが、口付けからは開放されない。どころか、深く口付けられ、頭の芯がぼうっとして、身体に力が入らなくなる。
「………ん…ッ…」
 もう限界と思った時、ようやく開放された花は、茶色い瞳を息苦しさで潤ませていた。
 突然の行為に文句を言いたいのだが、呼吸が乱れて言葉にならない。だから、じと目で孟徳を睨んだ。
 目は口ほどにものを言う。
 そんなことわざが中国の三国時代――に似た世界にあるかどうかはわからないが、花の無言の抗議は孟徳に伝わったようだった。
「えーと、ごめんね?」
 なぜ謝罪の言葉が疑問系なのか。
 そこは素直に謝ればいいのではないだろうか。
「言葉よりも表せるかと思ってさ」
「……な、に…を…?」
 花は乱れた息の下、端的に訊いた。
「そりゃもちろん、愛情だよ」
 にこにこにっこり。周囲に花が飛んでいそうな笑顔で孟徳は言い切った。
 どこをどう突っ込んだらいいものか。
 どういう顔をしたらいいのかわからなくて、花が知らず無表情になってしまったのは、仕方ないと言えよう。
「ねえ、伝わったかな。俺の愛」
 笑顔から一転、真顔で言うから、咄嗟に言葉が出なかった。
「花ちゃん」
 大きな手に頬を包まれる。
 覗き込んでくる瞳に、心が捕らわれる。
「嘘も真実も声も言葉も、全部――」
 君に呑ませてしまいたい。
 そっと重なった唇は驚くほど優しくて、甘美だった。




―終―

初出・WEB拍手
甘やかな3つの願い「2. 嘘も真実も声も言葉も、全部呑ませて」
Fortune Fate様(http://fofa.topaz.ne.jp/)

戻る