妬かれる幸せ




 日が翳り、夕闇が迫っている刻限。
 木々や建物の影が細く長く伸びている。
 その中で、槍を手に動く人影があった。その人影――子龍を、花は少し離れた場所から見つめていた。
 彼の金髪が夕日に照らされ、輝いてみえる。
 背は高い方ではないけれど、背中がとても頼りになることを花は知っている。
 無駄のない動きで槍をさばく姿は剣舞にも似て、見惚れてしまうほど優雅だ。
 私の婚約者、なんだよね……。
 数日前の出来事を思い出し、花の白い頬がほんのり赤く染まる。
 子龍を好きになって、好きですと告げられ、求婚されたのが夢のようで。けれど、こうして子龍を見つめる日々が、言葉を交わす毎日が、夢ではないと教えてくれる。
 こうしてずっと子龍君と一緒にいられるんだよね。
 そう思うと、嬉しさに頬が緩む。


 子龍が鍛錬する姿を見ていると、不意に淡碧の瞳が向けられた。
 見れば、彼は槍を地に立てている。
 鍛錬が終わったのか、子龍は花の元へやってきた。
「子龍君、これ使って」
「ありがとうございます」
 花が差し出した手拭いを受け取り、汗が浮かぶ顔を拭う。
「……子龍君」
「はい」
「これから少し時間取れないかな」
「これといった予定もないので大丈夫ですが」
 その言葉に花はほっとしたように微笑んだ。
「あのね、子龍君とお茶をしたいの。昨日、師匠がお茶をくれたの。珍しいんだよって言ってたから、それなら子龍君と飲みたいなって思って」
「花殿」
 些か硬い声で名を呼ばれ、花は不思議に思い首を傾げた。
 お茶に誘うなんていきなりすぎたのだろうか。
「駄目だったかな?」
「いいえ、そんなことはありません。お誘いはとても嬉しいです。ですが、その――」
 一度言葉を区切り、眉を顰めた。彼がこういった苦々しい顔をするのを花は初めて見た。お茶に誘ったのが駄目ではないのなら何が、と顔に書き花は子龍を見つめる。
「……孔明殿とお会いしたと仰いましたが、いつお会いになられたのかお訊きしてよろしいでしょうか」
 情報収集のために城を空けていた孔明は、昨日予定通りに戻ったことを子龍が知ったのは今朝だ。その話を雲長から聞いた際、夜遅かったらしいことも聞いていた。だからこそ気になる。
 いつもと違う雰囲気の子龍に内心首を傾げて、花は答えを唇に乗せる。
「寝る少し前だよ。玄徳さんに帰城の挨拶をしてから部屋に来てくれたみたいで、その時にお土産だよってお茶をもらったの」
「あなたは少し迂闊すぎます」
 子龍は花の言葉が終わると間髪入れずに言った。
 僅かに鋭い声に花は瞳を瞬いた。
 迂闊って何がという顔をしている花に、子龍は溜息をつき、いいですか、と子供に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「夜遅くに部屋を訪ねてくる者を部屋に入れるなど軽率です。それがたとえあなたの師匠であっても――いえ、孔明殿だからこそ入れないでください。危険です」
「危険…?」
 子龍は東屋の一件以来、孔明を警戒しているのだが、花はどうにもわかっていないらしい。
 孔明が花の手を握ったのを見ただけで腸が煮えくり返るような思いをし、それをやめて欲しいと言ってから気をつけてくれているようだが、もう少し警戒心を持って欲しい。
「そうです。とにかく、孔明殿ではなくとも、女人の部屋を夜間に訪ねるような非常識な輩と二人にならないでください」
「う、うん、気をつけるよ」
 子龍の迫力に押されるようにして、花はこくこくと頷く。
「それなら結構です」
 子龍がほっとしたように息をつく。
「……なんだかよくわからないけど、子龍君が安心したならよかった」
「安心はしていませんよ。なにしろ相手は孔明殿なのですから」
「…………あの、もしかして、師匠に妬いてたり、とか?」
「――っ」
 目元を僅かに赤く染め視線を外す子龍の姿が、答えだった。
「ありがとう」
「は?」
  突然何をと眉を顰めた子龍の口から、間の抜けた声が出た。
「子龍君が妬いてくれたってことは、それだけ好きでいてくれるってことかなって。あのね、怒らないで聞いて欲しいんだけど……妬かれるのって幸せだなって思っちゃった」
 子龍は一瞬ぽかんとした顔をし、微苦笑した。
「あなたには適わないですね」
「え?」
「なんでもありません。 それより、風が出てまいりましたから、中へ入りましょう」
「あ、そうだね。……ね、手を繋いでもいい?」
 子龍は刹那瞳を瞠り、返事の代わりに華奢な手を包むように取って繋いだ。
 花の部屋へと行き、そこで二人でお茶をしながらゆっくり過ごそうとした矢先、その瞬間を待っていたかのように孔明が来訪し、東屋の攻防さながらの事態にとなったのだった。




―終―

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嫉妬まじりの恋のお題 09. 妬かれる幸せ
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