時よ、止まれ




「望美さん、大丈夫ですか?」
 気遣わしい声に、ええ、と頷く。
「弁慶さんが薬をくれたから、もう平気ですよ」
 そう言って、望美は薬を調合してくれた本人に笑ってみせた。
 だがそれが虚勢であることなど、誰の目から見ても明らかだ。
 もとから肌の色が白い彼女だか、今日はそれに拍車をかけて白い。
 気丈に振る舞っていても、ここの―――平泉の地に馴染んでいないのがわかる。
 隠された呪詛を祓ってはいるものの、全てを祓ってはいない。
 龍脈が汚された状態で無理をしようものなら、倒れてしまっても不思議はない。
「春日先輩、無理しないでください」
「譲の言う通りだぞ、望美。お前、顔が青いじゃないか」
 心配そうに眉を寄せて声をかけた譲に、久郎が同意の色を示す。
「無理しねえで休んだほうがいいって」
 高館を飛び出してしまいそうな幼馴染みに、胸の前で腕を組んだ将臣が言った。
 その声に重なるようにして、少し高めの男の声が響く。
「姫君。いま無理してもいい結果はでないぜ?」
「でも被害が大きくならないうちに早く解決しないと」
「神子、気持ちはわかる。だが、今日はゆっくり休養すべきだ」
「うむ。敦盛の言う通りだ。今日は休みなさい」
「先生‥‥」
 皆に止められて困った望美は、縋るような瞳を親友に向けた。
 だが、朔は首を横に振って反対の意を示した。
「だめよ、望美。今朝も倒れたじゃない。無理してあなたに何かあったら私…」
 朔が白い頬を細い指先で押さえて眉を曇らせる。
 こういう表情をした朔は、許してくれない事が多い。
「呪詛の種の情報は私たちが集めてくるから。神子は休んでいて」
 白龍が諭すように声をかけるが、望美は首を横に振って譲らない。
 若草を閉じ込めたような瞳には、強い意志が宿っている。
 その彼女を留めることは、非常に困難そうだ。
「そんなのダメだよ。私もみんなと行く」
 頑として譲らない望美に、一人欠けた八葉と、朔と白龍は苦笑した。
 梃子でも動かない、というのはこういうことを言うのだろう。
 そんな望美を高館に留まらせることができる方法は、ひとつしかない。
「今日は休みということにしませんか?」
 にっこりと笑みを浮かべて、弁慶が提案する。
「そうしましょう。それなら望美も休んでくれるでしょう?」
 優しく微笑む朔にどうしたものかと、望美は視線を周囲に走らせた。
 望美を取り囲む一団は弁慶の提案に納得したようで、雰囲気が「休め」と物語っている。
 確かに身体はだるいくて重い。こんな状態ででかけても皆に迷惑をかけるだけだ。
 皆に守られているだけではなく、皆を守りたい。
 その為には気力と精神力だけではどうにもならない。それにともなう体力も必要だ。
 それに、皆が自分の身を案じてくれているからだと言うことがわかる。
 それを察していて自分の意志を通すほど望美は浅慮ではない。
「うん、わかったよ。じゃあ、今日はお休みにしよう」
 そう宣言した所へ、足音が近付いてきた。
「皆様お揃いでどうかなさったのですか?」
「あ、銀。おはよう」
 手を振って微笑む望美に、銀は紫苑の色をした切れ長の瞳を和らげて、優雅な仕草で頭を下げた。
「おはようございます、神子様。 本日はどちらへ参られますか?」
「あ、そのことなんだけど…今日はお休みにしようと思うの」
 今日が休みになった理由を手短に説明すると、銀は「そうでしたか」と頷いた。
 そして、望美の若草色の瞳を紫苑の瞳で見つめて。
「神子様、本日は――いえ、なんでもございません。
私は控えておりますので、ご用がありましたらお呼びください」
 何かを堪えるように掌を握って、銀はふいと望美から視線を逸らした。
 ずきん、と胸が痛んで、気がついた時には、彼の衣の袖を引いていた。
 望美は無意識にしてしまった己の行動に白い頬を赤く染めつつも、指を離そうとはしない。
「神子様?」
 首を傾げて問うてくる銀に、望美はほんの少しだけ視線を逸らした。
「あの、用があるわけじゃないんだけど‥‥‥」
 言い淀む望美の心を察した弁慶とリズヴァーンが、皆にこの場から立ち去るように促す。
 もっとも、彼らに促されないと動かなかったのは、久郎と譲の二人だけだったが。
 泰衡の腹心の部下である銀を全く疑っていない訳ではない。
 色々な意味で銀は目を離せない存在だ。
 だが、望美が彼といることを望んでいる以上、それを邪魔をするような野暮な真似はできない。
「一緒にいてくれないかな?」
 ちらりと銀を見つめて言った望美がとても可愛らしくて。
 銀はそれは優しい微笑みを浮かべて彼女を見つめながら。
「はい、神子様の御心のままに」
「ありがとう、銀」
 可憐な野の花、と銀が表現したままに、望美が笑う。
 心が溶けていくような、優しい笑顔だ。
「では、お部屋に参りましょうか」
「うん」
 嬉しそうに微笑む望美に、銀もつられて微笑む。



 あなたが私の傍におられる

 それだけで幸福だと思っていたのに

 あなたはそれ以上の幸福をいつも私にくださる


 時が止まればいい


 止まってしまえば、私はあなたのお傍にいることを許される

 神子様 今だけでいいのです


「あなたのお傍にいさせてください。―――望美様」


 切なくも甘い声が、静寂な空気に溶けて消えた。
 彼の言葉に答えるように、眠りの淵にある望美が柔らかく微笑む。
 銀は紫苑色の瞳を瞬きさせて、なんとも言えない表情を浮かべた。
 だがそれは一瞬で消えて、銀は紫苑の双眸を細めて穏やかな微笑で望美を見つめて。



「私はあなたを愛しています」



 今は伝えることのできない心を薄い唇に乗せた。




【終】



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