眩い輝きを放つ銀色の月を煽ぎ見る。 今日は満月―――十六夜の月が地上を照らしていた。 幾度目の十六夜なのか。もう、わからない。 六波羅で過去に遡って、初めて銀に逢ったのは十六夜の月が輝く夜だった。 宴に飽いた銀は、夜桜を愛でていた。そこへ望美が表れた。 十六夜の月になぞえて、銀は望美を『十六夜の君』と呼んだ。 ほんの僅かな逢瀬ではあったが、ここから運命が動き出した。 そして、あの日も十六夜の月夜だった。 福原を攻めて、源氏は雪見御所を落とした。 その後、屋敷に残らずに戦場へ戻った望美は、生田の森の中で銀―――重衡と再会した。 あの時に彼が言ったように二人で逃げていたら、運命は違っていたのだろうか。 神子ではなくただの女であったなら、迷わずに逃げていたかもしれない。 けれど、神子であったから銀と出逢う事ができたのかもしれない。 月の光 今、こうしてここにいることが何よりの証だというのに。 十六夜の月を見ると、ふいに心をよぎる。 六波羅での逢瀬の後、十六夜の月を見る度に、銀を想って胸が張り裂けそうだった。 進んでいく運命の先に彼がいることがわかっていた。 運命を変えて銀を助けると決めていたけれど。 あと何回、十六夜の月を見れば辿り着けるのか、と。そればかり考えていた。 源氏の神子と呼ばれ、将という立場にあったとしても、心は銀に捕われていたから。 埒もないことだと、望美は頭に浮かんだものを振り払うように頭を振った。 夜風に艶やかな藤色の長い髪が揺れ、白い頬にかかった。 細い指で頬にかかった髪を耳にかけて、望美は短く嘆息した。 「銀が傍にいてくれる。それだけで十分じゃない。贅沢だな、私」 二人は生田の森で再会し、互いの想いを伝えあった。 戦いに戻ると言った重衡を望美は必至に止めた。けれど、彼は戦場へ戻ってしまった。 その後、何が起こったのか、どうして平泉で泰衡に仕えていたのか。 自分たちが平泉に落ち延びる途中で銀に出逢うまでの出来事は、記憶の戻った本人の口から聴いた。 けれど、それ以外に望美は知りたいことがある。 訊けば銀は答えてくれるだろう。けれど―――。 「何が贅沢なのですか?」 穏やかな声と同時に、細い身体が温かなものに包まれた。 後ろを振り返ると、穏やかな微笑みを浮かべた銀が立っていた。 「銀…聴こえてた?」 銀は困ったように笑う望美の隣に腰を降ろして、彼女の顔をそっと覗き込んだ。 若草色の瞳が淋しそうに揺れている。 「申し訳ありません。聞くつもりはなかったのですが、聞いてしまいました」 謝罪を口にした銀に望美は首を横に振った。 そして、肩にかけられた夕焼け色をした衣の前を引き寄せて。 「謝らないで。こんな所で独り言を言った私がいけないんだもの」 呟いて、望美は宵闇に染まった空を見上げた。 銀色に輝く月の光に、望美は若草色の双眸を僅かに細める。 「今日は十六夜でしたね」 夜空を見上げた銀が言うと、望美の細い肩が微かに震えた。 それが寒さのせいではないと気付き、紫苑色の切れ長な瞳が細められた。 「なにかございましたか?」 「ううん。なにもないよ。心配しないで?」 「神子様…私ではお力になれませんか?」 「え?」 「そのように愁いた瞳のあなたを放っておけません」 銀は固く長い指で、望美の白い頬に優しく触れた。 紫苑の瞳に真摯な光が浮かんでいるのがわかる。 まっすぐに見つめられて、どくんと鼓動が跳ねた。 「愛しい人。どうか私を頼ってください」 穏やかな声なのに、それには拒めないような何かが含まれているようで。 望美は泣き出しそうに顔を歪めて、赤い唇をきゅっと噛み締めた。 聞いていいのだろうか。 口にしていいのだろうか。 銀に呆れられたくない。嫌われたくない。 その感情が望美の口を塞いでいる。 「……聞いたら呆れるよ」 ようやくそれだけを口にして、望美は俯いた。 膝の上で組まれた細い指先が、少し震えている。 その手を銀は大きな手で優しく包み込んで、柔らかく微笑んだ。 「呆れませんよ」 「…本当に呆れない?」 念を押して訊いてくる恋人に銀は頷いて。 細い手に添えた手にほんの僅かに力を込めた。 「ええ。私は神子様に真実のみを申し上げておりますから」 優しい微笑みで告げる銀に望美は小さく頷いて、心を決めたように若草色の瞳で銀を見つめた。 「あの時…銀の手を取っていたら違っていたかもしれないって考えてた」 生田の森の中で、奇蹟に近い確率で出逢った。 それは、十六夜の逢瀬が幻ではなく確かにあったことだと決定づけた。 「あそこから逃げていたら、銀が呪詛を刻まれることなんてなかったかもしれない。 違う運命になっていたんじゃないかって。 そう考えたら苦しくて…私のせいで銀が――」 「それは違います」 望美の言の葉を静かに聞いていた銀が、続く言の葉を遮った。 紫苑の双眸に深く優しい光が宿る。 「神子様のせいではありません。 私はあなたを傷つけたくなかった。だから、あなたを連れて逃げられなかった。 咎は私にあるのです。だからどうか泣かないでください」 白く細い指が眦に伸びるより先に、長くしなやかな指がそこへ伸びて。 優しくいたわるように透明な雫を拭う。 「あなたと別れたから、私はここにいるのです。 呪詛の種を埋められなかったら、私はあなたと逢えなかった」 「でもっ」 潤んだ瞳で真っ直ぐに見つめてくる望美が口にしたいことを読み取って、銀は言の葉を薄い唇に乗せる。 「それが最善だったかどうかはわからない。 けれど、今ここにこうしていることが真実でしょう?」 鍛えられた腕が細い身体に回されて。 気付いた時には、その腕にしっかり抱きしめられていた。 銀から沈香がふわりと馨る。 「あなたが私の傍で微笑んでくださる。それだけで私は幸せですよ」 「銀…」 「十六夜の君、あなたは?」 御簾越しの逢瀬の時のように、銀が微笑む。 紫苑色をした切れ長の瞳は、凪いだ海のように静かだが、奥に熱い炎が宿っている。 「銀がいるから‥‥」 「私がいるから?」 戸惑う望美に銀が続きを促す。 望美は僅かに視線を泳がせて、広い胸に赤く染まった顔を埋めた。 「幸せだよ」 耳に届いた小さな声に、ふふっと微笑んで。 銀は細い身体を抱きしめている腕の力を強くした。 「愛しています、神子様」 藤色の柔らかな髪を梳くように撫でると、望美がゆっくり顔を上げた。 白い頬が薄紅色に染まっている。 その表情を微笑みを浮かべて見つめていると、ゆっくり唇が動いて。 「私も…愛してます」 可憐な唇から紡がれた愛の囁きに、紫苑色の瞳がよりいっそう愛し気に細められる。 白い頬に手をそえると、若草色の瞳が恥ずかしそうに閉じられた。 「望美様、愛しています」 唇が触れる直前にもう一度想いを囁いて、銀は望美の柔らかな唇を深く塞いだ。 十六夜の月が雲に隠れ見えなくなっても、重なった二つの影は一つになったままだった。 【終】 戻る |