二人で 地上に落ちた枯葉が乾いた風に踊り、宙へ舞い上がる。 間もなく夕陽が沈み、夜が来る刻限だ。 「…寒くなってきたな」 一人ごちて、冷たくなってしまった手に息を吹きかけた。 温かいのは一瞬で、すぐにまた寒さが指先へ戻ってくる。 夜が近づいている今、足元から這い上がる寒さは全身へ広がっていく。 微かに身震いして、千尋は纏った外套を引き寄せた。 「………風早、遅いな…」 なかなか戻ってこない待ち人の名を呼んで、千尋は溜息をついた。 風早は早朝から岩長姫と一緒に橿原宮の南の地へ出かけている。風早が急な仕事で宮を出たと聞いたのは、朝陽が昇ってからだった。 今日は風早の誕生日だから一緒にいたかったのだが、仕事の邪魔はできないので仕方が無い。 帰りは夕刻になると思うわ、と姉から聞いた千尋はせめて数刻だけでもと思い、宮の浜床で風早を待っているのだ。 王宮警護の責任者である忍人は千尋が風早を外で待つことに反対していたが、なんとか説き伏せた。とは言え、風邪でも引こうものなら烈火のごとくに説教されるだろうことは明白だ。 じっと待っているだけというのは、時間がとても長く感じる。もっとも、出雲の地で敵陣に切り込んでいった風早を、天鳥船で成す術もなく待っていたのとは比較にならないけれど。あの時のことは今思い出しても、身体を千に引き裂かれる思いがする。 だんだん暗い方へ向かう意識を、千尋はかぶりを振って追いやった。 彼を笑顔で出迎えようと思っているのに、暗い顔をしていたら心配させてしまう。 気を取り直すように千尋がぺちぺちと頬を軽く叩いた時だった。篝火に二つの影が照らし出される。ほどなくして、二つの影の顔がはっきり見え始めた。 「二人とも、おかえりなさい!」 千尋は二人にたたっと近づき、笑顔で出迎えた。 「この寒い中、待ってたのかい?」 岩長姫は呆れたような、感心したような顔で言った。 「姉様と忍人さんは反対してたんですけど、羽張彦さんが助けてくれて」 苦笑しながら説明をする千尋に、岩長姫はやれやれと溜息をついた。 けれど、千尋の風早への気持ちを知っているので、軽く受け流した。 「風早。報告はあたしがしとくから、あんたは千尋を部屋に連れていきな」 岩長姫は胸の前で腕を組んで、弟子に向かって言った。 風早は金色の瞳を瞬いて、すみません、と微かに微笑んだ。 「よろしくお願いします、先生」 「礼なら猪鍋でいいよ」 岩長姫は頭を下げる風早にからから笑って、千尋に一声かけると宮中へ消えた。 「ごめんね、風早。私も手伝うから」 手伝うというのが、猪狩りのことだとわかった風早は首を傾げて微笑んだ。 「俺一人でも平気ですが、千尋がそう言うのなら手伝ってもらうことにします。 最近は二人で出かける機会もなかったですしね」 「風早…」 ふふっと微笑む風早に、千尋は頬をほんのり赤く染めた。 風早には心の中までお見通しなのかな…。 胸の内で呟いて、千尋は瞳に嬉しそうな光を浮かべ、照れくさそうに微笑んだ。 「早く中に入りましょう」 すっかり身体が冷たくなっています、と風早は細い身体を抱き寄せるように抱えて、宮へ足を向けた。 宮の中は篝火が灯され、それが薄暗い廊を照らしている。 「風早」 「はい」 名を呼ばれた風早は、主へと金色の双眸を向けた。 薄闇の中でも美しい蒼瞳と視線が絡まる。 「私の部屋じゃなくて、あなたの部屋に連れていって」 隣を歩く風早を見上げて千尋は言った。 「かまいませんが、どうしてです?」 不思議に思って風早は訊いた。 だが返ってきたのは、『ないしょ』という言葉と柔らかな微笑み。 風早は一瞬だけ瞳を見開いて、ついで穏やかな微笑みを浮かべた。 彼女の表情から察するに、悪いことではないだろう。 そうして千尋と一緒に自室へ向かい扉を開けた風早は絶句した。一瞬、部屋を間違えたかと思った。 だが、棚や壷、机に積んだ本、椅子、寝台も全て、自分の部屋にあるものと同じだ。 今朝、部屋を出た時のままなのは変わらない。けれど、今朝はなかったものが部屋の中央にある。 「千尋、これは?」 おそらく千尋が用意したのだろうということはわかった。瞳に映っているものが、彼女の言う『ないしょ』なのだろう。 だが、さすがに状況まで読み取る力はない。たとえ神の力が残っていたとしても無理だ。 「やっぱり忘れてると思った」 そう言って、千尋はふふっと楽しそうに微笑んだ。 今日、千尋と何か約束をしていただろうか。 いや、そもそも千尋との約束を忘れるはずがない。 風早は必死に考えを巡らせたが、答えはでなかった。 「すみません、千尋」 不意に眉を曇らせた風早に千尋は慌てた。 風早は勘違いをしている。早く間違いだと言わなければ。 「違うの、風早。ちょっと驚かせたいな、と思っただけで、風早が約束を忘れてるとかじゃないわ」 千尋の言葉に風早はほっと胸を撫で下ろした。 彼女との約束を破っていたらと気が気ではなかったが、杞憂だったことに安堵する。 けれど、やはり部屋に夕食の用意がされている意味はわからない。 料理は大勢で食べたほうが美味しいから。千尋がそう言うので、食事は毎食広間に用意され、数人で食事をするのが日常茶飯事になっている。 それなのに今夜は何故なのか。 「今日は風早の誕生日でしょ」 「…言われてみればそうですね」 千尋が幼い頃に誕生日はいつなのか訊かれて、今日――11月11日が誕生日なのだと風早は答えていた。 風早は千尋の誕生日はしっかり覚えているのだが、自分の誕生日のことは気にしていない。豊葦原に還ってきてから、それは尚更だった。こちらの世界には暦はあっても、カレンダーという便利なものはない。だから何月何日だと数えていなければ時折わからなくなる。 「ずっと那岐と三人でお祝いしてたけど、那岐には『蹴られたくないから遠慮する』って言われちゃった」 「那岐らしいですが、気を遣わせてしまったようで悪いですね」 「うん」 頷いて、千尋は風早から僅かに視線を外した。 「でも、私は風早と二人きりって憧れてたから、嬉しかった」 そう口にするや否や、千尋の白い頬が椿のように赤く染まっていく。 千尋の言葉に風早は目元をほんのり赤く染めた。 あまりにも可愛らしいことを言う少女が愛しくて、言葉がとても嬉しくて。 独占的な愛は自分には無縁だと思っていたのに、素直に嬉しいと感じた心はそれは違うと告げている。 「……風早は?」 ちらりと視線を寄越す千尋に、風早は頬を緩めた。 「俺も嬉しいです」 金色の瞳を細めて、風早は微笑んだ。 彼の微笑みに、千尋はまだ少しだけ赤い顔のまま微笑みを返した。 「お誕生日おめでとう、風早」 「千尋、ありがとう」 風早は身をかがめて、可憐な唇へ優しいキスを落とした。 それから二人で、夜空の頂に月が昇り輝き出す刻限になるまで、ささやかな誕生日パーティを楽しんだ。 【終】 戻る |