あなたの望みは俺の望み




 赤く色づいた紅葉の葉がひらりひらりと舞っている。緩やかに弧を描いて舞い、川面へ落ちる。
 水面に浮き、流れていく紅葉は美しいが、どこか物悲しく感じる。
 つい先日近くを通りかかった際に見た時は、綺麗だとしか思わなかったのに。
 川岸に座り込んで秋空を見上げていた千尋は、ふと地面へ視線を落とした。無数の細かな砂利が青瞳に映る。
 親指の先程の大きさの石を右手で拾い、無造作に川へと投げた。ぽちゃん、と水音がして石は川の中へ沈んだ。
「………そろそろ戻らなきゃ」
 天鳥船にいる仲間が戻って来ない自分を心配している頃だろう。
 そうわかっているのに、戻る気になれない。
 いつものように笑って風早の顔を見ることができそうにないから。
 自分が幼い頃から側に仕えてくれている彼は、千尋の変化に聡い。
 うわべだけの笑みなど、心配ごとを抱えて沈んでいることなど容易く見破るだろう。彼は深く追求してくる人ではないけれど、きっと――否、絶対に心配させてしまう。
 風早の心配そうな顔は見たくない。穏やかに微笑んでいて欲しい。
「……何も知らないくせに…っ」
 湧き上がる怒りに任せ呟いて、千尋は唇をきゅっと噛み締めた。


 狭井君から神邑へ来るようにと天鳥船へ遣いが来たのは今朝のこと。
 一人で来て欲しいとのことだったので、千尋は遣いと一緒に神邑を訪れた。
 狭井君の所へ行くと重大な話らしく、彼女は人払いをして千尋と二人きりになった。
 そして、用件を切り出した。
「姫は中つ国の王になられる方。従者との恋など認められません。
風早殿とこれ以後は距離をおかれてください。いいですね」
 否を言わせないような瞳で言われても、千尋は頷かなかった。
 頷けるわけがない。
 狭井君が認めなくても、他の誰が認めなくても、千尋が好きなのは風早だ。
「いやです」
 狭井君の瞳を真正面から受け止めて、千尋はきっぱりと否定した。
「本気で仰っているのですか?」
 淡々とした狭井君の声がわずかに低くなるが、千尋は怯まない。
「ええ。私は風早が好きです。距離をおくなんてできません」
 千尋の言葉に狭井君は眉間に軽く皺を寄せた。
「……姫にご理解いただくには、今少し時間が必要なようですね」
「時間をおいても私の答えは変わらないわ」
 話がそれだけでしたら帰らせていただきます、と告げて、千尋は足早に神邑を出た。
 狭井君の命令で数人の官人が後ろから追いかけてきたが、一人になりなくて官人たちを巻いて逃げた。彼らには悪いけれど、狭井君の側に仕える人たちに傍にいて欲しくなかった。
 胸の奥がムカムカして、言いようのない怒りが腹の底から湧いてくる。
 ずんずんと怒りに任せて走った千尋は、いつのまにか十津川へ来ていた。


 動くことができずにぼんやりと景色を見ていた千尋の耳に、カサっという音が届いた。
 音がした方へ視線を向けた千尋は、驚きに蒼瞳を瞠った。
「かざ、はや…」
 名を呼ばれた風早は、ほっとした顔で息をついた。そして千尋の元へ駆けつける。
「無事ですね、千尋」
「あ…ごめんなさい。ちょっと気分転換したくて」
 千尋は立ち上がって、衣服の砂を手で払った。
 心配させちゃったね、と微笑む千尋に、風早は眉を曇らせる。
「何があったんです?」
「え、何もないよ」
「それならなぜ、泣いているんですか?」
「えっ…」
 驚く千尋の目元から、涙が一筋頬を流れている。
 千尋は反射的に顔へ指を伸ばした。指先が濡れた感触がした。
 そして、ああ本当だ、と自分ではない誰かが頭の中で言った気がした。
「……狭井君に何を言われたんです?」
 自分の言葉に細い肩がぴくりと反応したのを、風早は見逃さない。
 やはり思った通りだ。
 天鳥船に神邑の官人たちが来て、千尋は彼らと神邑へ向かった。帰路は送るので共は不要だと、風早は主に付いていくことができず、天鳥船で千尋の帰りを待つしかなかった。風早だけでなく、千尋を信頼する仲間も慕う仲間も全員が彼女の帰りを待っていた。
 それなのに昼近くになって天鳥船を訪れた官人たちから報告されたのは、「二ノ姫を途中で見失った」ということだった。
 人員を割いて探していると言われたがあてに出来ないと、自分達も千尋を探すために天鳥船を出た。
 風早は千尋がどこにいても探せるので、誰よりも早くに彼女を探し出せた。
「…風早は…傍にいてくれるよね?離れないよね?」
 泣き出しそうな瞳で真っ直ぐに見つめてくる千尋に、風早は頷いた。
「千尋が望む限り、俺はずっとあなたに仕えますよ」
 その言葉に千尋は蒼瞳を見開いた。
「違う!そういう意味じゃないっ!」
 千尋は左右にかぶりを振って、声を上げた。
「私は風早が好き!だから傍にいて欲しいの!」
「千尋…」
 風早は苦しげに眉を寄せた。
 自分も彼女と同じ気持ちだ。けれど、どんなに彼女を想っていようと、最後の一線は越えられない。越えてはならない。
 千尋は人だが、自分は彼女とは違う。この姿は仮のもので、自分は人ではない。
 だから、どんなに彼女を想っていても、気持ちを告げることは許されない。
「あなたが好き。大好きなの」
 千尋は風早に飛びついて、彼の唇へ自分のそれで触れた。
「好きなの、風早」
 蒼瞳を涙で潤ませた千尋は風早を見上げてもう一度言った。
 彼女の揺れる瞳が、彼女の全身が、自分を好きだと訴えている。
 手を取っては駄目だとわかっている。
 わかっているが、止められない。
 これほどまで彼女に望まれ、欲され、気持ちに嘘をつくことなど出来はしない。
 風早は華奢な身体をぎゅっと抱きしめて、可憐な唇へ口付けた。
「……愛しています、千尋」
「かざ…っん」
 千尋が名を呼ぶ前に、風早は彼女の唇を奪った。
 貪る様な熱いキスに、千尋は息をする間もない。僅かに風早が離れた隙に酸素を欲して唇を開いたが、隙間から舌が入り込んできた。舌を絡め取られ、意識が飛びそうになる。
 幾度目のキスをかわしたかわからない頃、風早はゆっくり唇を離した。
「…すみません。大丈夫ですか?」
 赤い顔で呼吸を整えながら、千尋はコクンと頷いた。
「……風早って…」
 情熱的なんだね、と千尋は呟いた。
 彼女の呟きに風早はくすっと微笑んで、黄金色の髪を長い指でそっと梳く。
「千尋にだけですよ」
 愛しい人の耳元で甘く囁いて、もう一度ぎゅっと抱きしめた。




【終】



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