雪の夜




 常世の国との戦いが終わり、豊葦原に安穏とした日々が返ってきてから、もうすぐ一年になる。
 王として過ごして来た日々が過ぎるのは、あっという間だった。
 あと一月弱で今年も終わり、新しい年がくる。今は年始初めの行事の調整をしていて、忙しい日々が続いている。
 陽が沈み周囲が夜の帳に包まれた頃、執務を終えた千尋は椅子に座ったまま、ぐんと腕を上へ伸ばした。背中と腕がほぐれていくようで気持ちいい。
「お疲れ様でした、千尋」
 千尋がふぅと息をつくと、傍らに控えている風早が労いの言葉をかけてくれた。蒼瞳を風早へ向けて、千尋は頬を緩める。
「ありがとう。それから、風早もお疲れ様」
 椅子から立ち上がり、千尋は風早に抱きついた。部屋の中にいるのが二人だけなので、注意する人は誰もいない。
 風早は抱きついてきた細い身体をふわりと包むように抱きしめながら、彼女の黄金色の髪を長い指で梳く。去年の今頃は肩口程の長さだったが、今は背の中程まで伸びている。
「髪、伸びましたね」
 黄金色の髪を一房手に取って、それに唇で触れた。風早の仕種に千尋は白い頬を赤く染めて、彼を見上げた。穏やかな色を浮かべた金色の双眸と視線がぶつかる。
「また伸ばそうと思って」
「ええ。短いのも似合いますが、長い方が千尋らしくていいと思います」
 微かに首を傾けて、風早が穏やかに微笑む。
 こうして彼が穏やかに微笑んでくれる時、彼の瞳に自分だけが映っている時、とても幸せな気持ちになる。
 触れる温もり、聞こえる胸の鼓動、柔らかな声。何もかもが愛おしい。
「…小さい頃みたいにまた梳いてくれる?」
 不意に思いついて、冗談交じりにそんなことを言ってみた。
 風早は金色の瞳を驚きに丸くして、ついで柔らかく細めた。
「千尋が望むのであればいつでも」
 にっこりと微笑む風早に、軽い気持ちで口にしただけの千尋は焦った。
「今のは忘れて!ちょっと言ってみただけだからっ」
「そうなんですか?それは残念ですね」
「……風早、からかってるでしょう?」
 むぅと頬を膨らませて千尋は風早を睨む。
「からかってなどいませんよ。本心です」
 そう言って、ふふっと微笑む風早に千尋は耳朶まで真っ赤に染めた。
 嬉しいけれど、ほんの冗談で言ったので、素直に喜べない。
「そっ、そろそろ部屋に戻ろう?」
「はい」
 無理矢理に話題を変える千尋を風早は微笑ましく思いながら頷いた。
 そして二人は執務室をあとにして、千尋の部屋へ向かった。

「今日は一段と寒いね」
 右手は風早の左手に包まれているから温かいが、袖から出ているだけの左手が冷たい。
「これだけ寒いと雪が降りそう――」
 ですね、と続くはずだった風早の声が止まる。
「わあ、雪」
 闇夜を見上げて千尋は嬉しそうな声を上げた。
 ひらりひらりと舞い落ちてくる白い雪は、さながら花が舞っているようだ。
 千尋は外気で冷たくなってしまった手を、欄干から外へ出した。白い掌に一欠けらの雪が落ち、瞬く間に体温で溶けてなくなる。
「綺麗ね」
 蒼瞳を細めて千尋は雪に酔ったような顔で言った。
「ええ。千尋は雪も似合っていますよ」
「なっ、何言って…っ」
 顔中を真っ赤に染めてうろたえる千尋に、風早は柔らかく微笑んだ。
「本当ですよ」
「もっ、もう、かざは――」
 千尋の言葉は重ねられた唇に奪われた。
 冷たい外気で身体は冷えているのに、重ねられた口付けだけは熱くて、とても甘かった。




【終】



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