コノハナサクヤ




 明かり取りの窓から、柔らかな日差しが差し込んでいる。
 時折うぐいすの鳴声が聞こえ、とても長閑だ。
 窓から見える空は青く澄んでいる。
 外で過ごすのはさぞかし気持ちがいいことだろう。


「……ろ?…ひろ……千尋」
「へっ!?あっ、姉さま、何?」
 名を呼ばれていた事にようやく気がついた千尋は、左側へ視線を滑らせた。
 青瞳に映るのは、千尋の姉であり、この国――中つ国を統治している、女王。艶やかな緑の黒髪と意思の強い黒い瞳を持つ人物だ。
 千尋は幼い頃からこの優しい姉が大好きだ。忌み嫌われる外見――金の髪と青い瞳を持つ自分を可愛がってくれ、そして愛してくれている。小さい頃は姉と従者である風早、柊、忍人しか自分の近くにはいなかった。采女や雑色、武官、母までもが遠巻きに自分を見ていた。けれど今は見えない一線は消え、多くの人々が接してくれるようになっていた。
「疲れているのなら、無理しなくていいのよ」
 早急に処理が必要な執務がある姉の代理で、千尋は先程まで葛城へ行っていた。王宮からは距離があり、馬を使って行ったのだが、それでも午前中に出かけ、帰ったのは昼を過ぎていた。
 王宮へ持ち込まれる案件は日々あり、一日中机にかじりついていたとしても、終わる量ではない。
 だから、千尋が無理をしてまで手伝うことはない。
 それに、葛城へでかけたことで疲れているだろう。
「ううん、平気!」
 元気よく答える妹姫に、一ノ姫は困ったように眉を曇らせた。
「でも、千尋、印を机に押してしまっているわ」
「えっ!?」
 千尋は驚きに青瞳を瞠って、視線を落とした。
 姉の言う通り、竹簡ではなく、机に承認印がくっきりとついている。まだ完全に乾いてはいないようだから、すぐに拭けば取れるだろうか。硯の脇に置いてある布を取り、赤い印がついた箇所を拭いてみた。すると運良くそれは拭うことができたので、千尋はほっと胸をなでおろした。
 千尋が布で机を拭いているのを見ながら、一ノ姫は思案していた。
 普通に「もういいわ」と言って頷く妹でないことは知っている。
 …風早に、と一ノ姫が考えた時だった。
 扉を軽く叩く音がし、部屋の主である一ノ姫が入室を許可すると、長身の青年が姿を見せた。
 まさに渡りに船だった。
 部屋を訪れたのは、今呼ぼうと思っていた風早だ。
「風早いいところに来てくれたわ」
「はい?」
 当然ながら言われた意味を図りかね、風早は緩く首を傾げた。
「千尋を連れて花見に行ってくれないかしら」
「花見、ですか?」
「ええ」
 一ノ姫はにっこり微笑んで、そして椅子から立ち上がり、風早の側へと行く。
 風早の手にある書簡の束を受け取りながら、「あの子、疲れているみたいだから休ませたいのよ」と囁いた。一ノ姫の黒い瞳は憂いを帯びていて、心配しているのがありありと見て取れた。
 ゆえに風早は「わかりました」と頷いた。
「今日はもういいから、お願いするわ」
「はい」
 風早は一ノ姫に軽く一礼して、千尋の傍へ歩み寄った。
「千尋、行きましょうか」
「え、でも、いいの?姉さま」
「ええ。そろそろ羽張彦が来てくれるから、こちらは大丈夫よ」
「え?そうだった?」
 首を傾げる千尋に一ノ姫は苦笑した。先程言ったのだが、ぼんやりしていたから耳に届いていなかったらしい。休むように言って正解だった。
「ゆっくりしてらっしゃい。風早と出かけるの、久しぶりでしょう?」
 姉姫の言う通り、仕事以外で風早と出かけるのは十日振り位だ。
「姉さま……行ってきます」
 微笑む一ノ姫に見送られ、千尋と風早の二人は執務室を出ようと扉を開く。
「おっと」
 外から驚いた声がした。
「あっ、羽張彦さん」
「よっ! どこか行くのか?」
 羽張彦は千尋に目を遣り、ついで風早へ視線を向けた。
「一ノ姫に頼まれて千尋と花見に行くところです」
「そうか。 あ、東の玉垣にカリガネがいたぞ。新作菓子がどうとか言ってたな」
 顎に手を遣り、羽張彦は思い出したように言った。
「東の玉垣なら通りますから、ちょうどいいかもしれませんね、千尋」
「ええ。 羽張彦さん、ありがとうございます」
「いやいや。じゃあな」
 羽張彦は片手を上げて答えて、二人が出てきた執務室へと入った。


 王宮近く、東に広がる桜の名所へ向かうには、東の玉垣から出るのが近い。
 カリガネがいると聞いたこともあり、二人は東の玉垣に向かった。
 すぐに出航するからゆっくり話している時間ない、と名前を考えて欲しいとカリガネから渡された新作菓子を受け取って、千尋と風早は桜の名所へ向かった。
「うわあ、きれい」
 ほぼ満開に花を咲かせた桜を見上げ、千尋は感嘆の声を上げた。
 かすかに吹いている風に桜の枝が揺れている様は、桜が音を奏でているように見える。
「ええ、美しいですね」
 風早の金色の双眸が僅かに細められる。
 彼の言葉が差しているのは桜ではなく千尋だという事に、同門の柊や忍人が居たらわかっただろう。
 けれど今ここにいるのは二人だけで、千尋がそれに気がつくはずはなかった。
「この間通った時は蕾もあまりなかったのに」
「このところ暖かい日が続いてましたから、一斉に咲いたんでしょうね」
「天気もいいし、ここで宴をしたら楽しそう」
 千尋は首を傾けてふふっと微笑んだ。
 肩より少し長くなった金色の髪が太陽の光を弾いて煌く。
「千尋、最近サザキに似てきましたね」
「えっ、そう?」
「はい。一番に【宴】と出てくるあたりが」
「うっ…」
 千尋は言葉に詰まった。可愛さには欠ける発言であったことは間違いない。
 もし那岐が居たら、「千尋は花より団子だよな」とでも言ったかもしれない。
「でも、楽しそうですね」
 しっかりフォローをするあたりが風早が風早たる所以だ。
 千尋の気分は直り、笑顔が戻る。
「今年は無理かもしれないけど、来年みんなで花見ができたらいいね」
 風早の狙い通り、千尋は楽しそう言って、微笑んだ。
「そうすると、千尋と二人だけで花見を出来るのは今年が最後、ですかね」
 ふむ、と思案げな顔で風早は首を僅かに傾げる。
「そんなのやだ!来年も――って、風早!」
「すみません、千尋。ほんの冗談だったんですけど」
 慌てる千尋に笑いを噛み殺しながら、風早は笑顔を作る。
「もうっ!私は本当に焦ったのに!」
「だから謝ってるじゃないですか」
「心がこもってないわ!」
 千尋はぷいっと視線を逸らし、風早を置いて歩き出す。
「千尋、待ってください」
 すぐにあとを追った風早は華奢な腕を捕まえ千尋を引き寄せた。
 そして、腕の中に閉じ込めた千尋の耳元へ唇を寄せる。
「すみません、千尋」
「………」
「来年もその先もずっと、俺と花見をしてくれますか?」
「…それが風早の望みなの?」
「はい」
「だったら…」
 千尋は身体を反転させて風早と向き合った。
「許してあげるわ」
 嬉しそうに微笑んで、千尋は安心できる広い胸に飛び込んだ。
「ありがとうございます」
 その言葉に千尋が顔を上げると、青瞳に金色の瞳を細めて穏やかに笑っている風早が映った。
「約束よ、風早」
「はい」
 大きな手が千尋の頬に触れる。
 瞳を閉じると、優しくて甘い口付けが落とされた。




【終】

※エイプリルフール(企画?)にて、申込者限定先行公開した小話

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