秋空の下で 天鳥船の堅庭に出ると、心地よい風が吹いていた。 千尋は黄金色の髪を風になびかせながら、堅庭先端の広場まで歩いて行く。 「…近くだったら、もっと綺麗なんだろうな」 目の前に広がる風景に、ぽつりと呟く。 土器を作るのに必要な土を入手するのが目的で名草を訪れたのは、つい昨日のこと。山の紅葉の美しさに思わず見惚れた。紅葉狩りが目的だったわけではないから、ゆっくり愛でる余裕はなかったけれど。 ようやく土を手に入れて山を降りた時には陽が暮れていたので昨夜は紀で休み、今朝になって千尋は那岐と遠夜と布都彦、それにサザキと一緒に天鳥船へ戻って来た。土器が完成するまでには少なくとも7日はかかるというので、必要なものを取りに戻ったのだ。 持っていくものを用意し、途中で神邑に寄り狭井君に報告して、紀に戻り他の仲間と合流する予定になっている。 急いで戻らなくていい、と風早と柊から言われているので、少し寄り道してからでも大丈夫かもしれない。忍人がいたら怒られること確実だが、彼は紀にいる。 「……そう言えば、那岐の誕生日何もしてないわ」 出雲で戦いが始まってしまってお祝いをするどころではなかったし、なにより那岐の誕生日をうっかり忘れていた。 あちらの世界――橿原にいた時も那岐は何もしなくていいと無関心だったので、風早と千尋が強引に祝っていたような形だった。 豊葦原に戻って来たその日から生活が変わったこともあって、誕生日のことなど忘れていた。 先日訪れた場所のことを思い出して踵を返し、千尋は那岐がいる部屋へ向かった。 赤く色づいた木々の葉が、微風に揺れかさかさと音がしている。 「…まだ行くのか?」 前を歩く千尋の背中に向かって那岐は訊いた。 すぐに戻るから、ちょっとだけ那岐と紅葉を見てくるね。 そう言って千尋が那岐を連れて天鳥船を出てきたのは、四刻半に満たない程前。 那岐は紅葉に興味がなかったし面倒だったけれど、千尋は言い出したら聞かないので仕方なく来ている。 サザキと布都彦が否と言ったならよかったが、言って来いと送り出されてしまった。遠夜の声は相変わらず聞こえないが、反対している様には見えなかった。 十津川なら近くだからまあいいかと思ったのだが、千尋はなかなか足を止めない。 「まだそんなに歩いてないじゃない」 頬を膨らませ、千尋が後ろを振り向く。 「十分歩いてるよ。それにこのあと紀に行くってわかってる?」 那岐はげんなりしたような表情で、はあ、と溜息を零した。 だが千尋は悪態をつく那岐には慣れているので、それくらいでは堪えない。 「那岐、もう少しだから」 「…わかったよ」 ね?と微笑まれてしまったら、頷くしかできない。 常日頃、風早は千尋に甘い、と言っている自分だが、少し見解を改めるべきかもしれない。 そんなことを考えながら歩いていくと、千尋の言葉通りそれほど歩かずに目的地らしき場所に着いた。 「着いたよ、那岐」 「…やっぱりね」 那岐は周囲を見渡して呟いた。 その声には諦めや落胆のような色はない。どちらかというと、千尋らしいなとでも言いたげな色をしている。 「この前見つけて、静かだしきれいだから、昼寝にいいかなって思ったの」 踏み荒らされていない、地面に落ちた紅葉。 まるで絨毯のようで、空から陽光が射して照らされていたのがきれいだった。 那岐は興味ないかもしれないけど、この光景を一緒に見たかった。 「昼寝、ね…。幹は堅いし、寝転がったら汚れそうだ」 「あ、それなら大丈夫」 その言葉に那岐は千尋が持っている籠へ視線を向けた。 籠の中に布でも入っているのだろうか。千尋のことだから用意していても茶ぐらいだろうと思っていたが。 「膝枕してあげる」 「なっ…」 那岐が驚きに薄緑色の瞳を瞠る。 一瞬でも期待してしまった自分がアホに思えた。 「あ、あそこが日当たりよさそうだよ」 千尋はそう言って、困惑している那岐の腕を引く。 動揺している那岐に気づかず一本の樹の側へ行き、千尋は足を崩して地面に座った。 「汚れるぞ」 「平気よ。きれいなところに座ったもの」 言いながら千尋は自分の膝というか、腿あたりを手でぽんぽんと叩く。 「那岐。寝ないと時間なくなちゃうよ?」 昼食までには天鳥船へ戻ることになっている。 遅れてしまったら、おそらく食事を用意してくれているだろうカリガネたちに悪い。 不思議そうに首を傾ける千尋に、那岐は薄緑色の瞳を僅かに細めた。 「…千尋、本気か?」 少しばかり低い声が出てしまうのも仕方がない。 那岐の気持ちに気づいていないとは言え、あまりに無防備な彼女が腹立たしい。 「…那岐が…那岐がいやならいいよ」 「…一緒に寝たりするなよ?」 「うん」 那岐は困ったような嬉しいような呆れたような複雑な顔で笑って、しゃがみこんで横になりながら頭を千尋の脚へ乗せた。 千尋の服の薄い布越しに柔らかな感触と温もりを感じる。 那岐は双眸をそっと閉じた。 こんな状態で眠れる訳がない。けれど、せっかくだから千尋を独り占めするのも悪くない。 「……那岐?」 しばらくして、千尋は名を呼びながらひょいと那岐の顔を覗きこんだ。 薄緑色の瞳は閉じられている。 すうすうと聞こえる小さな寝息に、千尋は蒼瞳を嬉しそうに細めた。 「那岐、ハッピーバースデイ」 囁いて、那岐のさらりとした前髪に口付ける。 そして閉じた瞳を開いた千尋は驚きに蒼瞳を瞠った。 寝ていた筈の那岐の瞳が自分を見上げている。 「そういうことは起きてる時にしてもらいたいね」 「えっ?」 白い頬を赤く染めたまま千尋が瞳を丸くする。 そんな彼女を那岐は愉しそうにくすっと笑って見つめた。 「どうせなら口にして欲しいね」 「なっ…」 千尋は更に頬を赤く染めてうろたえる。 「千尋が悪い。…でもまあ悪くないね」 そう呟いて那岐は瞳を閉じた。 紅葉が風に揺れ地上へ舞うように落ちてくる。 その中で千尋は高まる動悸を抑えるのに必死になっていた。 【終】 戻る |