跡部篇




「……ん、眩し…」
 閉じた瞼に入り込む光に、眠気交じりの呟きが赤い唇から零れる。
 は光から逃れるように布団を引っ張り上げようとしたが、できなかった。大きな手に手首を捉まれ、止められてしまったから。
「いい加減起きろよ」
 耳朶に吹き込まれるように囁かれて、は一瞬にして夢から覚めた。
 自分を見下ろす男には眉を吊り上げる。彼女の目元が淡く色づいていなければ迫力があったのだろうが、赤く染まっていて威力は欠片もない。
「なんて起こし方するのよ」
 跡部は切れ長の瞳を細めてフッと笑う。
「キスで起こさなかったから拗ねてんのか」
「なっ…そんなわけ――」
 ないでしょう、と続く言葉はキスで封じられた。
 抵抗しようとしても両手はベッドに押し付けられて自由にならない。その上、恋人の体が覆いかぶさってきて動くこともできない。
 優しく啄ばむようなキスの長さに酸素が続かず唇を開けば、隙間から舌が入り込み舌を絡みとられた。
「…っん……ッ」
 頭の芯がクラクラし思考が熱に蕩けそうになった頃、ようやくキスから開放された。
「……も…っ…」
 文句を言いたいのに、酸素の足りない口は上手く言葉を紡いでくれない。
 満足そうに笑みを浮かべた跡部が離れ身体を起こしたの前に、すっとコーヒーカップが差し出される。
 は瞳を瞬いて、とりあえずコーヒーカップを受け取った。
 豊かな香りと湯気が立ち上がっている。
「……まさか景吾が淹れたの?」
 その言葉に跡部は器用に肩眉を上げた。
「なんだ、その俺様が淹れたら悪いみてぇな言い方は」
「だって意外すぎるもの」
 答えて、はコーヒーを一口飲んだ。
 銘柄に詳しくはないが、美味しい。
「美味しいわ」
「当然だ」
 得意気に口元を上げて笑う跡部には楽しそうにくすくす笑った。子供っぽい仕草が可愛い。それに。
「ね、景吾。私が言った事、気にしたんでしょ」
 昨夜、食後に出されたコーヒーを飲んで、今まで飲んだ中で一番美味しいかも、とは感想を述べた。すると跡部は面白くなさそうに、そうかよ、とだけ言った。
 不思議に思ったが跡部が席を外した隙にこっそり執事に訊いたら、とある方から贈られてきた豆なのですよと教えてくれた。誰なのか名前までは聞かなかったけれど、自分が選んだものではない豆をが褒めたのが気に入らなかったのだというのはわかった。
 それで今朝になって淹れてきたのだろう。どうだ、と言わんばかりに。
「負けず嫌いなんだから」
「誰のせいだと思ってやがる」
「美味しいコーヒーのせい、かな」
 仕方がないから、はコーヒーのせいにしてしまった。自分のせいとは思わない。跡部の狭量さが原因なのだから。でも、それは言わない。あとで大変なことになるからだ。
「――で、どっちが美味い」
 どうやら跡部はに乗せられることにしたらしい。
「景吾の淹れた方よ」
 は首を傾けて楽しそうに微笑みながら、跡部が望む言葉を紡いだ。




END



BACK