こんなに突然、別れの日がやってくるとは思わなかった

 そんな事実は信じたくなかった

 けれど、それは夢ではなく全部現実

 でも、それでも

 もう少しだけあなたの傍に―――




 別れ




 夏が過ぎて身近に秋の気配を感じるようになった、9月中旬の放課後。
 青春学園中等部三年六組の教室は、ざわめきに満ちていた。

 はクラスメイトがざわめく様を教室の前方の教壇から見ていた。
 事の起こりは、ほんの数分前のこと。
 帰りのホームルームが始まった直後、クラス担任の教師が口にしたのが始まりだった。

「今日はみんなに重大な発表がある」
 その声にはただならない気配が混じっていたためか、クラス全体に緊張が走る。
 クラス担任は教壇上から一人の生徒に向かって声をかけた。
、前に来なさい」
 名を呼ばれたは椅子から立ち上がり、教室の前へ進んだ。
 足取りがとても重い。
「実はな、がお父さんの仕事の関係でアメリカに行くことになった。だから、みんなとは今日でお別れだ」
 クラス内が沈黙に包まれる。だがそれは一瞬で、クラスメイトは一気にざわめき始めた。
 が親友のへ視線を滑らせると、彼女はとても驚いた顔で自分を見ていた。
 それは当然のことだろうと思う。
 クラスメイトは勿論のこと、長年の親友にさえ出発当日の今日まで教えていなかったのだから。

 にはとても気になっていることがひとつだけあった。
 それは自分の好きな人――不二の反応。彼は今どんな顔をしているのだろう。
 それがとても気になっている。
 けれど、彼の様子を見ることがにはできなかった。
 不二の顔を見るのがとても怖い。



 が不二と初めて会ったのは、中学一年の春だった。
 入学式が終わって初めて入った教室は、席順が決まっていなかった。だからは迷わず窓際の席に座った。その時、の隣の席に座ったのが不二だった。
 親友のも同じクラスで、彼女の彼、菊丸英二も偶然に同じクラスだった。と菊丸が会ったのは、この日が初めてだった。だがを通して仲良くなり、友達となった。不二とは菊丸が男子テニス部に所属している関係で、彼を通じて仲良くなった。
 そして、はいつの間にか、不二に恋をしていた。
 不二とは幸運にも三年間同じクラスとなることができたが、友達でかまわないと思っていた。
 今の関係が崩れてしまったら、友達として傍にいることもできなくなってしまうから。

 けれど、まさかこんなに早く別れが来るとは思ってなかった。
 父がアメリカに転属になったと聞かされた時は耳を疑った。
 夢であって欲しいと、どんなに願ったか。



、みんなに挨拶しなさい」
 教師に声をかけられ、なるべくクラスメイトを見ないようにして、ゆっくり口を開く。
 そうでもしなければ、この場で泣いてしまいそうだった。
「みんなと一緒のクラスで楽しかったです。・・・一緒に卒業式を迎えられなくて残念です」
 不思議なくらいスラスラ言葉がでる自分がおかしかった。
 けれどの口からでた言葉は、紛れもなく真実の声。
 言い終わってペコリと頭を下げると、教師が席に戻るよう促した。それに従って席に着くと、教師は大きな声を上げた。
「はい、静かにする。ホームルームを続けるぞ」

 ホームルームが終わると、の席へが飛ぶようにやってきた。
っ!なんでこんなに重大なこと黙ってたのよ!」
 は瞳を涙で潤ませながら怒っていた。
 の涙に堪えていたものを耐えきれなくなりそうだった。けれど、泣いてしまったら止まらなくなってしまうだろうとわかっていた。だから泣き出したいのを堪えて、必死に声を紡いだ。
「ごめんね。何度も言おうって思っていたのに、言えなかったの」
「………、不二君に言わなくていいの?」
 僅かな沈黙の後、は目元の涙を指先で拭いながら、小さな声で訊いた。
 親友の言葉には驚き、胡桃色の瞳を瞠る。
「…どうしてそれを?」
「わかるに決まってるじゃない。何年あなたの親友やってると思ってるの?」
「そっか。は気づいてたんだ。 もしかしてが周助くんを名前で呼んだことないのは…」
「うん、が不二君を好きなんじゃないかって気づいたからよ。それに、他の男の子を名前で呼ぶと拗ねる人がいるからね」
 の言葉には微かに微笑んだ。
「ありがとう、が友達でよかった。絶対に忘れないよ、のこと」
「何言ってんのよ!永遠の別れじゃ――」
 ないんだからね、と続けようとしたの言葉は、ふたりの前に姿を見せた人物の声によって遮られた。
「俺たちだって忘れないよ。な、不二」
 の背後から顔を覗かせた菊丸が、隣にいる不二に問いかけるように言った。
 は吸い寄せられるように不二に視線を向ける。
「周助くん…」
 名を呼ぶのが精一杯で、それ以上は何も言えなくて、は黙ったまま不二を見つめた。
 不二の表情からいつもの優しい微笑みが消えている。
 彼の色素の薄い瞳は逸らされることなく、まっすぐを見ていた。
 しばらくして先に口を開いたのは不二だった。
ちゃん。出発するのはいつなの?」
「今日の夜、なの」
「ずいぶん急なんだね」
「うん。お父さんに無理を言って、私だけ今日まで滞在を許してもらっていたの。……黙っててごめんね。どうしても言い出せなくて…」
 その後に続けたかった言葉をは唇を噛んで飲み込んだ。

 少しでも長く周助くんの傍にいたかったの

 そう続けたかったけれど、言えなかった。
、今から英二とお餞別を買ってくるから、不二君と待っていてくれない?」
 突然、二人の傍らで話を聞いていたがそんなことを言った。
「えっ?」
 に視線で訴えると、彼女は優しい笑顔を浮かべた。
「がんばれ、
  ごく小さな声でに耳打ちして、菊丸に向かって声をかける。
「英二、急いで行ってきましょ」
「オッケー。それじゃ、楽しみに待っててねん」
 言うが早いか、二人は教室を飛び出していった。
 はどうしていいかわからず、視線を彷徨わせていた。
 すると不意に右手を引かれて、は不二を見上げた。
「屋上に行かない?」
「屋上?」
「うん。天気もいいし、きっと気持ちがいいよ」
 にっこり笑って提案する不二に、もつられて微笑んだ。
「うん」
 が頷くと、不二は嬉しそうに笑った。そして掴んだままの白く細い手をぐいっと引っ張り、を椅子から立ち上がらせる。

 屋上へ続く廊下、階段を二人は手を繋いで歩いた。会話は何もなく、ゆっくりと静かに。
 この瞬間が永遠に続けばいい、とは思った。
 だが、現実はそうはいかない。
 終わりの瞬間を告げるように、屋上へ続く扉が瞳に映った。
 不二が屋上へ出る扉を開ける。
 二人の瞳に真っ青な空が飛び込む。
 不二はの手を引きながら、学校全体が見渡せる場所まで歩いてゆく。
 フェンスの前で二人の歩みが止まった。
 繋いだ手はそのままで、は空を見上げた。
「きれいな青空ね。周助くんの瞳みたい」
 青空を見ながらの口から自然に出た言葉。
 予想すらしていなかったの言葉に不二は驚いて、彼女の顔を見つめた。
 は無意識だったが、口にしてしまったのが恥ずかしくて、不二の視線から逃れるように俯く。すると、の手を握る不二の手の力が僅かに強くなった。
 それと同時に、微かに震える不二の声がの耳に届く。
「それは自惚れていいのかな?」
「え…?」
 は驚いて不二を見上げた。
 見つめてくる色素の薄い瞳と、驚きに揺れた胡桃色の瞳が宙で絡み合う。
「僕はちゃんが好きなんだ。ずっと前からちゃんだけを見ていた」
「…う…そ…」
 突然の告白には瞳を見開いた。
 信じられなくて。
 夢を見ているようで。
「嘘じゃないよ。だから、ちゃんの返事を聞かせてくれないかな?」
「…私も…好き。周助くんが好き。ずっと前から見てたの。でも、もう逢えなくなっちゃう」
 は小さな声で言葉を紡いで、胡桃色の瞳に涙を浮かべた。
 溢れた涙が眦から落ちて、白い頬を伝い落ちていく。
「逢えるよ。春休み、夏休み、冬休みも僕はちゃんに逢いに行くから」
「ほん…とに逢える?」
 震えた瞳で見つめてくるに不二は力強く頷いた。
「絶対に逢いに行くよ」
 不二は断言したが、の胡桃色の瞳はまだ不安気に揺れている。
 彼は嘘は言わない。だから、信じていいとわかっているのに。
「アメリカってきっと遠いよ?それでも?」
「距離なんて関係ないよ」
「いつ日本に帰って来られるかわからないのに?」
 すると、不二は色素の薄い瞳に真剣な光を宿し、を見つめた。
「それでもかまわないよ。いつか僕がちゃんを迎えに行くから、一緒に日本へ帰ってくればいい」
 の胡桃色の瞳から更に涙が溢れ出す。
 必死に涙を止めようとするが、止めようとすればするほど涙は止まらない。
 そんなを不二は腕の中に優しく包み込んだ。


 今は別れないといけなくても

 永遠の別れじゃないから

 必ず君に逢いにゆくから

 ずっと君が大好きだから


 僕を信じて―――




END



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