演技




 二月初めの月曜日、は部活が終わるとすぐに帰路についた。
 彼の部活が終わるまで待って一緒に帰る、というのが日課になっているのだが、今日は違う。は一人で、しかも駆け足だった。
「今日は部活が早く終わりそうなの」
 周助にそう言ったのは、今朝一緒に登校した時だった。
 すると不二はの肩から滑り落ちそうになっていたマフラーを直してやりながら、そうなんだ、と言った。
「今日はどうする?」
 少し考える素振りをしたは、窺うように周助を見上げた。
「えっと…じゃあ先に帰ってもいい?」
「今日は寒くなるみたいだし、寒い中を待たせるのは嫌だから、そうしてくれると僕も嬉しいかな」
 にっこり笑う周助に、は頬を綻ばせた。
 いつも優しい彼だけれど、今みたいな時、とても大切にしてくれていると思う。
 それが嬉しい。
 それに、気になっていることを訊けるチャンスかもしれない。
 勿論、彼には内緒で事を運びたい。


 午後二時過ぎに仕事を終えて帰宅した由美子は、リビングで母の淑子とお茶をしていた。
 お菓子は自分でもよく作るが、今日は買ってきたケーキがお茶請けだ。そのケーキは一週間程前にオープンした店のもので、今朝読んだ新聞に記事が載っていて、美味しそうだったので買ってきた。
 数は全部で4個。父は単身赴任中、二人いる弟のうち一人は寮生活なので、家族三人分ともしかしたら来るかもしれない人の分で4個だ。
 紅茶を淹れるのは母に任せ、由美子は白い箱からカットケーキを取り出して皿に乗せる。そして残り二つは生クリームが溶けないように、箱ごと冷蔵庫へ入れた。
「美味しそうね」
 紅茶を注いだティーカップをテーブルに置いた淑子は、皿に盛られたケーキに目を止めて微笑んだ。
「でしょう?種類が多くて迷ったけど、今ならやっぱり苺がいいと思って」
 嬉しそうな母に由美子は微笑んで、椅子へ腰掛けた。淑子も由美子の向かいへ座る。
「そういえば、ちゃんは苺が好きだったわね」
 頬に手を添えて言った母に、由美子は「ええ」と頷いた。
 苺は今が旬で、目の前にあるケーキが美味しそうだったから選んだけれど、最後の決め手になったのは、弟の彼女が苺が好きだからであった。
 下は弟が二人で、妹が欲しいと思っていた由美子にとっては妹同然の存在で、家族のように思っている。
 それに隣家なので、彼女が小さい頃――それこそ生まれて数ヶ月頃から付き合いをしている。
「紅茶が冷めないうちにいただきましょうか」
「そうね」
 母の言葉に由美子が頷いた時、来客を知らせるインターフォンが鳴った。
「私が出るわ」
 由美子は立ち上がると、外のインターフォンと繋がっている受話器を手に取った。
「今開けるわね」
 由美子は通話を切ると、玄関へ向かった。
 扉の鍵を開けると、鞄を胸に抱えたが立っていた。彼女の白い頬は寒さのためかほんのり赤みがさしている。
「上がって、ちゃん」
 促す由美子には少し迷った顔をした。
「いえ、あの、訊きたいことがあって来ただけだから、すぐに帰るから」
「遠慮しなくていいのよ。あ、ちゃんの好きそうなケーキがあるのよ」
 その言葉には少し心が動いたように黒い瞳を輝かせたが、やはり首を横に振った。
「周ちゃんに見つかりたくないの。だから今日は周ちゃんより先に帰って、それで」
 必死で言い募るに由美子はどうしたものか思案して、よいことを思いついた。
「それならいい考えがあるわ」
「え?」
 驚きに瞳を瞬くに、由美子は左目でウィンクした。
「私が学校帰りのちゃんと偶然会って、家に連れてきたことにすればいいのよ。それならちゃんが家にいてもおかしくないでしょう」
「でも、いいの?」
「いいに決まってるわ。可愛い妹のためだもの」
 ふふっと微笑む由美子には甘えることにした。
 知りたいことをすぐに訊いてしまえば、周助には自分が不二家にいる本当の理由はわからないだろう。
 誤魔化すと表現すると後ろめたいので、これは演技だとは思うことにした。


 リビングへ通されたはソファに座っている淑子へ挨拶をした。
 突然の訪問に驚きつつも、淑子はを歓迎してくれた。
「いらっしゃい、ちゃん。ゆっくりしていってね」
 朗らかに微笑む淑子に、は笑顔で「はい」と頷く。
 の分の紅茶を淹れてこようとソファから立ち上がった母を、由美子は呼び止める。そして、玄関先でと話したことを説明した。
 淑子は瞳を丸くしたが、わかったわ、と言って芝居に乗ってくれることになった。
 由美子は三人掛けのソファへ座るように勧めた。
「それで、ちゃんの訊きたいことって?」
 弟が帰宅する前に、と由美子は単刀直入に訊いた。
 問われたも周助が帰ってくる前に訊いてしまいたいので、ためらいなく口を開く。
「どんなチョコレートを作るの?」
「チョコレート?」
 話が見えなくて、由美子は首を傾げた。
 勘がいい由美子でもあまりに直球すぎてわからない。
「バレンタインのチョコレート」
 言われて、そういえばもうすぐだったことに気がつく。
 まだ二月に入ったばかりで、今年は何を作るのかまだ決めていない。
「私はまだ決めていないのよ。ちゃんは?」
 が何を訊きたいのか察した由美子は、逆に質問をした。
 由美子は決まっていないが、が訊ねてきたところを見れば、彼女はもう決めているかもしれない。
 それならば、が作るというものを作らなければいいだけの話になる。
「ミルクチョコレートのフィナンシェを作ろうと思ってるんだけど」
「それなら私は違うものを作るわ」
 微笑む由美子には「ごめんなさい」と謝った。
「謝らなくていいのよ。周助に気を遣ったのでしょう?」
「えっ、そういうのじゃなくて…その…比べられたくないっていうか…」
 しどろもどろに言葉を捜すように言いよどむに、由美子はくすくす笑う。
 目元をほのかに赤く染めている彼女が可愛らしい。
 そこへの分の紅茶とケーキを持って淑子が戻ってきた。それらをの前のテーブルに置く。
「あ、ありがとうございます。…美味しそう」
 瞳を輝かせるを見て、由美子は満足そうに微笑む。
 嬉しそうな顔は見ているだけでこちらまで嬉しくなる。
「中にも苺が入っているのよ」
「わあ、楽しみ」
 そうして三人はおしゃべりに花を咲かせながら、お茶の時間を過ごした。


 それから二時間あまりが経過し、窓の外は暗くなり始めていた。
 時計の短針は数字の5を差している。
「そろそろ周助が帰ってくる頃ね」
 ぽつりと由美子が呟くと、は僅かに緊張が走った。
 上手くできるだろうかと不安になる。
 ちなみに、淑子は20分程前に夕飯の買い物へ出かけたので、家にいるのは由美子との二人。
「あの、やっぱり周ちゃんが帰ってくる前――」
 は最後まで言えなかった。
 なぜなら、玄関の鍵を開ける音と扉の開く音がしたからだ。
 ついで耳に届いたのは、バタバタという音。まるで廊下を走っているような、そんな音に似ている。
が来てるの?」
 廊下とリビングを隔てる扉を開けながら言った周助に、は驚いた。が、由美子は動じていない。おそらくこうなると思っていたので、驚きはない。
 弟のことだから、玄関に脱いである靴でが来ていることがわかり、駆け込んでくると踏んでいた。
「えっと、あの、おかえりなさい、周ちゃん」
 何か言わなきゃと焦ったから出たのは、出迎えの言葉だった。自分の家ではないのにおかえりだなんて、おかしなことを言ってしまったかも、との白い頬が赤く染まる。
 だが周助の瞳には、そんな彼女の姿は可愛いとしか映らないようだ。
「ただいま。フフッ、が出迎えてくれるなんて嬉しいな」
 首を傾げて笑顔を向けてくる周助に、もはにかんだ笑みを返す。
「周助も食べる?」
 不意に姉に問われて、周助はから視線を外し由美子へ向けた。
「何を?」
「苺のケーキ。美味しそうだから買ってきたの」
「姉さんたちは?」
「もう食べたわ」
も?」
 探るような目つきの弟に由美子はにっこり微笑んだ。
「ええ。帰って来る時に偶然会ったから、お茶に誘ったの」
「それでがいるのか」
 納得したというように軽く頷いた周助に、は胸の内で安堵の息を零した。
 由美子お姉ちゃんすごい。周ちゃんがあっさり納得してる。
 周助を誤魔化そうとしても、本音をぽろっと口にして失敗してしまう自分とは違う。
「じゃ、食べる前に着替えてくるよ」
 踵を返し数歩進んだ周助は、顔だけをに向けた。

「なに?」
「まだ帰らないでね」
 不思議に思って首を傾けるに、周助は瞳を細めて微笑んだ。
「僕が送っていくから」
「……送るって、隣なのに?」
 が呟いた時には、周助はリビングから居なくなっていた。
「妬いてるのよ」
 由美子は呆れた顔で苦笑しているが、は意味がよくわからない。
 だが、それほど深く考えなくてもいいことなのかな、と周助と由美子の様子から判断した。
「由美子お姉ちゃん、ありがとう」
 ぺこりと頭を下げるに由美子は柔らかな笑みを向けた。
「どういたしまして」
 芝居を成功させた二人は目を合わせて、同時にくすっと笑った。




END



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