強か




 セミの鳴き声が響き渡る中、部活を終えた青学テニス部レギュラーの面々は校門へ向かっていた。
 時刻は夕方だが空はまだ明るく、日差しも強い。昼間に比べればいくらかましだが、それでも蒸し暑いのは変わらない。
 全国大会までまだ時間はあるが、練習はハードであったから、疲れた身体にこの暑さは堪える。
「あっちー。溶けそうだぜ」
 空を睨みつけるようにして桃城が唸る。
「・・・なさけねえな」
 海堂の突っ込みが入るが、いつもの切れが見られない。顔に出ていないが、彼もこの暑さに参っているのは明白だった。
 気分を害した桃城がいつものように怒鳴ろうとすると。
「うるさいぞ」
 短く、それでいて迫力のある声が響く。
 二人がそろそろと声のした方へ顔を向けると、険しい表情の部長の姿があった。
「すんません」
 桃城と海堂が揃って頭を下げた。だが手塚の視線が逸れると、小声でやりあっている。
 いつものことなので、メンバーは気にも止めない。またやってるよ、という視線が向けられるだけだ。
「手塚ー。明日の練習って午前だけだよにゃ?」
「ああ」
 手塚が頷くと、菊丸はガッツポーズを作った。
「じゃあ、夕方からみんなで花火だー!」
「花火・・・。なあ、英二。みんなって」
 唖然とした表情で大石が口を開くと、相方から全開の笑顔が返ってきた。
「決まってるじゃん。みんなだよ」
「なんだか楽しそうっスね。俺、行きます」
「・・・・面倒くさい」
「・・・こいつが行くなら行かないっスよ」
 乗り気の桃城の隣で、行かないと顔に書いた越前の呟きに海堂の低い声が続いた。
 その数歩後ろを歩いていた乾はノートを開いて眼鏡を光らせる。
「明日は晴れる確率100パーセントだ」
「それならなおさら、花火だねっ」
 後輩たちを無視しているのか、それとも気にしていないのか、ウキウキする菊丸に同意するように河村が頷く。
「うん、面白そうだし、いいんじゃないかな」
「・・・そうだな。大勢で花火なんて滅多にできないし。なあ、手塚?」
 大石に振られて、手塚は言葉に詰まった。
 花火を喜ぶほど子供ではないが、果たしてこいつらを放っておいていいものか。
 大石が行くのであれば、自分が行く必要はないだろう。だがやはり部を預かる身としては行くべきか。
 手塚は心の中で静かに自問自答をする。
「せっかくだから、ちゃんとちゃんも呼んだら楽しそうだにゃー」
はダメだ。代わりに俺が行く」
 菊丸の呟きを即行で否定して、手塚は結論をくだした。
 誰が好き好んで恋人を狼の群れの中に放り込むものか。
 だいたい夜遅くなるに決まっている。そんな時刻に恋人を連れ出すわけにはいかない。
 それが二人きりの時なら話は別だが、それは隅に置いておく。
 おそらく不二も自分と同じ考えだろう。
 そう思って、手塚は隣を歩く不二に切れ長の瞳を向けた。
は僕が誘ってみるから、英二は声をかけないでね?」
 その言葉に手塚が目を瞠るのと、菊丸がわかっているとばかりにぶんぶん首を縦に振ったのはほぼ同時だった。
「不二、本気か?」
 眉間に皺を刻む手塚に不二はクスッと笑って。
「僕がを他の男に触れさせると思う?」
 触れさせるわけがないと断言できる。
 だがしかし、思うまま口にしたら、どうなるかわかったものではない。
 自分の身ではないが、他人の身をもってわかっている。
「遅くなるかもしれないぞ?」
 手塚が当たり障りのない言葉を選んで言うと、不二はクスッと笑った。
「それなら大丈夫。は僕の家に泊まることになってるから」
「…そうか」
 色素の薄い瞳を細めて言った不二に、手塚は短く呟いた。
 これ以上は触れない方がよさそうだ。
 なにか企んでいそうだが聴きたいとは思わない。否、聴きたくはない。
 彼女に来られるかどうか確認していないのに、泊まることになっているから大丈夫と言う不二。
 どこをとっても怪しいではないか。
 だが手塚は危険に首を突っ込む趣味は持ち合わせていない。



 翌日の昼過ぎ。
 午前中の部活を終えたレギュラー陣は、自宅に帰り私服に着替えて駅前に集合した。
 昨日あれから花火の前にバーベキューをしようという話が持ち上がり、手分けして準備や買出しをすることになったのだった。
「手塚、英二、桃城、乾が買出し班。俺、タカさん、海堂、越前が準備班だ」
 大石がそれぞれの担当を発表する。
 だが、その中に含まれていない人物がいた。
「なあ、大石。なんで不二の名前がないんだ?」
「英二・・・。さっき話をちゃんと聞いてなかったな」
 困ったように嘆息する大石のあとを、乾が引き継ぐ。
「演劇部は夕方に部活が終わるそうだ。不二はそれを待っている。だから合流は6時頃だな」
「ほえ?別に不二だけ先に来てもいいんじゃないの?」
「英二先輩。自分で言ったこと忘れてないっスか?不二先輩が来るから先輩が来るんですよ。だから不二先輩が来てたら先輩は来ないことになりません?」
 冷静に分析する桃城に、菊丸は笑って誤魔化した。うっかり忘れていた。
 そういえばそうだった。


 あたりがほどよく暗くなり始めた頃。
 バーベキューの後片付けをしている所へ不二とが姿を見せた。
「みんな、遅くなってごめん」
「こんばんは。花火に誘ってくれてありがとう」
 そう言って微笑む不二とになにか違和感を感じた。
 二人が手を繋いでいるのはいつものこと。
 雰囲気が甘くてラブラブなのも、日常茶飯事。
 でも、どこかが違う。
 それにいち早く気がついたのは、越前だった。
先輩、浴衣・・・」
「あ、うん。せっかくだからと思って。・・・変かな?」
 首を傾けて訊いてくるに、越前はわずかに耳を赤く染めた。
 いつも下ろされている長い黒髪はすっきりまとめられアップされていて、首筋が強調されている。
 そして浴衣からわずかに覗く鎖骨が、色香を醸し出していた。
 可愛くも艶かしいと思える憧れの先輩が目の前にいる。
「全然。めちゃくちゃ可愛いっス」
 その声とともに伸ばした越前の指はの頬に触れる筈だった。
 だが越前の指がに触れるより早く、不二が恋人を自分の腕の中に閉じ込める。
 不二は色素の薄い瞳を細めて後輩を一瞥した。
「ダメだよ、越前。は僕のなんだから」
 クスッと微笑む不二に越前は忌々しげに舌打ちした。
「も、もう周くんたら」
 夜目にもわかるくらい、白い頬を赤く染めたが恋人に抗議する。
 だが、彼女が本気で嫌がっていないことは不二にはお見通しだ。
 不二はの浴衣が着崩れない程度に華奢な身体を抱きしめて、赤く染まった頬にキスをした。
「じゃ、じゃあ不二とさんが来たことだし、そろそろ始めようか」
 俺は何も見なかった、と大石は二人から視線を逸らして、どうだろうと訊くようにメンバーを見回す。
 すでに花火を一人分づつ手分けして分配していた菊丸と桃城が、待ってましたとばかりにはしゃぐ。
 それを横目で見ながら手塚が重々しく頷いて、乾はデータノートを片手に頷いた。
 バケツに川の水を汲んできた河村がバケツを置いて「そうだね」と笑った。
 そして海堂は無言のままだったが、賛成の意思を示している。
「はい、ちゃん」
「ありがとう、菊丸君」
 片手でようやく持てる量の花火を白い手で受け取って、は微笑んだ。
 ここ数年、花火は花火大会を見るだけで、やる機会はなかった。
 こんなにたくさんあるのかという驚きもあったが、やはり嬉しい。
 渡された花火の中には彼女が一番好きな種類の花火もあって、それがまた嬉しい。
「ほい、不二」
「サンキュ」
 花火を不二に渡して、菊丸は他のメンバーにも配っていく。桃城も分担しているから、花火は全員の手にあっという間に渡し終わった。
 ろうそくの炎が風で消えないようにと大石が作った火付け装置ふたつに、手塚と乾がマッチで火を点ける。明るい炎が暗闇の中で赤く浮かび上がった。
 河原は道路脇の街灯の光がわずかに届くだけで薄暗いので、花火の鮮やかな色が華やいで見えそうだ。
「やっぱり初めはコレしかねーな。コレしかねえよ」
「ズルイぞ、桃!オレもオレも」
「・・・先輩たち、ガキっスか」
 一番乗りとばかりに花火に火を点ける桃城と菊丸に、越前が呆れたように呟く。
 だが、おーすげー、とはしゃいでいる二人の耳には届いていなかった。
 やれやれという顔をしながら、越前も花火に火を点ける。つまらなそうにしているが、そのじつ楽しみにしていたようだ。心なしか頬が緩んでいる。
 そんな後輩の姿に手塚と海堂は口元だけを上げて笑い、乾はデータノートにペンを走らせ、大石と河村は穏やかに笑った。
 不二はというと、一瞬だけ後輩に視線を向けクスッと笑って、すぐに恋人へ視線を戻した。
「どれにしよう?」
 花火を始めた三人を見て、は手元の花火へ視線を落とした。
 桃城や菊丸のような派手な音がする花火やカラフルな火の粉が出る花火か、それとも越前のような火花がふきだす花火にするか。
 少しだけ考えて、は一番にやる花火を決めた。
「それを初めにするの?」
「うん。一番好きだから」
 火を点けようとした手を止めて、は不二を見上げて嬉しそうに微笑んだ。
 彼女の細い指が持っているのは最後にする人が多いだろう、線香花火。
「じゃあ、僕も線香花火にしようかな」
「周くんも?」
 不二は頷いて、の隣にしゃがみこむ。
 そして花火の束から線香花火を取り出して訊いた。
「ねえ、。競争してみない?」
「競争? ふふ、楽しそう」
 せーの、と声を合わせて、線香花火の先に火を点けた。
 小さな炎の玉ができ、ぱちぱちと火花が弾ける。
 仲良く寄り添って花火をする二人から距離を取るようにして、面々も花火を楽しんでいる。
「あっ」
 柔らかな唇から小さな叫び声が上がった。
「フフッ。僕の勝ちだね」
 不二が勝利宣言をすると、は白い頬をむうっと膨らませた。
 悔しそうな黒い瞳が不二に向けられる。そんな彼女が可愛くて、不二はクスッと笑った。
ちゃん不二に勝った?」
 わくわくと顔に書いて近くに来た菊丸は、のがっかりした顔を見て彼女の負けを悟った。
 不二は最愛の彼女が相手だから、わざと負けるような気がしていたが。
「僕がわざと負けたらは怒るよ」
 確かにそうかもしれないと菊丸は思った。
 不二が本気かどうか、彼女はすぐに見破ってしまうだろう。それだけ彼女が不二を理解しているということだ。
「不二先輩。次、俺と勝負してくれません?」
「越前・・・フッ、いいよ」
 不敵に笑い勝負を挑んできた後輩に、不二もまた不敵な笑みを浮かべた。
 互いの目から火花が飛び散っているのを桃城と菊丸は見た。二人の周囲の温度が下がっているような気がして、二人は顔を見合わせる。
「英二先輩、どうします?」
「とりあえず、も少し離れるにゃ」
「そうっスね」
 桃城と菊丸はそろそろと移動して、越前と不二との距離を取った。
 すると二人の近くに興味津々といった体で、他のメンバーが集まってきた。
「新しいデータが取れそうだ」
 素早くノートを開きながら乾が呟いた。
「・・・線香花火で勝負か」
 ぼそっと呟いた海堂の隣で、河村が乾いた笑いを零す。
 二人から少し距離をおいた場所で、手塚は腕を組んで嘆息し、大石は額を抑えて溜息をついた。
 そしては、不二と越前のどちらを応援しようか悩んでいた。不二は好きな人だから応援したいけれど、先ほど負けてしまったので越前に勝って欲しいとも思う。
「英二、合図を頼むよ」
「おっけー」
 菊丸は不二の指名に乗り気で言った。
「3、2、1、ゴー!」
 線香花火の先端に同時に火がつく。
 小さな赤い火球から、ぱちぱち火花が爆ぜる。
 火球が落ちないようにしつつ、二人は互いを牽制することも忘れない。
 言葉はないが、二人の間には火花が散っているようにみえる。
 赤く光る火球が次第に大きくなり、それを先に落としたのは越前だった。
 その後すぐに、不二の火球も地面に落ちて消えた。
「フフッ、僕の勝ちだね」
 口元を上げ不適に笑う不二を越前は悔しそうに睨みつける。
 次は勝つっスよ、と視線で語る負けず嫌いの後輩に不二はクスッと笑った。
「それはまた今度ね」
 そう言うとの傍へ移動して、細い身体を横抱きに抱き上げる。
「ちょ・・・周くんっ!?」
 驚いたの手から、花火がバラバラと地面に落ちる。
「ねえ、越前。僕は誰にも渡す気はないよ」
「・・・奪い取るって言ったら?」
 鋭利かつ挑戦的な瞳で越前が不二を見据える。
「クスッ、負けず嫌いだね。いいよ、いつでも受けて立つ。 だけど、僕は負けないよ」
 不二は色素の薄い瞳を細めて、いつもより低めな声で静かに言った。
 そして、訳がわからず混乱しているを抱えて、唖然としている仲間に声をかけ、すたすた歩いていく。
「用事ってなんスかね?」
 首を傾げる桃城の隣で、菊丸が胸の前で腕を交差して、腕をさする。
「わかんにゃいけど、寒かったにゃー」
「英二…寒かったじゃなくて、恐かったの間違いだろ」
 冷静に突っ込みを入れつつも、大石は安堵の息を零した。
 手塚は無表情の下で、来ても来なくても大差なかったな、と反省していた。
 河村と海堂は無言で物言いたげな視線を交わし合う。
「そういえば、今日は花火大会があったな」
 一人で納得したように、乾が呟いた。
 その言葉に合点がいったように、なるほどと全員が納得できたと頷く。
 けれど――。
「乾ー、それを早く言ってよ。そしたら全員で花火大会行けたじゃん」
 菊丸がむうと頬を膨らませる。
「ここからでも見えるぞ」
 眼鏡をいじりながら乾が言うと、菊丸の目が輝いた。
「どこどこっ?」
 まだ始まっていないが…、と胸の内で突っ込みを入れて、乾は南西を指で示した。
「橋の左側に見える筈だ。距離があるから花火が見えるのと音が――」
「そうと決まれば、みんなで見よう見ようー!」
 乾の言葉を遮って菊丸がはしゃぐ。
「・・・たまにはいいか」
「そうだね」
「・・・ああ」
 大石の呟きに河村と手塚が同意を示す。
 海堂は無言だったが、反対している様子はない。

 しばらく闇色の空を見ていると、夜空に見事な花が咲き、数秒してから大きな音が響いた。



「・・・キレイ」
 呟くに、不二は切れ長の瞳を細めた。
 花火の光に照らされる彼女の横顔が美しい。
「そうだね。でも、君の方が・・・」
 キレイだよ。
 耳元で囁くと、白い頬が赤く染まった。
 不二はクスッと笑って、可愛らしい唇にキスを落とした。
「大丈夫だよ。みんな花火に夢中だから」
 微笑む不二には小さな声で、それでもいやなの、と呟いた。


 そうして恋人たちの夜はゆっくり更けていく――。




END



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