あなたを愛してる

 いつでも

 どこにいても

 ずっとあなたを想ってる

 僕が僕である限り

 あなたを愛してる

 たとえ何があっても

 僕はあなたを愛してる




 不慮の事故




 目を覚ますと、視界に見なれない白い天井が映った。
「周助!?気がついた?」
 声がした方へゆっくり顔を向けると、姉の由美子と母の淑子、そして弟の裕太がそこにいた。
「僕は…つっ…」
 寝台から起き上がろうとして腕に力を入れると、鈍い痛みが全身を走った。
 その痛みで、自分がどうしてここにいるのか理解した。
「周助、無理をしないで寝ていなさい」
「大丈夫だよ。母さん」
 そう言って、周助はベッドからゆっくり身体を起こす。
「ったく兄貴は無茶し過ぎなんだよ。心配したんだぜ?」
「裕太。来てたんだね」
「来ちゃ悪いかよ!」
 ぶっきらぼうにそう言うと、裕太はそっぽを向いた。
 けれど、彼の耳はわずかに赤く染まっていて、それが照れ隠しであることを告げている。
「ありがとう、裕太」
「……っ。俺は先に帰るぜっ」
 捨て台詞を残して裕太は病室を出ていった。
 その様子を嬉しそうに見送った周助の耳に、母の声が届く。
「先生をお呼びしてこなくてはね」
 思い出したかのようにそう言うと、母は病室を出ていった。
「どのくらいたったの?」
「あなたは二日も目を覚まさなかったのよ。すごく心配したんだからね」
「心配かけてごめん。姉さん」
「全く。…あっ、に連絡しなくちゃ!ちょっと行ってくるわ」
 由美子はハンドバッグを手にして、病室を出ていった。
 それと入れ違いに、医者を連れた母が病室へ戻って来た。



「……異常はないですね。ケガも軽いし、明日には退院できるでしょう」
「そうですか」
 医者からの言葉に淑子はホッと安堵の息をつく。
 診察用具を片付けると、医者はお大事に、と病室を出ていった。

 しばらくして、白いドアがガチャっと開いて、姉と小さな女の子が病室へやってきた。
 女の子は由美子の後ろから恐る恐る周助の顔を覗き見る。
 そんな少女に周助は柔らかな笑みを見せた。
「良かった。君はケガをしてないみたいで」
 優しく声をかけると、少女はパッと明るい笑顔になって、周助の傍へ駆け寄る。
「おにいちゃん。たすけてくれてありがとう。…これ、おみまいなの」
 そう言って、 は小さな手に持ったかすみ草の花束を周助に差し出した。
「ありがとう」
 礼を言ってそれを受け取ると、少女は嬉しそうに微笑んだ。
 そこへコンコンと控えめなノックの音がした。
「どうぞ」
 由美子が言うと、ドアが開かれた。
 病室に入ってきたのは、一人の女性だった。その女性の頬は蒸気して赤く染まり、唇からは荒い呼吸が零れ、額にうっすらと汗をかいている。艶やかな長い黒髪が乱れていて、走ってきたのだという事は明確だった。
 呼吸をなんとか整えながら、女性が口を開く。
「しゅ、周助の意識が戻った…て…」
 言いながら、ベッドの上に起き上がっている周助の傍に歩み寄る。
「よかった。周助…」
 ベット脇で瞳を潤まる に、周助は不思議そうに首を傾けた。
「あの…姉さんの会社の方、ですか?」
「…え?しゅう…すけ?何言って…」
「こんな時に冗談はやめなさい。周助」
「そうよ。に失礼でしょう」
 母と姉が周助の言動をたしなめるが、彼はそれを否定するように首を横に振る。
「本当に誰だかわからないんだ」
「嘘、でしょ?周助…」
 周助は緩く首を横に振った。
「本当にあなたが誰だか僕はわからない」
「…ヤだ。イヤ!本当に私のことわからないの?・・・…忘れちゃったの?」
 周助がコクンと頷くと、はその場に崩れ落ちた。
 焦点の定まらない黒い瞳から涙が溢れて止まらない。
 由美子と淑子はかける言葉がなく、を見守るしかできない。
 そんな状況の中で、少女だけは違った。
「おねえちゃん。どこかいたいの?だいじょうぶ?」
 自分の顔を覗き込んできたを視界に捕らえたは、驚きで涙が止まった。
 女の子はとても見覚えのある顔をしている。
 それもそのはず。女の子は自分と似ていた。
 母子と言っても通じそうな程、本当によく似ている。
 異なっているのは年齢と髪の長さくらいのもので、何も知らない人から見れば親子そのものと言っていいほどである。
 が声を出せずにを見つめていると、上から声が振ってきた。
「よく似てる・・・」
 その声は周助のものだった。
 その呟きに、由美子は周助がを助けた理由を見つけた。
 交通事故を目撃した人の話では、周助がいた場所とが車に跳ねられそうになった場所は距離が離れていたらしい。そのような場所から人を助けようとするのは無謀に近い。
 そんな危険を冒してまで見ず知らずの少女を助けたのは、彼の最愛の恋人にが似ていたからだ。
 周助の運動神経がよかったのと、幸いにして車がスピードを出していなかったため、軽傷ですんだのである。
 そうでなかったら、周助は即死していたかもしれない。
 そして淑子もその事実に気がついたようだった。普段はおっとりしていても、やはり周助の母なのだ。息子の性格をよく分かっている



「母さん?」
「おばさま?」
 淑子からの言葉に周助とは同時に声を上げていた。
 由美子は待ち合い室にいるの母親のもとへ少女を送りにいっているため、ここにはいない。
「周助には休養が必要だし、さんが傍にいた方が記憶が戻りやすいと思うの。だから二人でうちの別荘へ行きなさいと言ったのよ」
 もう一度同じ言葉を繰り返して、淑子は穏やかに微笑んだ。
「僕はいいとしても、…さんは無理でしょ。仕事が――」
「いいえ。なんとかなるわ。通常の休みと使っていない有給を全て使えば、二週間は休みがとれるわ」

 は周助の言葉を遮って言うと、真剣な瞳で周助を見つめた。
 何もせずに過ごすより、何かせずにはいられない。
 ほんの少しでも可能性があるのなら、それに賭けたい。
 私のことを・思い出して欲しい。
 周助への想いが、の背中を押していた。
 そんな彼女の想いが周助に伝わったのか。

「わかった。あなたがそう望むなら…」
 答えながら、周助は心の中で不確かな何かを感じ取っていた。
 それが何であるのかは、まだわからない。



 不二家の別荘に来たばかりの最初の頃は、会話らしい会話というものはなかった。
 二人の間に流れる空気はぎこちなく、二言、三言で会話が途切れて、しんと静まり返った室内で息をする音が響くような、そんな時間ばかりだった。
 にとって周助は大切な恋人だけれど、記憶のない周助の彼女に対する気持ちは、以前と異なっていたからだ。周助にとっては初対面の人と突然一緒に暮らす事になったも同然で、戸惑いが大きいのは仕方がない。
 それに対してに不安がないと言えば、嘘になる。けれど、自分の事より周助の方がきっと不安は大きい。そう考えると、自然と強くいられた。
 一方、の事を全く覚えていない周助にとっては、試練に等しかった。
 例えば、彼女の手料理を見て。
「僕の好きなもの、よくわかったね」
「うん、何度も作ったもの」
「あ・・・そうだよね」
「ううん、気にしないで。…食べよ?」
 は静かに微笑むだけで、それ以上は何も言わない。
 一言も責めないし、怒ることもない。
 それが尚更、周助の心を締め付けた。

 数日間、時々近くへ散歩に出かけたり、デートの話をしたり、が自宅から持って来た二人の想い出が詰まったアルバムを彼に見せながら過ごした。
 けれど10日以上が過ぎても、周助の記憶が戻る気配はなかった。
 タイムリミットは刻一刻と近付いてくるのに、周助の記憶はいっこうに戻らない。
 そしてついに二週間後の朝が訪れた。
「今日はもう東京に戻らなきゃいけないね」
 朝食を食べ終えて、二人で別荘の周辺を散歩している時に、周助がそう言った。
「そうね」
 は静かに頷いた。
 頷く以外、自分に何ができるだろう。
 考えても答えなど見つかる筈がない。万が一の事――周助の記憶が戻らなかった時の事など、何も考えていなかった。彼の記憶が戻らないなどと考えたくなかったし、きっと戻ると信じていた。
 周助の力になれなかった。
 自分には何もできなかった。
のこと思い出せなくてごめん」
 名前、いつから呼び捨てになったっけ…。
 頭の片隅でこんな時にどうでもいいことを考えながら、は首を横に振る。
「謝らないで。私は大丈夫だから」
 は微笑んだが、その表情はとても儚気で、吹けば消えてしまいそうだと周助は思った。
「……はどうして僕と一緒にいてくれるの?」
 不意に周助が訊いた。
 それはここに来る前から、ずっと訊きたいと思っていたことだった。
 すると は瞳を驚きに見開いた後、小さく微笑んだ。
「周助が好きだからよ。だから一緒にいるの」
「・・・僕があなたのことをずっと思い出せなくても?」
「それでも私は周助が好きだから、傍にいる。…迷惑だって言われない限り」
「本当に?僕の傍にいてくれる?」
「うん」
「以前の僕とは違うのに?」
「違わないわ。周助は周助よ。何も変わってないわ」
 ふわっと微笑むを周助は抱き寄せていた。
 華奢な身体に回した腕の力が、ほんの少しだけ強くなる。
「どうして…」
「しゅう…すけ?」
「…どうして僕は君がこんなに愛しいんだろう」
 力強く抱きしめてくる周助に は何も言えず、おとなしく周助の腕に抱かれていた。
 伝わる体温と鼓動にの胸が震える。
「…僕はを覚えていないけど、思い出せないけど、あなたの笑顔を見たら抱き締められずにいられなくて…」
「…うん…」
「…を離したくない。僕の傍にいて欲しい」
「うん」
「君を愛していたことを思い出せないけど・・・でも、僕はを愛してる」
 それが今、はっきりわかった。
 吐息のような告白が耳を掠める。
「周助…」
「この気持ちは嘘じゃない。二週間一緒に過ごしてはっきりわかった。僕はあなたを愛してる。あなたの優しさも強さも・・・あなたの全てを愛してる。 きっと以前の僕より、ずっとを愛してる」
「私も……周助を愛してるわ」
 は潤んだ瞳で周助を見上げて、柔らかく微笑んだ。
 黒い瞳の眦から透明な雫が白い頬を伝い落ちる。
 周助はの目元に唇を寄せて、それを舌で掬うように拭った。
を愛してる」
 耳元で熱く囁いて周助はの頭をかき抱き、薔薇色の唇を熱く深いキスで塞いだ。




 あなたを愛してる

 何があっても

 ずっと永遠に

 あなたを愛してる

 僕の心が、僕の全てが…

 …あなたを求めてやまない





END



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