独り言




 黄昏色の空が藍色に染まる。
 不二はコンクリートの壁に背を預け、色を変えていく空を見上げていた。
 秋になって蒸し暑さがなくなり、ようやく過ごしやすい季節になってきた。

 何気なく見上げていた空から視線を外して、不二は腕時計を見た。
 時刻は午後6時を回っていた。もうすぐ、だ。
「喜んでくれるといいな」
 ひとりごちて、秀麗な顔に笑みを浮かべる。
 をデートに誘ったのは、一昨日の夜。
 急だからどうかな、と思ったが、先月からを誘おうと思っていた。だから、電話をかけた。
「明後日の夜、と逢いたいんだ」
「それは嬉しいけど…」
「仕事が終わってからでいいんだ」
「…うん。私も周助くんに逢いたい」
 照れを含んだ優しい声が耳に届く。
 不二は が見たら頬を赤く染めそうなほどの笑顔を浮かべた。
「じゃあ明後日の夜、あなたを迎えに行くよ」



 藍色に染まった空に、微かに見え始めた。
 秋と言っても夕暮れはさほど早くないから、十分に間に合う。
 不意に人の話し声が近づいてきた。けれどその中に不二の待つ人の声はない。
 その時だった。ポケットに入れた携帯が着信を告げた。
「もう少ししたら行きます」
 からのメールを見た不二はフッと瞳を細め、ビルの入口がよく見える場所へ移動した。
 しばらくして、グレイのブラウスに黒のパンツ姿の彼女が色素の薄い瞳に映った。
 不二が、ここだよ、という風に手を振ると、はふわっと微笑んだ。
 足早に彼の元へ急ぐ。走らなくてもいいのにと思うが、少しでも早く傍に来てくれようとする彼女がとても愛しくて、不二はクスッと笑った。
、仕事お疲れ様」
「周助くん。ごめんね、待たせちゃったでしょ?」
「全然待ってないよ。 じゃあ行こうか」
 不二はにっこり微笑むと、白く細い手を捕まえた。
 細い指に自らのそれを絡めると、はほんのりと頬を赤く染めて、嬉しそうに小さく笑った。



 街灯の光が着き始めた街中を抜けて、町外れの丘に向かって歩く。
 小高い丘は広い森林公園になっていて、街全体が見渡せる。
 まだ初秋なので木々は青々と茂っているが、秋が深まれば見事な紅葉に彩られるだろう。
 この公園は二人が初めてデートした時に待ち合わせた場所で、足取りが軽いような気がした。
 もっとも想い出の場所だからということだけではない。
 一緒にいるのが最愛の人だから、だ。

 夕食にする時間には少し早かったので、途中の喫茶店――のお気に入りの店に行きお茶をした。
 そこで少しゆっくりしてからやってきたので、あたりは程よく暗くなってきている。
 街灯は所々に存在するだけで、その明りも煌々とではなく、どちらかと言えば密やかな明りだ。
 新月の時期なら辺りはもう少し暗いかもしれない。だが、今日は満月。
 闇色の空に浮かび銀色の光を静かに放つ月があるため明るい。
「すごくキレイ‥‥」
 宝石箱をひっくり返したような光の海の上に、銀色に輝く月が浮かんでいる。
 空に浮かぶ満月だけでも美しく幻想的であるのに、目の前の光景はそれ以上に美しい。
 空との距離が近いゆえか、仲秋名月が大きく見える。
「ああ、本当だね」
 彼の声が耳に届いたのと同時に、後ろからぎゅっと抱きしめられた。
 背中に感じる体温に の鼓動が跳ねる。
「しゅ…うすけくん?」
「ん?なに?」
 耳のすぐ近くで応じる声に、はくすぐったそうに肩をすくめて、回された腕に細い手をかけた。
「なんでもない」
「…フフッ、そう?」
  が言いかけたことが何か不二にはわかっていた。
 だから、あえて追求はしない。
 こういう所は自分はイジワルだと思う。それは自覚している。
 けれど、恥ずかしそうに頬を染める が可愛くてしようがない。
 ゆえにやめられない。
「              」
「え?」
 ふいに聴こえた声はとても小さくて、 は聞き取ることができなかった。
 顔だけを不二に向けて、問うように首を傾ける。
「ね、今なにか言った?」
「ずっと見ていたいね、って言っただけだよ」
 フフッと嬉しそうに笑う。だから は気付かなかった。
 色素の薄い瞳に真摯な光を浮かべ、決意するような不二の独り言に。
「ね、周助くん」
 黒真珠のような瞳を不二から月へ戻す。
 抱き締めてくれる恋人に甘えるように、身体を預けた。
「いつか…あなたともう一人で庭でお月見したいって言ったら…笑う?」
 不二は色素の薄い瞳を瞠って、ついでクスッと笑った。
 細い身体を抱きしめている腕の力がわずかに強くなる。
「笑わないよ。 僕が を幸せにするって決めてるんだから。誰にも譲るつもりはない」
「‥‥‥うん」
 不二は小さく頷いた の身体を反転させて、向き合うように体勢を変えて。
 白い頬を大きな手で優しく包み込んだ。
、愛してるよ」
 微笑みを浮かべて囁き、柔らかな唇に想いを込めたキスを落とした。
 


「近い将来、三人でお月見しようね」


 夜空に優しく輝く月だけが、不二の独り言を聴いていた。




END



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