体温




 桜の花が優しく色付き始めた、三月下旬。
 二週間振りに逢瀬を交わす二人は、不二の部屋でゆっくりくつろいでいた。
 ――どこかに遊びに出かけるよりも、二人でゆっくりしたいの
  がそう言ったのは、5日前のことだった。
 最愛の彼女の望みを不二が承諾して、今に至る。


 開かれた窓から花の香りがする心地いい風が入ってくる。
 窓から見える空は澄んだ青色で、真っ白い雲が泳いでいる。

 眠くなってくるのは、陽気のせいだろうか。
 それとも、静かに流れているクラシック――ショパンの『子犬のワルツ』のせいだろうか。
 とても心地いい――。
 瞳を閉じると寝てしまいそうなので、 は瞳が閉じないように読みかけの雑誌に意識を向けた。
、大丈夫?」
 彼女の様子に気付いた不二が気遣うように顔を覗きこむ。
 大きな手で前髪を優しく梳く彼に、 は微笑みを浮かべて。
「うん、平気。ごめんね」
 そう答えながらも、微かな睡魔が襲ってくる。
 仕事で疲れた顔を見せて恋人を心配させたくないから、昨夜はしっかり睡眠をとった筈なのに。
 それなのにどうしてなのだろう。
 不二の部屋でゆっくりと音楽を聴いたり、DVDを観たりしていると、何故か眠くなってくる。
 それは決まって恋人と寄り添っている時にだけ起こる、不思議な現象。
「無理しないで、眠いなら寝ていいよ?僕の肩は 専用だから。それとも、膝の上がいい?」
 色素の薄い瞳を細めて、不二は愉しそうにクスッと笑った。
 は頬を赤く染めて、ぷいっと不二から視線を逸らした。
 眠そうにしている顔をしっかりと見られていたらしい。
 恥ずかしくて、不二の言葉に答えることも、彼の顔を見ることもできない。
「フフッ。そんなに照れなくてもいいのに」
 耳のすぐ傍で低めの優しい声が聴こえて。
 それと同時にしなやかな長い指が、 の頬を捕らえた。
「君って本当に可愛いよ」
 それに抗議をしようとしたが、それより早く唇を塞がれた。
 甘くて優しいそれに、身体中の力が抜けていく。
 力をなくして今にも閉じてしまいそうな黒曜のような瞳が、不二を見つめている。
「…ねえ、本当に眠くないの?」
 唇を離した不二が色素の薄い瞳を細めて、至近距離で訊いた。
 背中に回された彼の腕の温度が、触れている体温が心地いい。
 は遠のきそうな意識をなんとか支えて口を開く。
「すごく眠いの。周助に包まれて寝ちゃいたい」
 意識が夢と現を行き来しているのか。の声はとても眠そうで、ぼんやり答えているのは明白だった。
 不二はそんな彼女にクスッと笑みを浮かべて、頬をそっと撫でる。
「肩か膝、貸すよ?」
 問いかけると、 は首を横に振った。
 どうやら嫌ということらしい。
「周助のベッドがいい」
 不二は驚いたように色素の薄い瞳を瞠った。
 けれどそれは一瞬のこと。不二は瞳を愛おし気に細めて、 の額に軽くキスを落とした。
「いいよ、貸してあげる。でも、僕の質問に答えてくれたらね」
「なに?」
「どうして僕のベッドがいいの?」
 不二としては の顔を見ていたい。
 だから、寄り掛かって眠るか、膝の上で眠って欲しいと思う。
 そんな不二の心情を解らない は首を少し傾けて。
「周助に包まれてるみたいで幸せそうだから?」
 よほど眠くなってきたのか、 は瞳を細い指で擦りながら言った。
 不二はフフッと笑って、細い身体を軽々と抱き上げた。
「約束だからね」
 囁くと、 は嬉しそうに微笑んだまま、黒曜のような瞳を閉じた。
 赤く色付く柔らかな唇から、微かな寝息が溢れ始める。
?もう寝ちゃったの?」
 不二はクスクスと愉しそうに笑って。
 細い身体をゆっくりとベッドに横たわらせ、ブランケットをそっとかけた。
「僕といて君が安らいでくれるのは嬉しいけど…ね」
 困ったように微笑んで、艶やかな黒髪を指に絡めて弄ぶ。
 彼の恋人は気持ちよさそうにベッドで寝息を立てていて、声は届いていない。
 それがわかっているから――。

「僕が の体温を感じたいって思ってることに、早く気づいてね」

 恋愛は人に合わせてと言うけれど。

「キスだけじゃ足りないよ、

 両頬を大きな手で優しく包んで。
 寝息の溢れる唇に甘いキスを落とした。
「‥ん…しゅう‥す‥け」
 キスに答えるように眠りながら微笑む恋人にクスッと微笑んで。
「君を愛してるよ」
 耳元で甘く囁いて、指に絡めた艶やかな黒髪にキスを落とした。




END

日頃お世話になっている、みちよ様へ。
「周助くんのお部屋で のんびり・やさしい時間を過ごしたいです。
音楽を聴いたり、DVDを観ているうちに、周助くんに寄りかかって寝ちゃいたい。周助くんからの甘くて優しいキスは必須で」というリクエストをいただきました。

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