夏休み




 大学が夏休みになって二週間が過ぎた。
 窓越しに照りつける太陽が眩しくて瞳を細める。
 暑いのは嫌いじゃないけど、こうも暑くならなくてもいいのに。
 …そろそろ出ようかな。
 腕時計の針は10時23分を差していた。
 待ち合わせは11時。家から駅までは歩いて15分位だけど、早めに出ないと が先に着いてしまう。
 彼女を待たせるのは嫌だし、なにより彼女は可愛いからナンパされないとも限らない。
 外見は可憐だけれど、中はしっかりしている彼女だから、そんなに心配はないけれど。
 それでも僕以外の男が に近付いて声をかけるのは許せない。
  の優しい笑顔、可愛い声、拗ねた表情、白い肌も全部、僕だけのものだから。
 独占欲が強いっていうのは自覚してるけど、一生直せそうにない。

 玄関の扉を開けると、暑い風が頬を撫でた。
、平気かな?」
 僕の彼女は暑いのが苦手だから、今日みたいな日は心配になる。
 長時間暑い場所にいると、貧血を起こして倒れてしまうことがあると が言っていた。
 それを聞いてから、デートの時は喫茶店や本屋など室内で待ち合わせるようにしてるし、 も日傘を差したりして直射日光に気をつけてはいるみたいだから大丈夫だとは思うけど。
  は僕を心配性だと言うけど、僕にしてみれば の方が心配性だと思う。
 家を出て数メートル歩いた所で、聞き慣れたメロディが聴こえた。
  専用にしているショパンの幻想即興曲。
 音楽を着信音にするのはあまり好みではないけど、変えておけばからだとすぐにわかるから。


 No Subject

 ごめんなさい。
 ちょっと気持ち悪くて行けそうにないの。
 久しぶりなのに本当にごめんなさい。


 届いたメールを見て、僕は走り出した。
  の『ちょっと気持ち悪い』は『すごく気持ち悪い』と同じ意味だから。
 僕に心配をかけたくないって思ってくれてるのはわかるけど、僕にだけは本音を言って欲しいと思う。
 いつだって僕は を守りたいんだから。

 大学生の僕が夏休みでも、社会人の にとっては普通の休日。
 ようやく休みを合わせてデートできることになったけど、そんなことは頭から吹き飛んだ。
 夏休みを口実に逢いたいと願ったのは、少しでも長い時間を独占したいから。
 傍にいて、仕事で疲れた を癒してあげたいから。

 具合が悪いなら、きっと横になってる筈。
  がくれた合鍵でドアを開けて、靴を脱いで部屋に上がった。
 火照った体温が冷たい空気で冷えていくのがわかる。
 音がしないようにそっと寝室のドアを開けた。
 「周助くんっ!?」
 起きていたらしい が僕に気付いて細い身体を起こした。
「どうして‥‥」
 黒い瞳を瞠って言った の前髪をそっと撫でて、僕はベッドの端に座った。
「どうしてもなにもないよ。あなたが心配だったから来たんだ」
 言うと、 は綺麗に整った眉を顰めた。
「ごめんなさい、心配かけて」
 気分の悪い時まで他人の心配をするんだから。
 あなたって人は初めて逢った時と全く変わらないんだから。
 僕に遠慮しなくていい、ってどう言ったら伝わるんだろう。
  は少し鈍いから…ね。
 まあ、そういう所も全部含めて、 という人を愛してるんだけど。
「ねえ、 。もっと僕に甘えてくれない?」
「え?」
「遠慮なんてしなくていい。僕はいつだって を愛してるし、守りたいって思ってる。少しでもあなたを癒してあげたい。だから、辛い時くらいは僕に甘えてよ」
 そっと の細い身体を抱きしめて、目元にキスを落とした。
  は頬を微かに桜色に染めて、小さく頷いた。
 そんな仕種がどうしようもなく愛しくて、柔らかな唇に熱く深いキスをする。
 ゆっくり唇を離すと、恥ずかしそうに俯いた。
「クスッ。 、顔が真っ赤だよ。林檎みたい」
「し、しかたないじゃない。恥ずかしいんだから」
 言って、僕の胸に顔を埋める が凄く愛しい。
 秋の夕暮れにデートして、寒い冬が訪れてもあなたは僕の隣にいてくれて。
 桜が舞う景色の中で、初めてのキスをして。
 七夕の夜にを抱いた。その時のはとても可愛くて、僕はおかしくなりそうだった。
 初めての夜から数えて――僕がの初めての男になって一ヶ月が過ぎてる。
 それ以来、肌を重ねたのは2回。
 それなのに、キスでさえまだ恥ずかしいんだ?
「可愛い をもっと見ていたいけど、まだ気持ち悪いでしょ?傍にいるから休んで?」
 ゆっくりと をベッドへ寝かせた。
 柔らかな髪をそっと梳くと、 は微かに微笑んで。
「周助くん、ありがとう。大好きよ」
「フフッ。僕は愛してるだけどね」
「‥‥私も周助くんのこと愛してるわ」
 嬉しいことを言ってくれるね、
 いつもなら『愛してる』ってなかなか口にしてくれないのに。
 気分が悪い時は素直になる…のかな?
 また新しいあなたを見つけられて、ちょっと得した気分だよ。
 それからしばらくして、 は意識を手放した。
「‥‥‥ん…周助‥くん…」
 僕と一緒にいる夢でも見てるのかな。
 フフッ、やっぱり って可愛い。
「今度の休みは今日行けなかったプラネタリウムでデートしようね」
  の頬に触れるだけのキスをした。


 僕に合わせて休みをとってくれた
 あなたを退屈させたりしないから
 花火大会も夏祭りも
 僕がエスコートするよ
 夏休みは始まったばかりだから…ね

 覚悟していて?




END



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