「ごめんなさい、周くん。私…」
「謝らなくていいよ。君が幸せなら、それでいい」
 僕は上手く笑えているだろうか。
「周くん…」
、英二と仲良くね」
「ありがとう、周くん」
 泣き笑いを浮かべて、彼女は言った。
 そして僕に背を向け、交差点の向こうで待つ英二の所へ走っていった。
 英二の傍に辿り着いたは、はにかむように笑っている。
 その笑顔は、僕に向けれれていた笑顔と同じ。
 でも、もう僕のものではなく、彼のものだ。

 そう思うと胸が苦しい。

 彼女が特別な笑顔を向けるのも、

 彼女の長く柔らかい髪を梳くのも、

 桜色の唇に触れるのも、

 細い身体を抱き寄せていいのも、

 白い肌に痕を残していいのも、

 彼女を守っていいのも、

 僕ではなくなってしまったんだ。

 心の中に、ぽっかりと穴が開いた。

 誰にも埋めることはできない。


 以外には。




The ache of my heart




 始業のチャイムが鳴るギリギリになって、ようやく周くんが教室へとやってきた。
 でも何だかいつもと様子が違う。
 いつも教室に入ってきたら、まっすぐに私の所へ来てくれるのに、今日は来てくれない。
 それどころか、目が合ったから笑いかけたのに、周くんは淋しそうに笑って、すぐに私から目を逸らした。

 その直後、担任の先生が来てしまって、私は彼と話すことができなかった。
 1限目の休み時間も、2限目の休み時間も、周くんはすぐに教室からいなくなってしまって、ずっと話ができないでいる。
 その間、私の胸の中は不安でいっぱいになっていた。
「周くんに嫌われちゃったのかな?」
「それはないと思うけど…」
 ポツリと漏らした私の呟きに応えたのは、菊丸君だった。
「でも、朝から避けられてる気がする…」
「それは俺も同じかにゃ」
「えっ」
 菊丸君が聞かせてくれたことを、すぐに信じるのは難しかった。
 周くんがテニス部の朝練に参加しなかったこと。
 その理由を訊こうとした菊丸君を、周くんが冷たくあしらったこと。

 信じられなかった。
 周くんはそんなことをする人じゃない。
 それにはきっと理由があるに違いない。




 4限目の授業が始まるギリギリの時間に、僕は教室へ戻った。
 そして、偶然目にした光景に息を飲んだ。
 と英二が話をしていた。
 目を逸らせずにいると、が僕に気がついた。
 彼女は不安そうな表情で僕を見ている。
 僕はどうすることもできず、その場に立ち止まった。
 するとは椅子から立ち上がり、僕の方へ歩いてきた。
「周くん、ちょっと来て」
 言って、 は僕の手を引いて歩き出した。
 繋いでいる手の温もりが心地いい。
 それを手放したくなくて、彼女と繋いでいる手に力を込めた。



 屋上にでると、冷たい風が微かに吹いていた。
 僕たちの他に人影がないのは、すでに授業が始まっているからだ。
「周くん、ここに座って?」
 がどういう意図で言ったのか全くわからないけれど、言われるまま僕は座った。
 すると、温かい何かにフワッと包まれた。
 僕の目に映っているのは、制服のリボン。
?どうしたの、急に…」
「聞きたいのは私よ…」
 彼女の声は震えている。
「私のこと嫌いになった?」
「まさか。そんなわけないだろ。どうしてそんなことを訊くの?」
「…だって、朝から目を合わせてくれないじゃない」
「……ごめん」
「そんなんじゃわかんないよ…」
「…夢で君に振られたんだよ、僕。君は僕より英二が好きだからって。……情けないよね。こんなことで を避けるなんて」
「情けなくなんてないよ。私はずっと周くんの傍にいる。だから泣かないで」
 言われて気がついた。
 僕はの胸で泣いていた。
 彼女の温かい手が、僕の髪を優しくなでる。
「好きよ。大好き、周くん。あなたが好き。誰よりも大好き」
 繰り返される告白。
「私は周くんだけ愛してる」
 耳に届く、優しい声。
 僕はの背中に腕を回して、顔を彼女の胸の中へ埋めた。

 ――いまだけでいい
 ――すぐにいつもの僕に戻るから
 ――今は 少し泣かせて




END


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