「初めまして。よろしくね」 教室で僕と隣同士の席になった君は、そう言って微笑んだ。 でも、僕は君をずっと前から知っていた。今日、同じクラスになるより前から。 けれど、僕が君を知っているなんて、君はわからないだろう。 君の黒い瞳は僕ではなくて、舞い落ちる桜を見上げていたのだから。 空から降るように落ちてくる花弁を捕まえようと、必死になっていた。まるで小さな子がするような遊びをする君が微笑ましくて、目が離せなかった。子犬がじゃれてるみたいで、無邪気な笑顔だったから尚更。 しばらくして、君は手のひらに桜色の花弁を捕まえた。 右手をゆっくり開き手のひらを見て、君は微笑んだ。その笑顔は、とても嬉しそうだった。 初めて君を見て以来、僕は君の笑顔が忘れられなくて、もう一度だけ会えないかな、と思っていた。 だから、あの時は立海大の制服を着ていた君が、翌月になって青学の制服で目の前に現れて、本当に驚いた。 やっと、君に打ち明けられる が青学に編入してきた日の放課後。 ざわめく教室の窓際の席で、不二は教科書やノートをバッグに入れていた。これから部活なので、行く支度をしているところだ。掃除当番や委員会などの場合を除き、部活の集合時間は守らなくてはならない。ちなみに、特別な理由がなく遅刻した場合は、グラウンドを走らされる。一周や二周ではなく、十周なのだから気を抜けない。もっとも、部活開始時刻に遅れたことはないけれど。 「不二くん」 名を呼ばれた不二は手を止めて、声がした方へ視線を向ける。 立っていたのは、今日転校してきたばかりのだった。 「何?」 「テニス部って見学できたりする?」 昼休みに校内案内を買って出た不二は、にテニス部に所属していることを話していた。 校内を案内していてわかったことは、彼女は本が好きだということ。そして趣味はピアノを弾くことだと言っていた。そんな些細なことでも知ることができて、なにより彼女と過ごした昼休みは、楽しい時間だった。 「できるけど、女子テニス部はミーティングじゃなかったかな」 自分の知っている範囲内で説明すると、は首を横に振った。 「ごめんね、言葉が足りなかった。女子じゃなくて、男子テニス部なんだけど」 の言葉に不二は色素の薄い瞳を瞬いた。 「できるけど、どうして?」 「男子テニス部の練習を毎日見学する習慣がついてて、その…見学しないと落ち着かなくて」 恥ずかしそうに笑うに、不二の顔から笑みが消える。 帰らずに毎日部活を見学していたという。しかも女子テニス部ではなく、男子テニス部。 彼女の好きな人がテニス部に所属しているから毎日見学していた。そう考えてもおかしくない。 彼女自身のことは読書とピアノが好きということしか知らないけれど、テニス観戦が好きだと言うのなら、女子でも男子でも構わない筈だ。それを『男子テニス部』と限定するのは、相応の理由があるからだろう。 得体の知れないもやもやしたモノが心の中に広がっていく。 「そう、なんだ」 笑顔を作れているだろうか。声が裏返ってはいないだろか。 動揺しているのをに覚られないよう、不二は笑みが崩れないように装った。 そして二言三言話しているうちに、聞きたくなかったことを彼女の口から聞いてしまった。 立海大テニス部部長の幸村に憧れていることを。 は『憧れ』と言っていたけれど、彼女の顔はどうみても好きな人のことを話している表情だった。 彼女の憧れているという人物が、全く知らない人ならよかった。彼がどういう人なのかを知っているから、心が苦しい。 初めて見た時から気になっていた人と時を過ごし、次第にに惹かれていた。予想はしていた。男子テニス部を見学できるか、と聞かれた時、すでに心はに捕まっていたから。 彼女には好きな人がいる。それはわかっている。けれど、話す時間が増えて親しくなればなる程、想いが増えていく。 それから数週間後の都大会決勝戦の日。試合会場にの姿があった。誰かと一緒ではなく、彼女が一人だったことに少なからず驚いたけれど、来てくれたことは嬉しかった。 閉会式が終わるとは手を振って、帰るねという仕種をして帰ってしまったけれど、彼女の後ろ姿を見送りながら不二は心に決めた。 彼女が困るだけで、自己満足でしかないと言わないつもりでいた。 けれど、青学が全国優勝したら、全国大会決勝の試合で勝利したら――その両方を成せたら、伝えよう。 君に伝えたい言葉がある 結果がわかっていても、伝えたい言葉が ――僕は君を諦められない 真っ青な空が広がっている。 その空の下で行われた全国大会は、少し前に幕を閉じた。青春学園優勝という目指していたものを勝ち取って。 閉会式を終えた不二は、真夏の陽射しの強い太陽が肌を焼くことのない木陰に、青学サイドのスタンドで応援してくれていたを連れてきた。 このあと河村の父の好意で、河村すしにて優勝祝賀会が行われることになっている。けれど、不二は決めていたことがあるから手塚から許可を得て、皆が河村すしに向かっている最中にもまだ有明にいる。少し遅れるが仲間と合流し、全国優勝を果たした喜びをみんなで分かち合う予定だ。 けれど、それは彼女に伝えてからのこと。 二人だけになり、は不二を見上げて微笑んだ。 「試合の勝利と青学優勝おめでとう」 はまるで自分のことのように黒い瞳を輝かせ、嬉しそうに笑っている。 金メダルが首にかけられた時よりも、彼女がおめでとうと言ってくれた今の方が、優勝したことにより実感がわいた気がする。 不二はに向けている微笑みを深めた。 「ありがとう。これで――」 やっと、君に打ち明けられる。 「全国優勝ね」 不二の心の中の呟きをが知る由もなく、本当におめでとう、と微笑む。 そんな彼女に不二はフッと小さく笑った。 屈託のない笑顔を見るのが好きだ。彼女の微笑みは元気をくれる。 それはきっと僕にとって君が大切な…好きな女の子だからだ。 不二は表面上ではわからないほど小さく、一度だけ深呼吸をした。 「そうなんだけど、僕の言いたいこととは違うんだ」 意味がわからず首を傾げるに、不二は切れ長の瞳を細める。 不二は真っ直ぐにを見つめて言った。 「やっと、君に打ち明けられる」 ふっと微笑みを消した不二に、は何を打ち明けられるのか気が気ではない。 毎日のように雨の日が続いていた梅雨の時期、不二が真剣な顔をしたことがあった。「君に聞いて欲しいことがあるんだ」と切り出されたので、は真剣に耳を傾けた。 「廊下に置き忘れられてた雑巾で桃城が滑って転んで、食べていた焼きそばパンが飛んで、ちょうど近くを歩いてた海堂の頭上に落ちたんだ。コントみたいだよね」 言い終わった不二はにっこり笑っていて、「本当だよ」と付け加えられた。それは嘘だと思わない。不二はからかうことがあっても、嘘は言わないから。けれど、からかわれたことは明確な事実。 不二は見た目はとても好印象で、性格もよく、人当たりもいい。けれど、稀にからかってくることがある。友人として仲良くなれた証だと思っているが、菊丸と一緒になって笑う姿を見ると「またからかったのね」と文句のひとつぐらい出るのは当然だった。けれど、いつしかそんな何気ない時間が好きになっていた。 こういうことが過去にあったので、どんな言葉が出るのか予測がつかない。 「決勝戦で試合に勝って、青学が全国優勝できたら言うって決めていた」 色素の薄い瞳は吸い込まれてしまいそうなほど真摯で、は瞬きも忘れて不二を見つめた。 とても冗談を口にするような顔じゃない。彼と出会ってまだ三ヶ月しか経っていないけれど、それぐらいはわかる。どんな彼も見逃したくなくて、彼の姿を追っていたから。 「僕は君が好きだ」 「…っ」 穏やかだけれど、はっきりした強さを持って告げられた言葉に、の呼吸が止まる。 ずっと好きだった幸村よりも、不二が好きになった。 だから、泣きたいほど嬉しい。けれど、嬉しすぎて言葉にならない。 「君が好きなのは幸村だってわかってるけど、伝えたかったんだ。 困らせるつもりはないけど、結果的に困らせたね。ごめん」 は耳に届いた声に反射的に叫んだ。 「どうして謝るの!?謝られたら言えないじゃないっ」 力いっぱいと言っていいほどの声量に、不二は色素の薄い瞳を瞠った。 彼女の言葉を理解すると同時に、僅かな期待が胸に膨らむ。 「…幸村君に憧れてたし、好きだった。だけど、今は…」 きゅっと唇を結ぶを見て、不二は頬を緩ませる。 耳朶まで真っ赤に染めているの唇が不二が心の際奥で望んでいた言葉を、欲しかった言葉を紡ぎ出す。 「不二くんが好きなの」 その言葉に不二は蕩けるような笑みを浮かべた。 好きな子に好きだと言ってもらえることがこんなにも嬉しいなんて。 頬が緩むのを止められない。 「…君を抱きしめてもいい?」 緩んだ顔を見られたくないというのもあるけれど、を抱きしめたくてたまらない。 幸い周囲に人影はない。もし人がいても衝動を抑えられそうにないけれど。 「えっ?ええっ!?」 案の定というか、やっぱりというか、は驚いた。 「夢じゃないって確かめたいんだ」 不二は赤く染まった耳に唇を寄せて甘い声で囁いた。 は少し掠れた熱い声に心臓が跳ねさせ、真っ赤な顔でコクンと頷く。不二は瞳を細めて微笑むと、華奢な身体を優しく腕の中に閉じ込めた。 「って呼んでいいよね?」 腕の中でが小さく頷く。 そんな仕種のひとつが、可愛くて、愛しい。 「ねえ、。周助って呼んでくれる?」 「………周助くん」 頷く代わりに名を呼ばれ、刹那瞳を瞠った不二はついで嬉しそうに微笑んで、腕の中に閉じ込めた恋人をぎゅっと抱きしめた。 END 【SEIGAKU VICTORY FOREVER】提出作品 お題:「やっと、君に打ち明けられる」(配布元:「負け戦」様) BACK |