祭りの魔法




 背の中程まである長い黒髪は頭のてっぺん近くでみつあみにしてお団子を作って、飾りに赤い玉がついたかんざしを挿す。
「……っと。これで大丈夫かな?」
 鏡の前で髪型を確認して、は用意した浴衣を広げた。薄紫色に桃色の牡丹柄の浴衣に袖を通し、紅色の帯を締める。
 着付けが一人で出来るようにはなるには時間がかかったが、今はあの頃に比べて早く出来るようになった。着崩れしなくなったのも上達した結果だと思うと嬉しい。
「きっとちゃんに似合うと思うの。だから貰ってくれたら嬉しいわ」
 由美子にそう言われて、彼女のおさがりだというこの浴衣を貰ったのは、数日前の事。
 その時の出来事を思い出し、は小さく笑った。
 由美子がくれた浴衣を着るのは楽しみだったけれど、今日はそれより楽しみにしている事がある。



「……周ちゃんの浴衣姿ってしばらく見てない」
 畳の上に薄紫色の浴衣が一着と紅色の帯が一本置かれている。それはいま由美子から貰ったばかりのものだ。
 その浴衣を嬉しそうに見ていただったが、ふと気がつき左隣に座る周助に黒い瞳を向けた。
 の言葉に周助は一度瞬いて口を開く。
「そうだね。中学に入ってからは着てないね」
 成長期なので袖や裾丈を直さないと翌年には浴衣が着られなかったし、母親に裁縫してもらってまで着るという執着がない。ゆえに自然と着なくなってしまった。
 周助にしてみれば自分の浴衣などどうでもよく、隣にいる幼馴染の浴衣姿を楽しみにしていたので気にしていなかった。
「…浴衣着た周ちゃんと出かけたいな、お祭り。ダメ?」
 首を傾げるはとても可愛いのだが、周助は困ったように眉を寄せた。
 出来ることならおねだりとも言えるお願いを叶えてあげたいが、今回は無理そうだ。
「ダメってことはないけど、浴衣がないからなぁ」
 最後に浴衣に袖を通したのは、小学六年生の夏だったと思う。それから二年も経っているのだから浴衣は小さすぎて着られない。呉服店に買いに行くという手もあるのだが、毎日部活があるからそれもできない。
「あら、あるわよ、浴衣」
 しゅんと項垂れただったが、由美子の一言でぱっと瞳を輝かせる。
「えっ?」
 周助は色素の薄い瞳を驚きに瞠った。
 妹のように可愛がっていると実の弟である周助に、由美子はにっこり微笑んだ。
「だから大丈夫よ、ちゃん」
「周ちゃん、浴衣あるって。よかったね」
 よかったねって、、それちょっと違うよ。いや、でもをがっかりさせずにすんだから、よかったと言えばよかったのかもしれない。
「姉さん。その浴衣って僕のじゃないよね」
 確認ではなく確信を持っての言葉に姉は頷く。
「お父さんのだけど、問題なく着れると思うわ」
「…一応父さんに断っておいたほうがいいかな」
 周助の呟きに由美子は首を横に振った。
「平気よ。ずっと忘れてたけど、周助か裕太が着られるなら着ていいって言ってたから」
 周助は僅かに瞳を伏せ、呆れたように軽く嘆息した。しっかりしているようでどこか抜けてるのが姉さんらしいな、と周助の表情は語っている。



「お母さん」
 二階の自室から階下に行き、台所へひょいと顔を出す。
「あら、それは由美子ちゃんがくれた浴衣ね」
 シンクで米を磨いでいた母の視線がに向けられる。
 は「うん」と頷いた。
「支度が出来たから行ってきます」
 笑顔で言う娘に母は不思議そうな顔をした。
「周助君が迎えに来てくれるんでしょう」
「そういう約束だけど、迎えに行って周ちゃんを驚かせちゃおうと思って」
 止める理由もないので、「行ってらっしゃい」と見送った母だったが、それに重なるようにインターフォンが鳴った。けれど、が玄関に向かっているのだから対応してくれるだろうと、米磨ぎを再開した。
 下駄を履いて上がり段から腰を上げたは玄関の扉を開け、驚きに瞳を瞠った。近所の人か宅配の人かと思っていたのだが、立っていたのは周助だった。
 生成りの浴衣に白く太い縞が入った紺色の帯を締めている周助に見惚れてしまって声が出ない。
 浴衣も帯もシンプルなのに、否、シンプルだからこそ、周助の秀麗さを引き立てている。
?」
「な、なにっ?」
 見るからに動揺をしているに周助はクスッと楽しそうな笑みを唇に浮かべた。
 ねぇ、もしかして、僕に見惚れてくれた?
 の耳元へ唇を寄せ囁くと白い頬が瞬時に赤く染まった。素直な反応を見せるに周助は嬉しそうに微笑んで、白く細い手を取った。
「その浴衣、似合ってる。可愛いよ」
「あ…ありがとう。…周ちゃんも浴衣似合ってるよ」
 カッコよくて見惚れちゃったもん。
 はとても小さな声でそう続けた。
「クスッ。ありがとう」
 周助はの右手を左手でしっかり繋ぎながら、緩く首を傾けて少し照れたように微笑んだ。


 祭り会場が近くなるにつれ、周囲の人が増え始めてくる。歩けないほどの人出ではないが、盛況だとわかる程度には混んでいる。
 周助はが迷子にならないように家から繋いでいる手を離すことはなかった。
 そのはと言えば、瞳を輝かせて露店を見ている。
「あ…」
 不意に声を上げたの視線を追うと、その先に周助がよく見知った面々がいた。だが、むこうはこちらに気がついていない。なぜなら彼らの視線は自分たちではなく、輪投げの景品に向けられているからだ。手には輪がいくつか握られていて、遊んでいる最中だというのがわかる。
「周ちゃん?」
 菊丸たちがいる店へ行くと思っていただが、周助がそちらではない方へ行こうとしたので驚いて声をかけた。
「ん?なに?」
「いいの?」
 首を傾けるに周助は色素の薄い瞳を優しく細める。
「せっかく二人でいるのに邪魔されたくない」
「えっ?」
「って、の顔に書いてある」
 周助が言い終わるより先にの白い頬に赤みがさす。恥ずかしそうに視線を逸らす彼女に周助はフフッと微笑んだ。
「適当に言ったんだけど、ね」
「…周ちゃん意地悪だ」
 むー、と唇を尖らせるが、上目遣いで睨まれても少しも怖くない。周助は可愛くてしかたないといった笑みを浮かべ、抗議をあっさり黙殺した。

 名を呼んだが、まだ怒っているようで黒い瞳は周助から逸らされた。周助は軽く瞬きし、ついで楽しそうな笑みを口元に浮かべたが、当然ながらはそれに気がついていない。
「…
 耳元で甘く囁くように名を呼ばれて、しびれるような甘い声にの細い肩がびくりと震えた。
 は周助の息がかかった右耳を右手で押さえるようにして、声の主に視線を向ける。
「ごめんね」
 無言のに周助は謝った。うん、と頷くに周助は頬を緩めたが、もうしないという約束はしなかった。約束を守る自信云々より前に、からかうのをやめるのは到底無理な話なので。
 無事に仲直りをした二人は再び歩き出した。
 ほどなくして、とある店の前でが視線を輝かせたのに気がつき、その店に立ち寄った。
 祭りの露店にしては地味な黒い布がテーブルに広げられ、その上には銀や金に光る小さな物がいくつも並べられている。半畳程の場所に並べられたそれらは、ペンダントや指輪、腕輪などの装飾品だ。
 はこういった店を見るのが初めてだったので、見ているだけで楽しくなってきた。
 色々あるなあ、と見ていたはふと目を留めた。
「これ可愛い」
 が右手で取ったアクセサリーは、オレンジ色の小花が三つ並んでいる銀色の指輪だった。
「君に似合いそうだね」
「…周ちゃんがそう言うなら買おうかな」
 ぽつりと零した声を周助の耳はしっかり拾っていた。の手が財布を取るために巾着に入ったのと、周助が指輪の代金を払ったのはほぼ同時。
「お買い上げありがとうございます」
「行こうか、
 周助はの手に指輪を握らせて店から離れた。
 少し歩いたところではようやく状況が飲み込めた。
「周ちゃん、あの…」
「ごめん」
「え?」
 突然の謝罪に意味がわからず、は黒い瞳を瞬く。
 周助は口元を左手で覆い、から僅かに視線を逸らして言った。
「…楽しそうにしてるを他の男にあまり見せたくなかったんだ」
「…っ」
 不意打ちの甘い言葉に頬はもちろん耳朶まで真っ赤に染まる。嬉しいのか恥ずかしいのか、よくわからない。
 周助をまともに見られなくてうつむくの耳に、落ち着きを取り戻した周助の柔らかな声が届く。
、指輪はめてみせて?」
「あ、うん」
 は右手に握っていた指輪を左手の指にはめようとして、どの指にはめようか悩んだ。
 周ちゃんが買ってくれたんだし、思い切って薬指…にするのはちょっと恥ずかしいし。人差し指か中指かな?でもでも薬指にはめてみたいな。…ダメかな?うう、どうしよう?
 左手を広げ右手の親指と人差し指で指輪を持ったまま、は固まってしまった。そんな彼女に周助はクスッと小さく笑った。
「僕がはめてあげるよ」
 周助はの右手からひょいと指輪を取って、の左手の薬指にそれをはめた。
「少し緩いけど、これくらいなら大丈夫かな」
 は周助と指に光る指輪を交互に見つめて、はにかむように笑った。
 周助がはめてくれたのが嬉しくて。それ以上に左手の薬指にはめてくれたのが嬉しい。
「ありがとう周ちゃん」
「――――」
「えっ?」
「ううん、なんでもないよ。ただの独り言」
 笑顔というオブラートに包んで、呟いた言葉を隠した。
「本当に?」
「うん、本当に」
 小さな嘘をついてを煙に巻き、周助はそれよりさ、と話題を変えてしまう。
「カキ氷食べない?」
 そう提案すると、は笑顔で頷いた。
「イチゴがいい」
「そう言うと思った。はホントに苺が好きだね」
「うん、好き。でも周ちゃんの次にだよ」
 自分を見上げて笑うに周助は一瞬面食らってしまった。
 こういう場所でがこんなことを言うとは思わなかった。
 祭りの魔法…なのだろうか。
 少し前の自分の行動を思い返して、周助は瞳を細めて微笑んだ。
「ありがとう。嬉しいよ」
 周助はの手をしっかり取って、離れないように指を絡めるようにして手を繋ぐ。
 そして、カキ氷の屋台へと歩き出した。




END



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