満月夜 漆黒の夜空に黄金に輝く丸い月が浮かんでいる。 澄んだ空に浮かぶ月は優しく輝いていて、見ているだけでとても心が和む。 心がすさんでいたり、傷ついていたりする訳ではないけれど、穏やかな気持ちにさせてくれるのは、中秋の名月の魔法なのかもしれない。 「周ちゃん、今日の夜、あいてる?」 幼馴染であり恋人であるから携帯へ電話がかかってきたのは今朝の事だった。 隣の家ということもあり、彼女から電話がかかってくるのは非常に珍しい。 弾んだ嬉しそうな声に何かあるのだろうとわかった周助はクスッと小さく笑った。 「うん、あいてるよ。なんのお誘い?」 「お月見しよ?」 「そういえば今夜は十五夜だね」 昨夜、母と姉がリビングでそんな話をしていたことを思い出す。 中学に入ってからは部活が忙しくて、十五夜を意識したことはなかったし、愛でることもなかった。 だから今年もこうしてが声をかけてくれなかったら、なにもしなかっただろう。 そう考えてハッと気がつく。 もしかしたら、だから、だろうか。 だとすると彼女は我慢していたのかもしれない。 「せっかくだから、どこか出かけようか?」 月見なら家でもできるけれど、せっかく一緒に過ごせるのなら、出かけるのもいいと思った。 自分が一緒なら、の両親も夜の外出でも許可をしてくれるだろう。 「本当?あ、でも…」 「でも?」 「お団子と抹茶をどうやって持って行ったらいいかなあ?」 思いもよらない問いを受け、周助は「うーん…」と呟く。 団子は箱に入っているだろうからいいとして、抹茶は水筒に入れるなど聞いたことがないし、点ててすぐを飲むものだろう。となると持っていくには無理がある。 …ん?抹茶? 方法を考えていた周助は、ある事に気がついた。 「ねえ、。抹茶ってどう用意するの?」 「私が点てるの」 「が?」 「あまり上手じゃないけど、周ちゃんに淹れたいなって」 耳に届いた、少しだけ照れを含んだ声に周助は頬を緩めた。 今ほどの顔を直接見たいと思ったことはない。きっとすごく可愛く笑っているに違いないと思うと電話なのがもどかしい。 こんなことなら窓越しに話そう、と言えばよかった。 「じゃあ、出かけての月見は今度にして、今夜は家で月見にしようか?」 が一緒なら月見をする場所はどこでも構わないのだけれど、せっかくの彼女の好意を無駄にしたくない。 それに、彼女が点ててくれるという抹茶を飲んでみたいと思う。 「うん。じゃあ、うちに来てもらっていい?」 「もちろん。何時に行ったらいい?」 「えっと――」 約束した時間に周助がの家を訪ねると、彼女は玄関先で待っていた。 周助は瞳に映ったの姿に一瞬だけ瞳を瞠って、ついで嬉しそうに微笑んだ。 「周ちゃん」 薄紫色の着物姿のが首を傾けて微笑む。 「その着物、似合ってるね」 周助が驚いた理由はの服装だった。新年や夏祭り、花火大会とことあるごとに着物に袖を通すのは、曰く「おばあちゃんの影響」らしい。 普段と違う装いの彼女は可愛いし、似合っているから見る側である自分は嬉しい。それに、祖母から貰ったり送られてきた着物に袖を通さないのはもったない、と言う彼女の気持ちはわかる気がする。 「ありがとう」 白い頬をほんのり赤く染めてはにかむに周助は色素の薄い瞳を細める。 いつまでたっても褒められることに照れてしまう彼女が初々しくて、とても可愛い。 「へぇ、本格的だね」 家の縁側へ案内された周助は、切れ長の瞳に映った光景に感嘆の声を上げた。 大きな花瓶にススキが飾られており、その横には朱塗りの皿に団子が山のように盛られている。 「小さい頃におじいちゃんが教えてくれたの」 ススキは五本、団子は十五個だ。 田舎に遊びに行った時、十五夜の用意をするという祖父について回っていたに、そう教えてくれた。 「でね、飾ったお団子は食べちゃいけないって言われてがっかりしたの」 「それでどうしたの?」 「おばあちゃんが余分に作ってくれたのを食べたの」 「なるほど」 「いま抹茶を持ってくるから座って待ってて?」 「うん」 周助は縁側に敷かれた座布団に靴は脱がず腰掛けるように座った。 庭先から聞こえる虫の音に耳を傾け待っていると、が縁側へ戻ってきた。 「お待たせしました」 は二つの茶碗と団子を盛った皿を乗せた盆を床の上に置き、周助の隣に敷いてある座布団に正座した。 そして抹茶の入った茶碗の一つを周助へ差し出す。 「上手じゃなくてごめんね」 「そう?きれいに出来てると思うよ」 「そ、そうかな?」 「うん。いただきます」 一口飲むと口内に抹茶の苦味が広がった。 初めて口にしたけれど、香りもいいし、美味しい。 「抹茶ってけっこう美味しいんだね」 周助の言葉には頬を綻ばせる。周助が美味しいと言ってくれたのが嬉しい。 「お団子も食べて?色々作ってみたの」 「色々って?」 見た目が全部同じなので、色々とはどういう事なのだろう。 「あずきあん、うぐいすあん、しろあんのどれかがお団子の中に入ってるの。けど、周ちゃんの好きな唐辛子を入れた餡子も少しだけ作ってみたんだけど、美味しく出来なかったから入ってないの。ごめんね」 「いや、気にしなくていいよ。三種類もあれば十分だし、嬉しいよ」 そう言って周助はにっこり微笑んだ。 が、その笑みの下で彼は思っていた。の発想って時々すごく大胆だな、と。 「それにしても、月が出てこないね」 周助の言葉には頷く。 昼間は晴れていて、夜も晴れるだろうと思っていたのだが、いつの間にか雲が増えていて、月の姿は雲に隠れて見えない。 雲の隙間からうっすら月影がわかる程度で、月見をするには物足りない。 「風が吹いてくれたらいいんだけど…」 「そうだね。雲は少し動いてるみたいだけど、月が全部見えるにはもう少しかかりそうだ」 「早く見たい」 「焦らなくても明日は日曜日だから、遅くまで起きていても大丈夫だろ?」 「あ、そっか。そうだよね」 安心した、と笑うに周助は口端に微かな笑みを浮かべる。 それから月や食べ物の話をしながら月が現れるのを待っていると、四十分程経った頃、待望の月が見え始めた。 「出てきたよ、周ちゃん」 「うん。もうすぐ全部見えそうだね」 そして数分後、月が金色の光を放ちながら姿を見せた。 「黄金色できれい」 満面の笑顔で喜ぶが可愛らしくて、周助はフフッと微笑む。 月はの言うようにきれいだけれど、ずっと見ているなら月よりもを見ていたい。 そう言ったら君はどんな顔を見せてくれるのかな? 「ねえねえ、周ちゃん、ウサギがくっきり見えるよ」 「本当だ。でも、月にいるウサギより君の方がウサギみたいだよ」 「え?」 首を傾けるに周助はフッと微笑んで、細い体を抱き寄せて腕の中に閉じ込める。 「跳んでどこかへ行ってしまいそうだから、捕まえておかないとね」 「えっ?しゅう――」 周助はの柔らかな唇に優しいキスを落として、続く言葉を遮った。 月ばかり見てるが悪いんだよ―― 耳元で甘く囁かれ、は白い頬を真っ赤に染めて抗議したけれど、再びキスをされてしまったのだった。 END BACK |