吐き出す息が白く染まり霧散する。
 暦の上では立春を過ぎたが、春の訪れを告げる梅が咲いても春と思えない寒さだ。
 けれど、心は桜の花が綻ぶのを待つかのように、そわそわしていた。なぜならバレンタインが近いからだ。




 You + Me = HAPPINESS




 あと二日でバレンタインデーとなる、金曜日の放課後。
 部活がいつもより少し早く終わったは、彼の部活が終わるのをテニスコート側で見学しながら待っていた。風が冷たいので首にはマフラーを巻き、手には手袋をはめている。スカートから出た足が寒いけれど、制服なのでこればかりは仕方がない。
 冬の日に外で彼の部活が終わるのを待っていることに関して彼は反対しているのだけれど、練習している姿をたまには見たくてやってきた。
 今朝、図書室で待ってるね、と約束したけれど、なぜか今日は「彼の部活を見に行く」という部の友人が数人いたので、もそうしようかな、と思ったのだった。それに、少しでも早く彼の顔を見られるのは嬉しいのだ。
 動かないでじっとしているのは寒かったけれど、幸いにして、身体の底から冷えてしまう前にテニス部の練習は終了した。
 先輩である三年生は引退し、今の主力は二年生部員だ。ゆえにコート整備や備品などの片付けがない彼は、部室に行くと素早く着替えてのところへ走ってきた。
「お疲れ様、周ちゃん」
 小首を傾げて笑うの頬に周助は長い指でそっと触れた。思ったとおりの冷たい感触に軽く溜息を吐く。
「…怒ってる?」
「怒ってるよ。君に風邪を引かせたくないからダメって言ってるのに、聞き入れてくれないんだから」
「だって…」
 周ちゃんに早く会いたかったんだもん。
 小さな声で紡がれた言葉に周助は苦笑するしかない。こんなに可愛いことを言われては、折れざるを得ない。
「仕方ないな、は。甘えっ子なんだから」
 言葉は困っているけれど、声色は優しく柔らかい。
 媚びるではなく、純粋な想いを口にしているのだとわかるから。
 いつでも純粋で素直な彼女だから、これほど好きになったのだ。
 ゆえに大切だし、甘えてくれるのは嬉しい。
「帰ろうか」
 微笑んで手を差し出す周助には笑顔で頷いて、彼の手を取った。



 二軒の家――不二家と家の境で、二人は立ち止まる。
 一緒に帰った時はいつも、二人はここで繋いでいる手を離し、それぞれの家へと帰るのだ。
「周ちゃん」
「なに?」
 何かを聞きたそうな顔で名を呼んだ彼女に周助は首を傾げた。
「えっとね、明後日って時間ある?」
 日曜日、テニス部は試合を間近に控えていない限りは原則的に休みだ。それは知っている。けれど、予定が空いているかどうかはさすがに確認しないとわからない。
 予定を聞かれた周助は微笑んで頷く。
「もちろんあるよ」
 というか、当然空けてるけどね。
 胸中で呟いた声はもちろんには聴こえていない。
 周助の胸中など全く気がつかないは、ほっとしたように笑った。
「あのね、周ちゃんちに行ってもいい?」
 首を傾げてが訊く。
の家じゃダメなの?」
「え?」
 逆に問いかけられて、は黒い瞳を瞬く。
が来てくれるのも嬉しいけど、せっかくだから僕がの家に行きたいな」
 柔らかく微笑む周助には疑問を持つことなく頷いた。
「いいけど。でも、いいの?」
「うん。じゃ、約束」
 繋いだ手を離して、周助は右手の小指を差し出す。は彼の小指に右手の小指を絡める。
「周ちゃん、いつ頃来る?」
「午後でいい?」
「うん。待ってるね」
 微笑みあった二人は約束を交わして指を離した。



 日曜日の午後。
 周助はバスケットボール程の大きさのクリーム色の包みを大切に抱えて自宅を出た。
 冷たい風が頬を撫でるが、家は隣なので寒さに震えることなく着いた。
 左腕に抱えた包みは真紅のリボンがかかっているが、上だけ開いていて中が見える。その中にある物へ視線を落とし、周助は色素の薄い瞳を細めた。
 可愛らしい小さな白い花をつけたそれは、が大好きなものだ。
 毎年彼女はバレンタインにチョコレートをくれる。
 けれど、ふと思ったのだ。
 外国ではバレンタインに女性から男性に贈り物をするより、男性から女性へ贈り物を渡すという。
 今までそうした事はなかったけれど、今年から実践してみようと思った。
 だから、贈り物を用意した。
 彼女がバレンタインの話を持ち出すより前に。
 彼女が一番喜んでくれるだろう、贈り物を。
 ――、喜んでくれるといいな。
 そう思いながら、周助は呼び鈴を押す。
 呼び鈴の音が響いてすぐに玄関の扉が開き、それと同時に声がする。
「周ちゃん」
 訊く声ではなく、確信したそれに周助はクスッと笑みを零す。もしかして待ちくたびれていたのだろうか。そう思うと可愛くて仕方ない。けれど、一応釘を差す事は忘れない。
、ちゃんと見てから開けないと危ないよ」
「絶対に周ちゃんだと思ったから大丈夫だもん」
 拗ねたように言って、は周助が左腕に抱えた包みに目を留めた。それに気がついた周助は瞳を僅かに細めて微笑んだ。
、大好きだよ」
「えっ?」
 不意打ちの告白にの白い頬に朱が散る。
「今日はバレンタインだろ。だからね、僕からに愛を込めて」
 両手を出すように言われて、は素直に従った。
「少し重いから気をつけて」
 頷いたの華奢な手の上に包みが乗せられる。
 その包みを覗き込んだは瞳を輝かせた。
「周ちゃん、これ…!」
 心底嬉しそうな笑みを浮かべ、は周助を見上げる。興奮しているのか、頬が心なし赤い。
「そう、イチゴだよ」
 よくよく苗を見ると、小指の先くらいの緑色の実がついている。これが大きく育つと白くなり、日光に当たることで赤く染まり、スーパーやデパートで並んでいる赤く熟れた果実――イチゴになるのだ。
 周助は苗を買いに行った時に、花が咲いていて、なおかつ見てわかるくらいの大きさの実がついているのを選んだ。そのほうががより喜んでくれそうな気がしたから。
「ありがとう、周ちゃん。大切に育てるね」
 首を傾けては嬉しそうに言った。
「イチゴができたら一緒に食べようね」
「それは嬉しいけど、いいの?」
 が食べる分が減るよ、とは言わず、周助はが傷つかない言葉を選んだ。
「うん。だって周ちゃんと一緒に食べたほうが、きっとずっと美味しいから」
 無邪気に笑う恋人に周助は一瞬だけ切れ長の瞳を瞠り、ついで細めると極僅かに頬を赤く染めて微笑んだ。
「わかった。楽しみにしてるよ」
「うん!」
 早く大きくならないかなあ、と再びイチゴの苗を覗き込むに、周助は幸せそうに微笑んだ。

 それから数分後。
 周助はからチョコレートとラズベリーのシフォンケーキを貰った。
「一人じゃ食べきれないから、、一緒に食べようよ」
「え、でも、由美子さんとおばさまがいるから平気じゃない?」
 不思議そうな顔をしているに周助はにっこり微笑んだ。
がくれるものは独り占めすることにしてるんだ」
「えっ、あ、その……」
 ありがとう。
 は白い頬を真っ赤に染めて小さな声で言った。
 周助はクスッと微笑んでの耳元へ唇を寄せる。
「だからも――」
 僕を独り占めしてくれるよね。
 甘い言葉には耳まで赤く染めたけれど、小さくコクンと頷いた。



 君と僕。
 あなたと私。
 二人だから、幸せ。




END



BACK