蒼に煌く 八月初旬。 陽射しの強さが増し、気温が30度を超える日々も多くなってきた。外出する時は日傘や帽子がないと、暑さにやられてしまう。それから、何故か日焼けしない体質なのだが、紫外線は身体に悪いので日焼け止めもかかせない。 結婚が決まってからは仕事を辞めたので、買い物や散歩、友人との約束がない限り家にいることが多いのだが、今の時期――夏の外出時は気をつけている。 は結婚後も仕事を続けるつもりでいたし、周助は君の好きにしていいよと言ってくれた。だから辞める必要はなかったのだが、彼が帰宅した時は家にいておかえりなさいと言いたかった。それに、お互いの仕事の関係で数日顔を見ないということもないとは言えなかった。結婚したのに擦れ違いで顔を見られないのは耐えられなかった。 周助はカメラマンで、撮影で数日家を空けることもある。だから数日家に一人ということはあるだろう。けれど、家にいれば帰ってきた彼と早く会える。 理由としてはただのわがままとしか言えないが、は考えていることを周助に話した。 「あの時は好きにしていいよって言ったけど、本当は家にいて欲しいって思ってたんだ。だから嬉しいよ」 は驚きに黒い瞳を瞠った。 「いいの?わがまま言ってるのに……」 周助は微苦笑して、の額に自分のそれをこつんとくっつける。 「このくらいで? 君はもっと欲張りになったっていいくらいだ」 「そんな!今だって欲張りなのに」 「どんなところが?」 「え、ええと……周くんを誰にも渡したくないな、とか…」 目元を赤く染めるの可愛らしい反応に周助はクスッと笑う。 「そんな事、僕はと付き合う前からずっと思ってるよ。だから欲張りとは言わない」 「え、じゃあ、私以外を撮らないで、とか…」 「僕は風景写真専門だよ」 「あ、そうでした…」 「他には?」 「えっ?」 「他にないの?」 「他に……」 「ないんだね」 にっこり笑う周助には小さな声で、ないですと答えたのだった。 夕食後、と周助はリビングでコーヒーを飲みながらくつろいでいた。 ソファに寄り添って座り、は周助の肩に頭を預けていて、周助はの腰に腕を回している。冷房の温度は控えめで、ひんやりとした温度ではない。ただ単純に、二人ともくっついていたいだけだ。ちなみに、周助はオフの日にはここでに膝枕してもらっていたりする。 リビングはレコードデッキから流れるシューベルトの曲で満ちている。二人ともテレビをあまり見ないので、クラシックやジャズのレコードがかかっている事が多い。選曲は周助だったり、だったり、二人で選んだりする。今夜は周助に何がいいか訊かれ、は彼におまかせしたのだった。 「急なんだけど、三日後から五日間、撮影旅行へ行く事になったんだ」 は驚きに瞳を瞠った。 周助が仕事で家を空けることは、結婚する前にも何度かあった。けれど結婚してからは初めてのことだ。 「どこまで行くの?」 「南の島。仕事自体は一日で終わるから、ゆっくりしてこようね」 「え?ゆっくりしてこようねって?」 どういう事だろうと首を傾げるに、周助は口元に柔らかな笑みを刻む。 「君も一緒に行くって意味だよ」 「私も?」 「そう、も。航空チケットも宿も全部手配済みだから、嫌って言われると困るけど」 は音がしそうなほど、首を横に振った。 「嫌なわけない!……五日も会えないのかと思ったから、すごく嬉しい」 照れた顔で微笑む彼女が可愛らしくて、周助はほんのり赤く染まった頬にキスをした。 「そういう可愛いこと言われると、我慢できなくなるな」 囁かれて、は瞬時に顔を真っ赤に染めた。初々しい彼女に周助はクスクス楽しそうに笑って、華奢な身体をソファに優しく押し倒した。 「りょ、旅行の話は…」 「明日するよ。今は、が欲しい」 長い指が頬に触れ、ついで髪に差し込まれる。 「くれるよね?」 返事の変わりに瞳を閉じるとクスッと笑う声がして、甘いキスで唇が塞がれた。 が寝不足となった日から四日後の早朝。 「……ん…」 は小さく身動ぎし、瞼をゆっくり上げた。何度か瞬きし、ベッドに身体を起こす。 覚め切らない頭のまま部屋を見回し、は首を傾げた。 周助の姿がない。 部屋はわずかに明るいけれど、時刻を確認してみたら五時十二分だった。 こんな朝早い時間にどこへ行ったのだろう。 気になって、もう一度眠る気にはなれない。 コーヒーを淹れながら待っていようとベッドから下りた時、ガチャと音がして部屋の鍵が開き、扉が開いた。 「周くん」 「ごめん、。 心配させたかな?」 「少しだけ。 仕事してたの?」 ベッドの端に腰掛けた周助の手にあるカメラに気がつき、は訊いた。 「うん、朝は昨日無理だったからね。君はよく眠っていたし、起きないうちに戻ってこられると思ったんだ。けど、メモを残していけばよかったね。一人にしてごめん」 は首を横に振って、ふわっと微笑んだ。 「お疲れ様でした。それから、おはよう」 周助は色素の薄い瞳を細め、幸せそうに微笑んで、の頬に音を立ててキスをする。 「おはよう。 今、紅茶淹れるよ」 「え、でも、いつもコーヒーなのに?あ、それに、淹れるなら私が」 「今朝は紅茶。君の好きな、ね。それから、旅行中は君を甘やかすって決めてるから、淹れるのは僕」 は瞳を丸くして、ついで小さく笑った。甘やかされるのがくすぐったいけれど、心地よくて。 「なら、待ってる間に着替えるから、こっち見ないでね」 周助はクスと笑って、うん、と頷く。 「着替えたら教えて」 は白いワンピースに着替えて周助に声をかけ、バルコニーへ出た。まだ早朝なので暑くはないし、陽射しを遮る大きなパラソルがあるので、ここでお茶を飲みたいなと思ったのだ。頼めばここに朝食を用意してくれるらしいので、それもいいなあと思う。 甘やかすって決めてるから、という彼の言葉を思い出し、言ってみようと決めて、椅子に腰掛けた。 「……気持ちいい」 潮の香りを含んだ風が肌を撫でていく。 白じみ始めた空の下に広がる蒼い海は、ほのかな陽光に煌いていて綺麗だ。 砂浜には人影がなく、海上遠くにうっすら船影が見える。 まるで一枚の絵画を見ているようだ。 蒼く澄んだ海で遊ぶのもいいけれど、こうして飽きるまで眺めているのもいいかもしれない。 煌く蒼い海を眺めていると、周助が紅茶を淹れて持ってきてくれた。 「ありがとう」 「どういたしまして。 ここ気持ちいいね」 周助はの隣に椅子を並べてそれに座り、彼女と同じように海へ視線を滑らせた。 「私もそう思ってたの。それでね、ここで朝食取りたいなって。ダメかな?」 その言葉に周助はにっこり微笑んだ。 「ならそう言うと思って、頼んであるよ」 は驚きに黒い瞳を瞠った。そんな彼女に周助は満足そうにフフッと笑う。 「……周くん」 「ん?」 「嬉しい。ありがとう」 は嬉しそうに笑って、周助の方へ身を乗り出し、彼の頬へキスをした。 「が喜んでくれて僕も嬉しいよ」 周助は華奢な身体を抱き寄せて脚の上に座らせた。 「しゅ、周くんっ!?」 「何?」 頬を赤く染めているが照れているのをわかっていながら、周助はとぼける。 「恥ずかしいから、降ろして」 「ダメ。言っただろ。君を甘やかしたいって」 「覚えてるけど…」 「じゃ、甘えて」 事も無げに言って、周助は色素の薄い瞳を細めて微笑む。 「あ、甘えてって言われても…」 「抱きついてくれたらいいよ」 周助はの耳元へ唇を寄せて、夜みたいにね、と囁く。 は首まで真っ赤に染めて、赤くなった顔を隠すように、周助の胸に顔をうずめた。 「………周くんはずるいよ」 腕の中から聞こえた声に周助は「そうかな?」と笑って、をぎゅっと抱きしめた。 風に乗って潮騒が響いてくる。 蒼い海に煌く陽光は見えないけれど、周助の腕が心地よいから、もう少しこのままでもいいかなと思った。 END BACK |