ふわりと空から白い雪が舞い降りる。 イルミネーションの輝きと舞う雪の美しき饗宴に、道行く人たちは頬を緩め見つめていた。 空から舞う雪 冷たい風が吹きぬけていく。 テニスコートを囲うのはフェンスのみで、冷たい風は容赦なく吹き抜ける。けして強くないけれど、冬空の下では微風でさえも寒い。 けれど寒いと感じるのは何もせずに突っ立っていればのこと。部員はマネージャーを含めて全員が体を動かしているから、寒くて凍えるなどということはない。それに、休憩時間に体を休める時は、冷えないようにレギュラーは専用のベンチコートを、他の部員は各自のウェアを着るので、冷え切ってしまうことはない。 日が暮れかけテニスボールが見えなくなる前に、本日の放課後練習は終了した。 部員数のわりにさほど広くない部室には四人が座れる水色のベンチと、大人が両手を広げたほどの幅の机がある。そしてパイプ椅子が三脚、部室の隅に立てかけてある。 練習前と練習が終わった直後は部員で溢れる部室だが、今いるのは二人だけで、しんと静まり返っている。 いつもは壁際に寄せてある机をパイプ椅子が置けるくらい壁から離し、そこに椅子を置きは部誌を書いていた。彼女の向かい――ベンチには、不二が座って読書をしている。彼はが部誌を書き上げるのを待っているのだ。これは、二人が付き合うようになってから始まった、毎日変わることのない日課。 不二はぱたんという小さな音に本から目を上げた。 「終わった?」 「うん」 は椅子から立ち上がり、それを畳んで元の場所へ片付ける。椅子を片付けている間に、机をこちらへ来た不二が元の位置に戻してくれた。 「ありがとう」 「どういたしまして。 じゃ、帰ろうか」 「うん」 は部誌を片付けてコートを着、灯りを消して不二とともに部室を出た。彼女は部室に鍵をかけ、扉から二歩程離れて立つ不二の傍らに並んだ。 「寒いわね。マフラーしてくればよかった」 「貸すよ」 「えっ、いいよ、周助くんが寒――」 断りの言葉が終わる前に、不二ははずしたマフラーをの首に巻いた。 「僕はなくても平気だから」 にっこり笑って言うと、彼女の右手を左手で取って手を繋ぎ、自分のコートのポケットへ入れた。 「手は平気よ?」 彼に手を握られてコートに入った手は温かい。けれどそれよりも羞恥が勝った。 「僕が寒いから」 不二は否を言わせない笑みを秀麗な顔に浮かべた。 「でも、もし転んだら危ないわ」 「転びそうになったら助けるよ」 ほら、寒いから行こう、と手を引かれたら、歩き始めるしかない。 「絶対よ」 「クスッ、もちろん。 ところで、明日の約束だけど」 「ちゃんと覚えてるわ。クリスマスにデートなんて初めてだもの」 25日にデートしよう、と誘われたのは、一週間前の帰り道。嬉しくて、は二つ返事で頷いた。 「あ、どこに行くのかまだ聞いてないわよね」 「うん、それなんだけど、行き先は横浜だから、温かい格好してきたほうがいいよ」 「横浜ってそんなに寒いの?」 「横浜がというより、僕たちが行くところが、かな。海の近くなんだ」 「じゃ、そうする。あ、待ち合わせは?」 「午後三時に青春台駅で」 は瞳を瞬いて、首を傾げた。 「午後三時?」 驚きに軽く瞳を瞠って確認するように言うと、不二は頷いた。 「たまには夕方から夜にかけてのデートもいいだろ? もちろん、帰りは家まで送るよ」 「そうね」 は頷いて、不二を見上げて楽しそうに微笑む。 「夜はイルミネーションが素敵よね、きっと」 「クスッ、そうだね」 午後三時五分前。 待ち合わせ場所に着くと、すでに来ていたらしい不二が手を振るのが見えた。 「ごめんね、待った?」 「いや、僕も今来たところだから」 「そう?ならよかった」 そして二人は青春台駅から電車に乗り、横浜へ向かった。 土曜日ということもあり、横浜駅は混雑していた。その中を、はぐれないようにと手を繋ぎ、みなとみらい線乗り場へ向かう。 ホームへ入ってきた電車に乗って、日本大通り駅で下車した。 歩くこと数分。赤いレンガ造りの建物が見えてくる。 赤レンガ倉庫と呼ばれるそこでは、広場で季節ごとに様々なイベントが行われており、今はクリスマスマーケットが開かれている。 着くまで秘密、と赤レンガ倉庫へ行くことさえ電車の中で聞いたばかりで、このようなイベントをやっているなど知らなかったは驚き、そして瞳を輝かせた。 「わあ、お店がいっぱい。それにテントじゃないのね」 「ヒュッテって言うらしいよ」 赤レンガ倉庫の前に並ぶいくつもの小屋の呼び名を不二が教えてくれた。 「ヒュッテ?」 明らかに英語の発音ではなさそうだ、とは首を傾げた。 「ドイツ語で小屋って意味」 「で、今何をやってるの?」 「クリスマスマーケット。ドイツで始まったヨーロッパの伝統的なクリスマスイベントで、ヴァイナハツ・マルクトって言って、クリスマス関連の食べ物やグッズを販売してるんだ。 が好きそうだなって思ってさ」 本を読んでいるかのように説明してくれた不二にはふわっと微笑む。 いつでも優しい彼の気持ちが嬉しい。 なにより、彼と一緒に来られたのが嬉しい。 「きっと好きになると思う。 ね、周助くんも初めて?」 「うん、来るのはね」 そして二人は多くの人で賑わっているヒュッテへ歩いていく。 そこを歩く人々は買い物袋を提げていたり、何か食べていたりしていて、みんな楽しそうに笑っている。 パンやジャーマンソーセージ、スープなど出来たての食べ物の香りが食欲を刺激する。 「あれなんか寒い時に飲んだら、体が温まりそうね」 そう言ったの視線を追った先にあったのは、グリューワインを売っている店だった。 「ああ。だけど、僕らは未成年だから無理だね」 「ええ。成人したら飲んでみたいわ」 「そうだね」 そして、店先に並ぶ食べ物や雑貨を時に立ち止まりながら見て、歩いていく。 「あ、シュトーレンがある。お土産に買って帰ろうかな。待っててくれる?」 頷く不二にありがとうと言って、はシュトーレンを5枚買って戻った。 お菓子を売る店から離れ、再び歩き出す。 立ち並ぶ店を冷やかしながら見、途中温かい茶を買い求め、それを飲みながらクリスマスオーナメント、スノーボールなどのグッズを売っている店を二人は見て回った。 そうしているうちに日が暮れ、辺りが暗くなり始めると、倉庫の明かりが灯り始めた。 広場にあるいくつかのツリーに施されたイルミネーションにも灯りがつき、昼の顔から夜の顔へと変わっていく。 「暗くなってきたね。寒くない?」 は見ていたガラス雑貨から不二へ視線を動かし、大丈夫、と返した。彼女はそこで初めて、ライトアップされるような時間になっていたことに気がついた。 「……ねぇ、周助くん。ジャーマンソーセージ食べたことある?」 不意に訊かれて、刹那の間のあと、不二は首を横に振った。 「ないよ。 食べたいなら戻ろうか。僕も興味あるし」 みなまで言われて、は頬を赤く染めて頷いた。 「さっき言ってくれたらよかったのに」 「ごめんね」 「謝らなくていいよ」 ジャーマンソーセージを売る店へ戻り、小さめのを買ってその場で味わった。 それからまた少しマルクトを見て、赤レンガ倉庫へ入った。広場と同様に込み合っていたが、歩けないほどではなかったので少し店を見て回った。 それからパスタ屋で食事をし、外へ出ることにした。少し周辺を散歩したいな、とが言ったからだ。 赤レンガ倉庫を出ると、視界を何かが掠めた。 「あれ?」 「どうしたの?」 不二に訊かれて、は緩く首を傾けて言った。 「今ね、何か目の前に見えたの」 その言葉に不二は視線を夜空へ向けた。色素の薄い瞳に、彼女が見たのだろうものが映った。 「雪が降ってきたみたいだ」 数秒見ている間に空から舞う雪の数が増していく。 「わあ…」 きれいね、と瞳をきらめかせて言うにクスッと小さく笑って頷く。 「ホワイトクリスマスだね」 「ええ。 ね、向こうにクリスマスツリーがあったじゃない?行ってみましょう」 無意識だろうが、袖をつまんでねだるような仕草が可愛らしい。はしゃぐは珍しいけど可愛いな、と不二は頬を緩ませる。 「うん、行ってみようか」 指を絡めるように手をしっかり繋いで、クリスマスツリーがあるところまで歩いていく。 ツリーの周辺には人が集まっていた。中には写真を撮っている人もいる。 「…携帯じゃ上手く写せないかしら」 に訊かれて、不二は黒いジャケットのポケットからデジタルカメラを取り出した。 「撮ってあげるよ」 「え、でも…」 「でも?」 「一緒じゃないなら、いい」 一人ではなくて二人なら、と言外に告げるに不二は色素の薄い瞳を一瞬瞠り、ついで優しく微笑んだ。 「頼んで撮ってもらえばいいよ」 そう言って、不二は手を離して近くにいる人に声をかけ、写してくれるように頼むと戻ってきた。 「おいで」 は手を引かれて、ツリーの前に不二と並んだ。カメラのフラッシュが二回、光った。不二は撮ってくれた人に礼を言ってカメラを受け取った。 「周助くん、あ――」 「それはいらないよ。僕がそうしたかったんだ」 不二はの唇に人差し指を当て言葉を封じ、笑って言った。 「……焼き増ししてくれる?」 ありがとうの代わりにそう言うと、不二はもちろん、と頷いた。 「もう少し歩こうか」 「うん」 差し出された手を取ると、優しく、けれどしっかりと指を絡めるように手を繋がれた。 そして二人は夜空から真っ白な雪が舞い落ちてくる中を、お互いの温もりを確かめ合うように手を繋いで、時折どちらともなく顔を見合わせ幸せそうに笑い合って、楽しく過ごした。 END COUNT TEN.様(http://ct.addict.client.jp/) 定番クリスマス 2. 空から舞う雪 BACK |