7月初めの金曜日。 放課後の部活が終わったは、校門前でばったりと会った。 「、今日は一人なの?」 訊かれて、こくんと頷く。 「周ちゃん遅くなるんだって」 「ああ、もうすぐ大会だもんね」 「うん」 の顔が僅かに曇ったのを見て、は首を傾げた。不二と一緒に帰れなくて落ち込んでいるのだろうか。 「どうしたの?」 「…来週の七夕祭り、練習があるから一緒に行けないって」 木曜日は本来ならテニス部はオフだ。けれど、関東大会が近く、オフにも練習が入るようになった。練習に加え、一年にはネットやボールの片付け、コート整備などがあり、練習が終わってすぐに帰れないため、一緒に行けそうにないと言われた。 不二の言葉を思い出し、しゅんとしょげた顔をするの頭を、は慰めるようによしよしと撫でた。 「ね、私でよかったら一緒に行こうか?」 一番の願いは不二と七夕祭りに行くことだろうが、七夕祭りに一緒に行くだけならできる。 「え?」 驚いたように黒曜の瞳を瞬くにはにっこり笑って言った。 「不二君が一緒じゃなくても、行きたいんじゃない?」 「いいの?ちゃん」 「いいわよ」 「ありがとう」 は嬉しそうに笑った。 Wonderful starry sky 七日の夕方、は一度学校から帰宅し、母に手伝ってもらいながら淡い桜色に花柄の浴衣に着替え、との待ち合わせ場所に向かった。 は待ち合わせをしているコーヒーショップの前に、待ち合わせた時刻の約10分前に到着した。周辺に視線を向けてを探したが、彼女はまだ来ていなかった。 ちょっと早く着すぎちゃったかな。 胸の内で呟いて、通行人の邪魔にならないよう、通路脇で待つこと数分。 「!」 名を呼ばれた方へ瞳を向けて、「ちゃん」と右手を小さく振る。 はとの数メートルの距離を縮めて、友達の姿をとっくり見た。 「可愛いわ」 きょとんと首を傾げるにはくすっと笑みを零す。 こういう天然なところが不二君は可愛いと思ってるんでしょうね。可愛いを見られなくて残念ね、不二君。 は彼の顔を見ながら言えないことを胸中で呟いて、にわかりやすいようにもう一度、褒め言葉を形よく整った唇に乗せる。 「浴衣よ。似合ってるわ」 「あ、ありがとう」 ちゃんみたいな美人さんに褒められると照れちゃうね、と小さな声で紡ぐの頬は、ほんのり赤く染まっている。 「もー、ほんっとって可愛いー」 浴衣じゃなかったらギュッて出来るのに。残念だわ!と顔に大きく描いたは、口では別のことを言った。 「じゃ、行きましょうか」 そうして二人は祭りで賑わう会場へ歩いて行った。会場である商店街の大通りが近づくにつれ、太鼓や笛の音、祭りの陽気な音楽が流れてくる。 藍色から漆黒へ変わって行く空は曇っていて、星空を見ることは残念ながらできそうにないけれど、そんなマイナスな気持ちが飛んでいく。 両側に屋台が並び、食欲を誘う匂いが漂ってくる。 「ちゃん」 視界に入ったお好み焼きが美味しそうだなと思った。焼きそばをはさんだお好み焼きを家で作るのは難しいし、今日は祭りで食べるつもりで来ているから、お腹が空いていた。 「ん?」 はじゅわわっと音がする方――軒を連ねている屋台のひとつ、偶然にも、が食べたいと思っているお好み焼きの屋台に目を止めた。 「お好み焼き美味しそうねー」 部活で体を動かして、それから着替るのに一旦帰宅してすぐに出てきたから、お昼から水以外何も口にしていない。 「うん。だから食べようと思って」 「私も食べるわ。実はお腹ペコペコなのよ」 「運動部は体を動かすし……疲れてない?」 が一緒に行ってくれるのが嬉しくて二つ返事で頷いたけれど、部活のあと付き合わせるのは悪かったかなと思った。 「大丈夫よ。今日は部活が早く終わったしね」 「あ、だから荷物ないの?」 家に帰る時間ないかもしれないから、鞄に私服いれてこようかしら。制服でお祭りっていうのもなんか嫌だし。 先日、がそう言っていた。 「そ。昨日の時点でわかったから荷物が増えなかったし、身軽にお祭りに来られてラッキーだわ」 それぞれ焼きそば入りのお好み焼きと飲み物を買い、そこから数メートル先の屋台がなく広く場所が開いているところまで行って、買ったものを開けた。お祭りは食べ歩きをしても許されるイベントだと思うが、二人が買ったものは食べ歩くには不向きなものだったからだ。 焼きたてのアツアツを頬張った。お腹が空いているから、なおのこと美味しい。 「あっついけど、美味しいわね」 口の中に入っているお好み焼きを飲み込んで、は頷いた。 「うん。おうちで作るのは難しいから、あったら食べたいなって思ってたの」 「あー、確かにそうね。中華麺を炒めてお好み焼きを作って、って手間がかかるものね」 おしゃべりに花を咲かせながら、もだん焼きを腹におさめ、二人はまたぶらぶらと歩き始めた。 屋台を冷やかしながら歩き、輪投げで遊んだり、冷たいものを食べようとかき氷を食べたり、神社に行っておみくじを引いたり。 楽しく遊んでいる間に時間はあっという間に過ぎ、そろそろ帰ったほうがいい時間になっていた。中学生だから、あまり遅くなると危ないし、補導されてしまうかもしれない。 「帰る前に、リンゴ飴のお店に行っていい?」 はバナナにチョコレートをかけたものを食べようかどうか悩んでいるに訊いた。 「もちろん。不二君にお土産?」 「うん」 ちょっと照れた笑顔で頷くに、は本日二度目のギュッとしたい欲望にかられた。 「リンゴ飴もいいわね…どっちにしよう?」 迷って、チョコレートが食べたい気分だったので、はバナナチョコをひとつ買い求めた。それを食べ歩きながら、リンゴ飴の店へ向かった。 「小さいのと大きいのと周ちゃんどっちがいいかなあ?」 あまり大きいと食べるのに飽きちゃうかなあ。小さいほうが食べやすそうだけど、周ちゃんリンゴ好きだし。でも、これってリンゴじゃなくてリンゴ飴だもんね。 迷っています、と言わんばかりに笑顔になったり眉を寄せたりと百面相なをは黙って、しかし笑いを堪えて見守った。はこの上なく真剣――内容はそうでもないが、彼女にとっては真剣だから、笑い出したら拗ねてしまいそうだ。 「…まあ不二君ならわざと拗ねさせるような言動をしそうだけど」 ぼそっと呟いた声は、の耳には当然届いていない。もし届いていたら、は否定するだろうか。それとも肯定するだろうか。少し訊いてみたい気もする。 などと考えていると、の注文している声が聞こえた。 「ちゃん、おまたせ」 の手元を見ると、姫リンゴより二回り程大きいサイズのリンゴ飴がふたつ握られている。 「小さいのにしたの?」 「大きいのは食べにくそうだったし、これはセロファンがかけられてたから」 サイズが小さいほうが可愛いし、それにセロファンがかけられているほうが埃などがついていなくていいかと思ったのだ。 最後の一口となったバナナチョコを食べて、はそうかもねと頷いた。 「、やっぱり不二君を呼び出しなさい」 「平気だよ、ちゃん。まだそんなに遅い時間じゃないし。 あ、ほら、周ちゃん疲れてると思うし」 同じことを何度かに言われているは、今度は言葉を付け足した。これならたぶん納得してくれるはず。 は何か言いたそうだったが、軽い溜息と一緒に言葉を飲み込んだように見えた。とりあえずは同意しれくれたのだろうと思う。 迎えに来てと電話したら、不二はいいよと引き受けてくれて迎えに来てくれるだろう。それがわかるから、あまりわがままは言いたくないのだった。 「じゃあ、また明日。気をつけて帰るのよ、」 「うん。ちゃんも気をつけて帰ってね。 おやすみ」 「おやすみ」 と家の方向が違うので、途中の四差路で手を振って別れた。 帰路を進みながら、はふと夜空を見上げた。 「…やっぱり見えないなあ」 ほんのちょっとだけでいいから雲が晴れて、天の川とまで言わないから、星が見られたらいいのに。 七夕は星祭りなのに晴れの日が少ないのは、なんだか納得がいかない。 むぅと僅かに眉を寄せた時、名前を呼ばれた。耳に届いたのは、大好きな人の声。 視線を夜空から前方へ滑らせると、黒曜の双眸に不二の姿が映った。 「周ちゃん!」 ぱっと瞳を輝かせ、は不二に向かって駆け出す。それを見た不二は色素の薄い瞳を慌てたように見開いて、彼もまた走り出した。彼女が上を向いて歩いているのが見えたから転ぶ前にと思って名前を呼んだのだが、気遣いは無意味に終わった。 「そんな格好で走ったら危ないだろ」 本気で走った不二は、危うくこけそうになったを寸でで捕まえた。 「ごめんなさい。ありがとう」 「怪我してない?」 「平気。どこも痛くない」 「そう、よかった」 ほっと安堵の息をつき、不二はの体を離して、彼女の手を取って繋いだ。これで少しは安心できる。 「迎えに来てくれてありがとう」 それに不二は微笑みで答えた。 「帰ろうか」 不二に促され、二人は歩き出す。 「お祭りはどうだった?」 は不二を少し見上げて、ちょっとだけ首を傾けて笑った。 「楽しかった。 もだん焼きを食べられたし、神社でおみくじも引いたの」 言って、はふつりと押し黙った。 そういえば、おみくじに”近く良事あり”と書いてあった。不二が迎えに来てくれるのを指していたのかもしれない。 「?」 「あのね、おみくじに”近く良事あり”って書いてあったの。それでこのことかなあって」 「へぇ、当たってよかったね」 にっこり笑う不二には嬉しそうに頷いた。 「ねえ、。少しうちに寄っていかない?」 「行きたい!」 即答で答えたに不二はクスッと微笑んだ。 そして、不二家に着くと、不二はを二階の自室へ誘った。 「、ドアを開けてくれる?」 「え?」 「ああ、電気は点けちゃダメだよ」 「う、うん」 いつもは不二が開けてくれるので、なんでかな?と疑問に思いつつ、はドアノブを回してドアを開けた。 「えっ!?」 開けた視界は暗闇のはずなのに、なんでか今はキラキラと光っている。 いくつあるかもわからないほどの無数の細かな光の粒らしきものが、天井から壁まで広がっている。 「さ、入って」 優しく両肩を押されては不二の部屋へ足を踏み入れ、気がつけば彼のベッドの上に座っていた。 「どう?気に入ってくれた?」 柔らかな響きの声に我に返り、は見ていたもの――星空から左隣に座る不二へ瞳を向けた。 「うんっ!すっごいきれい」 今でも星が降ってきそうな満天の星空を見たのは初めてだ。 「天の川もあるもの。今夜見たかったの。どうしてわかったの?周ちゃん魔法使いみたい」 「クスッ。そんなに喜んでくれると僕も嬉しいよ」 「どうやってるの?」 「ないしょ…って言いたいところだけど、種明かししたほうがいい?」 「うん」 「この星空はホームスターで作ってるんだ」 「ホームスター?」 ホームは家、スターが星だと思うが、聞いたことのない名前には首を傾げた。 「家で気軽に星空を楽しむために作られたものだよ」 八等星までの恒星と天の川を構成する微細な星々を約12万個を投影でき、繊細かつリアルな星空を見ることができる。 微細な照明をつけても美しい星空を楽しむことができるが、それだと雰囲気がでないからに電気を点けさせなかった。 不二は簡単に説明した。 は暗さに慣れてきた目で不二を見て、頬をほころばせた。 「周ちゃんと満天の星空が見られて嬉しい」 「僕もだよ。 でもいつか――」 君と二人で本物の満天の星空を見たいね、と囁くように言うと、は瞳を輝かせて満面の笑顔で頷いた。 「うん、楽しみにしてる。 あっ、そうだ」 「ん?なに?」 嬉しいことが続いて忘れていた。 お土産に買ってきたリンゴ飴を差し出す。 「はい、周ちゃんにお土産」 「ありがとう。これはリンゴ飴だね」 「綿菓子にしようかなって思ったんだけど、暑いと溶けちゃうかと思って」 「なるほどね。 じゃ、さっそくいただこうかな。も食べる?」 「私の分も買ってきたから大丈夫」 そうして二人はリンゴ飴を食べつつ、満天の星空を見ながら星や星座の話をして、楽しい七夕の夜を過ごした。 END BACK |