ドラキュラのくちづけチョコレート味




 翌日の日曜日。
 不二家で朝食をご馳走になり二時間程経った頃、は一旦家に戻った。昨夜不二家に行き、ハロウィンパーティーに着ていく衣装を見せてもらって、そのまま泊まったので、ハンカチなどの出かけるのに必要な物を取ってくるためだ。
 魔女の衣装に合いそうな黒いバッグがないなあ、と今朝になって気がつき、由美子に相談したら「もう使ってないからあげるわ」と黒いポシェットを貰った。それにハンカチ、ティッシュ、財布、携帯電話を入れては再び不二家に向かった。
「周ちゃん、もう着替えたの?」
 玄関のドアを開けて出迎えてくれた周助は、黒い礼服に黒い蝶ネクタイ、黒いスラックスとワイシャツ以外全身が黒い衣装だった。裏地がワインレッドの黒いマントもあるのだが、行く時につけていくと邪魔になりそうなので、まだつけていない。
「うん。が着替えたら行くって姉さんが言うからね」
 が自分をじっと見つめているのに気がつき、周助は首を傾げた。
?」
「牙がついてる」
 その言葉に周助はああと応じて、微笑んだ。
「ドラキュラだからね」
「ドラキュラの格好してる人、他にもいそうだね」
「そうだね」
「でもきっと周ちゃんが一番カッコイイよ」
 ね?と首を傾けてはにこにこ嬉しそうに笑っている。
「全く君はホント――」
 無意識に可愛いこと言ってくれるね、と困ったような嬉しいような複雑な笑みを浮かべた。


 家に上がり、は由美子の部屋に向かった。衣装は由美子の部屋にあるのだ。ドアを軽くノックすると中から返事があった。
ちゃん? どうぞ」
「お邪魔します」
 ドアを開けて部屋の中に入ったは、わあ、と感嘆の声を上げた。
「由美子お姉ちゃんキレイー」
「ありがとう」
 黒いロングドレスを着て先の折れた三角帽をかぶった由美子はとてもきれいで、は見惚れてしまう。
「お揃いなんだね」
 昨夜、衣装を訊ねた時に、明日まで秘密よと言われて、どうしてだろうと思ったが、揃いの魔女の衣装では嬉しかった。
「ええ、ちゃんと同じにしたの。姉妹に見えるかしらと思って」
 ウインクして言う由美子には笑顔で頷いた。

 ちゃんも着替えて、と言われて、裾がふんわり広がった膝丈のドレススカートに着替えた。
 由美子が三つ編みをしてくれると言うのでそれに甘え、ファーのポシェットを右肩から斜めに掛けた。会場までは由美子の運転する車で行くことになっているので、裏地がオレンジ色のマントをつけ、とんがり帽子は手に持った。由美子も髪型を合わせるのに帽子をかぶっただけのようで、今はかぶっていない。
「さ、行きましょうか」
「うん!」
 楽しみ、と大きく顔に書いてあるに由美子は笑みを零し、二人は部屋を出た。
 リビングで待っていた周助に声をかけ、三人は車に乗り込んだ。


「どこまで行くの?」
 助手席の後ろに座っているは、ふと浮かんだ疑問を由美子に投げた。
「そういえば聞いてないね」
 運転席の後ろの席――の隣に座っている周助が言った。姉が運転する車の助手席に座って流れて行く景色を見るのが好きな彼だが、が一緒にいる時は隣に座るのである。
「東京郊外の豪邸よ」
「お城みたいな建物ってことかなあ」
 は豪邸と言われてもピンとこないので、思ったことを周助に言ってみた。
「そうだね…アトベッキンガムみたいな感じなんじゃないかな」
「アトベッキンガム?」
 聞いたことのない名前には首を傾げる。
 氷帝学園の跡部の名前と存在は知っているけれど、その彼が宮殿のような豪邸に住んでいるのをは知らない。むろん、その豪邸がアトベッキンガムと呼ばれていることもだ。だから言われても跡部とは繋がらなかった。
「跡部は知ってるよね」
「えっと、泣きボクロのある人、だよね」
 その通りなのだが、たぶんのような覚え方をしている人の方が少ないんじゃないか、と周助は思った。けれど、派手とかいう覚え方じゃないのが、すごく彼女らしいような気がする。
 の言い方に少し吹き出しそうになりながら、周助は「うん」と頷く。
「彼、宮殿みたいな家に住んでるんだ。で、アトベッキンガムって名前がついてるんだって乾が言ってた」
 僕は住みたいとは思わないけどね、と周助は続けた。
「お城とか見るのは楽しいけど、掃除が大変そうだから私も住みたくないな。 でも、外国のお城に1回でいいから泊まってみたい」
「へぇ、泊まりたい城があるんだ?」
「うん。ライン河沿いの古城でね、ホテルになってるところがあるの」
「ドイツか。僕も興味あるな」
「じゃ、一緒に行こうね」
「えっ、ああ、そうだね」
 いつのまにやら一緒にドイツに行くことになっているのはなぜだろう。そう思いながらもがにこにこ嬉しそうに「一緒に行こうね」と言うから、戸惑いつつも頷く以外の答えはなかった。
 それから40分程して車は目的地へと到着した。
 広々とした庭。首をめぐらせると、敷地の周囲を背の高い樹がぐるりと囲んでいるのがわかった。
「なんだか外国にいるみたい」
 いましがた通ってきた、ここから見える門は、黒い鉄柵だが飾りが施された人の背丈の二倍の高さはある。
 視線の先には宮殿ほどの大きさはないが石造りの邸で、青空の下、品良くたたずんでいる。一般的な家の三倍位はありそうな大きな家だから、豪邸と言っても過言ではないと思う。庭が一面芝生であったなら、マナーハウスと言ってもいいような、そんな邸だ。
「周助、ちゃん」
 由美子に手招きされ、二人は彼女の傍へ寄った。
「二人ともこれを持って」
 差し出されたのは両手に乗る程のオレンジ色の巾着だった。
「なに?」
 由美子から受け取って、と周助は異口同音に疑問を口に乗せた。
「お菓子よ。Trick or Treatって言われたらその中から出すといいわ」
「見てもいい?」
 訊いてくるに「ええ」と返しながら由美子は帽子をかぶった。
 なにが入ってるのかなあ、と巾着を見るの手元を周助は覗き込む。
「けっこう入ってるね」
 周助の言葉に頷いて、は彼を見上げた。
「すごい楽しみになってきた。トリックオアトリートって言ったらこういうお菓子がもらえるんだよね」
「そうよ。けど、正解の人たちを見つけられたらパイやケーキが貰えるのよ」
「えっ、本当?」
 は視線を由美子から周助に戻して、瞳を輝かせた。
「宝物探しみたいね」
 周助ははしゃぐ恋人にクスッと笑って頷く。
「なら、帽子をかぶって宝物探しに出発しようか、可愛い魔女さん」
 その言葉に帽子をかぶっていなかったことにきがついて、は帽子をかぶった。曲がっていないか車のドアミラーでチェックする。そんなの近くでは、周助がマントを身につけていた。
 邸へと自分たちと同じように仮装した人たちが歩いていく。それに混じるように歩きながら三人も邸へ向かった。
 階段を上がり玄関をくぐったところで、三人はドラキュラとミイラ男に出迎えられた。仮装した二人は案内係らしく、そこでパーティーについて簡単な説明を受けた。
 説明を受けている時、由美子は友人から声をかけられて行ってしまったので、は周助と二人で大広間へ移動した。
 そこではすでにパーティーが始まっていて、たいそうにぎやかだった。
 仮装パーティーなので、幽霊、ジャックオーランタン、ゾンビ、狼男、黒猫、魔女、ゴブリンなど、みな思い思いの仮装をしている。
「わあ〜、人がいっぱい。見つけるの大変そうだね」
 由美子が言っていた【正解の人たちを見つけられたらパイやケーキが貰える】というのは、先ほどの説明によると【衣装のどこかちゃんとわかるところにカボチャのピンバッチをつけている人】だという。
 40人は楽に座れてしまいそうな長いテーブルがいくつかあり、テーブルの上には西洋料理を中心とした美味しそうな料理の数々が所狭しと並べられている。けれど、デザート――ケーキやタルト、プティング、パイといったものは並んでおらず、カボチャのピンバッチをつけている人を見つけない限り食べられない仕様になっていた。
 甘い物が死ぬほど大好きとまではいかないが、人並み――個人差は大きいが――には好きだから、食べたいと思う。
、キョロキョロし過ぎて転ばないようにね?」
 クスクスと楽しそうな顔で言う周助にはちょっとむくれた。そんなドジじゃない、と反論したいが、過去に何度か周助に助けられているから否定はできない。
「……転びそうになったら結局助けてくれるのに。意地悪だ」
「フフッ。 じゃ、探しに行こうか?」
 は頷いて、二人は料理より先にデザートを求めて広間を歩き出した。
「んー、食べてる人にトリックオアトリートって言ったらダメなんだよね」
 が周助を見上げて確認すると彼は頷いた。
「あとは小さな子と休憩室やバルコニーにいる人だね」
 声をかけてもいい人を探して歩いていると、目前にゾンビが現れては小さく悲鳴を上げて周助に抱きついた。
「大丈夫だよ、仮装なんだから」
 周助はの肩をぽんぽんと優しく叩いた。
「あ、そっか」
 ホッとしては周助の左腕から離れた。あまりにリアルなゾンビだったから一瞬本物かと思ってしまったのだ。
「Trick or Treat〜?」
 ゾンビよろしく気味悪く言うので、は周助の後ろに半身隠れるようにして巾着の中から菓子を取り出した。
「ハ、ハッピーハロウィン」
「Hpppy Halloween」
 と周助から菓子を受け取って、ゾンビはにったり笑って去っていった。ちなみににったり笑ったように見えたのはだけで、ゾンビの表情は現れた時と同じだった。
「ホラー映画みたいによくできた仮装だったね」
「周ちゃんよく冷静に見てられたね」
「仮装ってわかってるからね」
 そういえば周助は小さい頃から怖い話が平気な人だった。
「でも、不気味じゃない人に声かけよう?」
「それはかまわないけど、ピンバッチをつけてたらどうする?」
 は考えるように首を傾げて、少しして口を開いた。
「他の人にする」
 そうして広間を歩きながらお決まりの言葉を口にして菓子を貰ったり、菓子をあげたりした。仮装している人の中には木のおばけらしき格好をしていたり、カラフルな幽霊がいたりして、見ながら歩いているのも楽しい。けれど。
「見つからないね」
 どこにいるかな、と視線を周囲に向けながらは言った。
「相手も移動しているだろうからね」
「うん」

 名を呼ばれ、は周助へ瞳を向けた。
「少し気分転換に休もうか」
「うん。 お料理ちょっと気になってたの」
 二人はテーブルの傍へ移動した。皿にセッティングされた状態の料理とセルフで取り分ける料理とがある。
「どれも美味しそう」
 いろいろあって迷ってしまう。まだ正午にはならないが、ランチの時間として早すぎる時刻でもないから、お腹は少し空いている。
「はい、
「あ、ありがとう」
 周助が持ってきてくれたプレートを受け取った。
 テーブルに並べられた料理を吟味しつつ、食べたい料理を皿にのせていく。は5種類の料理をプレートにのせた。
 立食なので料理を取る人の邪魔にならないところへ移動した。壁沿いに椅子も並べられているが、近くに空いている席がなかったからだ。靴は編み上げのショートブーツだから疲れていないし、立って食べていいようになっているのなら気にはならない。
 好きな料理や珍しい料理を楽しんで、二人は全部で10人いるというピンバッチをつけた人を再び探しに出た。今食べたばかりなので、お決まりの言葉をかけることはせず、探すことだけに集中する。衣装のどこにつけられているかわからないが、見えにくいところにはついていない。そう言われたから、無難に胸元や腕、足や背中につけているはずだ。ただ小さいものだから近いところにその人がいないとわからない。
 ただのゲーム。されどゲーム。参加するからには見つけたい。
「あっ、あのコウモリ…!」
 左肩に何か光るものが見えた。アクセサリーの類をつけていないのに光ったということは、バッチに光が反射して光ったのかもしれない。
 確かめるべく、はコウモリ――の仮装をしている人に近づいていく。その彼女の半歩後ろを周助は追った。
「トリックオアトリート!」
「ハッピーハロウィン」
 コウモリは「おめでとう」と小さな声で言って、一枚の紙切れをくれた。それには【3】と書かれていた。
「数字?」
 首を傾げるにコウモリは小声で「数字で貰える菓子が決まってるんだよ」と教えてくれた。そういえば、受け取った物を持って階段を上がって右手にある部屋へ行くと菓子が貰えると言っていた。だからここでは貰えないのだ。きっと誰がデザートをくれる人かわかってしまうからだろう。
「ドラキュラ君はいいのかい?」
「周ちゃん一緒に食べようよ」
「そうだね、が頑張って見つけたんだし、そうしようかな。 Trick or Treat.」
「ハッピーハロウィン」
 周助が紙切れを受け取るとコウモリは立ち去った。
「周ちゃんの数字は?」
と同じだよ」
「そしたらランダムじゃないのかな」
「渡すのは決まってるんじゃない?運が悪いと同じ菓子になることもあるだろうし」
「あ、そうだね。せっかく見つけたのに同じデザートじゃ悲しいもん」
 紙を手に、広間を出た二人は玄関ホールから二階へと続く階段を上った。階段の手摺や踊り場もハロウィンの装飾があり、邸のどこもハロウィン色に染まっていて楽しい。二階に上がり受付で聞いたとおり左手へ進むと、正面に部屋の重厚そうなドアが見えた。
「ここでいいのかな?」
 10メートル程離れた左右にもドアがあったが、正面のドアにカボチャの飾りがあるのに対して左右のドアにはない。
「いいと思うよ」
 答えて、周助は両開きのドアを押し開いた。
「いらっしゃい、ドラキュラ君と魔女さん。ここに来たってことは、無事に見つけられたのかな」
 そう言って二人を迎えたのは狼男と女性のドラキュラだった。
「はい、これ」
 いたのがゾンビじゃなくてよかったと思いながら、はコウモリから貰った紙を差し出した。同様に差し出した周助からも紙を受け取り確認すると、少し待つように言ってドラキュラが左の続き部屋らしきところへ入っていく。
「どんなお菓子かな?」
 わくわくした顔で見上げてくる恋人に周助はクスッと微笑む。
「君が好きなのだといいね」
「小さい数字を探してきた人には特製飲み物がつくんだよ」
 二人の会話を聞いていた狼男がそう言った。
「特製?」
 の頭をよぎったのは、男子テニス部名物の乾汁だ。気分が悪くなる代物から気絶する代物までラインナップは充実しているらしい。
 そんな飲み物だったらどうしようと僅かに顔色を変えたに気がつき、狼男は言った。
「何を想像してるかはわからないけど、怪しい飲み物じゃないよ。普通の飲み物だから」
「よかった」
 がホッと胸を撫で下ろしたところへ、ドラキュラが小さなワゴンを引いて戻ってきた。
「ごめんね、待たせちゃって」
 ドラキュラは二人分のパンプキンパイと飲み物をのせたトレイをワゴンから持ち上げた。周助がそれを受け取る。
「下の広間やバルコニーでもいいし、右部屋やそこのバルコニーでも好きなところで食べてね。食器はそのままにしておいていいから」
「はい。 、どこにする?」
「そっちのお部屋のバルコニーがいい。お天気もいいし」
 右側の部屋へ入り、バルコニーに出られる大きなガラス扉を開けて外に出る。そこには誰もいなかった。
 少し熱いくらいの陽射しだが、微かに吹き抜ける風が心地いい。
「わあ、素敵な見晴らし〜」
 晴れているから遠くの山並がよく見える。青い山並の中、ところどころ赤く――紅葉しているところがある。
 バルコニーの手摺は椅子一客分程ある幅広いものだったので、周助はそこにトレイを置いた。
 一階とは見える方位が違う二階のバルコニーからの景色に夢中になっているの可愛さに頬を緩め、周助は飲み物を口に運んだ。それは甘さと香ばしさの混じった飲み物だった。
「あ、周ちゃん、飲み物なんだった?」
 訊いてくるに周助は瞳を細めて微笑む。  
「Trick or Treat.」
「えっ、あ」
 不意に言われ焦ったが、巾着にお菓子を入れているのを思い出す。お菓子を取り出そうとしたが、その手を周助に掴まれてしまう。
「残念」
 なにが残念なのかと問うより早く、そっと唇が重ねられた。優しいキスは、なんだかいつもよりとても甘い。
「………チョコ?」
 周助の唇が離れると、はそう呟いた。
「ああ、これがチョコレートドリンクだからかな。けっこう美味しいよね」
 にっこり笑顔で同意を求めてくる周助には頬を真っ赤に染めた。




END


ハロウィンで5題 2「4.ドラキュラのくちづけチョコレート味」
Fortune Fate様(http://fofa.topaz.ne.jp/)

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