甘い抱擁 漆黒の空には細い月がかかっている。 太陽が出ている昼間は肌寒い程度だが、今は上着がなくては寒い程に気温が下がっていた。風は冷たいが、強くないだけましだろうと思う。 そんな11月中旬の寒空の下、不二はと手を繋いで歩いていた。 彼女と会うのは一週間振りだ。高校生と社会人だとなかなか予定が合わないというのもあるけれど、一週間も会えないということは滅多にない。それなのにずっと会えなかったのは、の仕事が残業続きだったから。 そのから一段落着いた、と連絡があったのは昨夜のこと。時刻は夜九時半を回った頃のことで、メールではなく電話だった。 ――明日、逢えるかな? ――うん、僕も君に逢いたいと思ってたところだよ そうしていつものように、夕方から夜にかけてのデートを約束して今に至る。だが、どこかで夕食をしようと歩き出して数分、急にが静かになってしまった。 「?」 名を呼んでみたが、反応がない。 「?」 「え、あ…何?周助」 もう一度、彼女の顔を覗き込むようにして名を呼ぶと、今度は反応があった。 「それは僕のセリフだよ。どうかした?なんだか元気がないようだけど」 「そ、そんなこと――」 「あるでしょ」 の言葉を遮って言うと、彼女は肯定するように僅かに瞼を落とした。 「周助にはなんでもわかっちゃうのね」 そう言って、は不二の左腕にちょっと頭を預けた。彼女が甘えるような仕草をすることはあまりない。ましてやそれが街中となれば尚のこと。 「嫌なことでもあった?」 「………うん」 ちょっとだけ、は付け加えた。けれどそれが彼女の気遣いで、心配をかけまいとしているのだと不二が気がつかないはずはなかった。と付き合い始めて一年と少し。まだ自分が知らない彼女があるかもしれないが、それは一部で、彼女を知るには十分な時間を一緒に過ごしている。 「、君が優しいのは知ってるけど、前に言ったよね。いくらでも心配かけてくれていいって」 「周助…」 預けた頭を離して不二を見上げるの耳に甦る声がある。 ――心配かけてくれていいんだよ。甘えたくなったらいつでも甘えていいし、頼って欲しいな でも、と戸惑うと、「僕も君に甘えるから」とクスッと楽しそうな顔で、優しくて柔らかい声で言ってくれたのを覚えている。その時にふわりと包み込むように抱きしめてくれた彼の腕は、とても優しかった。 「ねぇ、。少し予定変更しない?」 「え?」 黒い瞳を瞬くに不二は柔らかな笑みを秀麗な顔に浮かべる。 「外での食事は今度にしての家で食べるっていうのはどうかな。僕が作るから」 「それはいいけど、どうして?」 「を思い切り甘やかしたくなったから」 色素の薄い瞳を細めて不二は微笑んだ。 「それに――」 君の笑顔が見たいんだ、と恋人の耳元へ唇を寄せて囁く。 は否定も肯定も口にしなかった。けれど、彼女は先程したように不二の左腕にちょっとだけ頭を預けた。それが答えだ。 そして夜が更ける頃、不二に癒してもらったは彼の隣で幸せそうな顔で眠っている。 「君を甘やかせるのは僕だけの特権だね」 フフッと嬉しそうに言って、腕の中で寝息を立てている恋人をそっと抱きしめて瞳を閉じた。 END BACK |