一番星は群青天鵞絨の小箱で光る




 クリスマスの一週間前。
 彼女へのプレゼントを買った不二は、それを大切に持って帰宅した。
 仕事の帰りや休日――と会う予定のない時間を使って、何軒もの店を捜し歩いて、やっと見つけた。
 に似合いそうな、清楚なデザインのリングは、闇夜でも微かにキラリと光る小さな石がついている。小さな石――宝石はシトリンやブルーの色をしたものもあるけれど、彼女の純真無垢な心を表している、透明を選んだ。


 今年のクリスマスは日曜日で、二人で一緒に過ごそうと一ヶ月以上前から恋人のと決めていた。
 夜景の見えるレストランで食事をすることも考えたけれど、二人きりでゆっくりしたいな、とが言った。彼女が自分の意見を言うことは多くない。だからこそ、不二はそれを叶えたいと思った。それには人前では恥ずかしがってなかなか甘えてくれないけれど、二人きりだと甘えてくれるのだ。もっとも、甘い雰囲気に持っていき、をその気にさせるのは不二なのだけれど。



 寝室の窓のブラウンの厚手のカーテンを開けると、昇ったばかりの朝日が目に染みて、不二は僅かに瞳を細めた。
 パジャマから着替えて、リビングにあるテレビをつける。
「―――でしょう。関東地方はかなり冷え込み、ところにより夕方から雪が降るでしょう。 次のニュースです。昨日――」
「雪か…」
 不二は一人ごちながら、タイミングよく知りたい情報を得たので、テレビを消した。
 星を一緒に見れたらいいね。
 がそう言っていたのだが、雪が降るのでは天体観測は楽しめそうにない。自分も楽しみにしていたから残念だけれど、雪の降る夜空も、二人で見るならきっと楽しい。
 なにしろ今日は年に一度のクリスマス、聖なる夜だ。
 それに――。
 ――ホワイトクリスマスってロマンチックでいいなって思うけど、そう都合よく雪が降ったりしないものね
 少し残念そうに、けれど少しの期待をした顔で、今日の約束をした時にが言っていた。
 星空は見られなくても、雪が降って、が過ごしてみたいと言っていた、ホワイトクリスマスになればいいなと思う。

 数日前に逢った時、周助の手料理が食べてみたいとが言ったので作ったら、「周助って料理も上手なのね」と言ってくれた。多少のお世辞込みかもしれないけれど、彼女が嘘をつくことはないから、言葉は嬉しく受け止めた。
 とまあ、そこそこの腕前で作った朝食――実家が洋食だったため、一人暮らしの今もそうだ――を取った。


 待ち合わせた時刻の40分位前、不二は大切な恋人へのプレゼントを持ってマンションを出た。
 彼女の家は二つ隣の駅前からバスで5分、そこから歩いて10分程のところにある。2K、バス・トイレ別付きという、学生や独身者向けの部屋が多数あるマンションだ。
 六階建てのマンションの三階、端から二つ目の部屋のインターフォンを押す。
「はい?」
「僕だけど」
「えっ、周助?ま、待って今開けるから」
 慌てるの声に不二は首を傾げた。
 あれ?時間を間違えたかな。
 胸の内で呟いた不二の前、玄関のドアがガチャリと開いた。全開ではなく、ほんのちょっとだけ。
 隙間からが顔を出す。
「おはよう、周助。上がって」
「おはよう。お邪魔させてもらうよ。けど、これじゃ通れないよ、
 細身の女性でも通れないほどしか開いていないドアを見て言った。
「そ、そうね。ええっと、あ、5数えたら入って来て?」
 ちょっと待ってから入って欲しい、と同じ意味と思っていいだろう。
 が慌てていたのと、ドアを少ししか開けずに顔しか出さないのと、ちょっと待ってと言った。その意味するところを、不二はなんとなく察した。
「わかった」
 不二は頷き、ゆっくりめに5つ数えて家の中へと入った。ドアを締め、鍵をかける。
 リビングへ行くと、暖房が入っていて温かかった。隣の部屋から小さな音がするのは、が着替えているからだろう。
 4歳年上の彼女の滅多にない姿に、ちょっと新鮮だなと不二は微かな笑みを口元に浮かべた。 
 待つこと約十五分。が寝室としても使っている自室のドアが開く音がした。
 不二と目が合ったは恥ずかしそうに淡く頬を染めた。
「…あのね、着替えてなかっただけで、寝てたわけじゃないのよ」
「クスッ、だと思った」
 言うと、は驚いたように黒い瞳を瞠った。
「どうしてわかったの?」
「だって、起きたばかりの時、いつも眠そうじゃない。でもそうじゃなかったから」
 その言葉にの頬に朱が散る。その顔には、さらりと言わないで、と書いてあった。
「え、と…、……か、買い物行きましょう、周助」
「そうだね」
 無理矢理に話を変えるにフフッと笑って、不二は立ち上がった。
 これから二人でチキンとワイン、パンを買いに行き、手製のクリスマスケーキと料理でパーティーをするためだ。

 バスで駅まで出て、初めにリーズナブルなものから高級なものまで国内外のワインの品揃えが豊富なワインショップへ向かった。この店の品はバイヤーが現地へ赴き選んでくるので、確かな味のものが多い。それと、ソムリエが常時いるため、人が途切れることがあまりない。
 ワインは買ってすぐより数時間置いて落ち着かせたものを飲むのがベストなのだが、二週間程前にが買いに来た時、欲しかったワインは品切れしていた。その時に25日に入荷すると聞いて、予約をしてある。
「でも、わたしが決めてしまってよかったの?」
 ――いつも二人で選んでいるけど、クリスマスだし、の好みのワインにしよう
 そう不二に提案され頷いてワインを選んだのだが、今更ながら本当によかったのか気になったのだ。
「うん。今日はの選んだのがいいなって去年から考えていたんだ」
「ええっ?」
「クスッ、冗談だよ。が選んだのがいいっていうのは本当だけどね」
「周助ぇ」
「ごめん」
 黒い瞳に微かに険を滲ませるに軽く謝った。
 カウンターで、注文しておいたイタリア産のソアーヴェを代金を支払って受け取った。ピンからキリまである中でが選んだのは、真ん中くらいの価格で、辛口のワインだ。
 パン屋で焼きたてのバゲットとテーブルロールを買い、注文しておいたローストチキンが焼けるのを待って出来たてを受け取り、それらが冷めないうちに、と二人はクリスマス色に染まる街中をあとにした。

 帰宅したのは、昼を少し回った頃。
 二人は協力してパーティーの用意をした。
 リビング兼ダイニングとして使っている部屋のラウンドテーブルに、手作りのブッシュ・ド・ノエル、魚介のパスタ、フルーツサラダ、買ってきたローストチキンにバゲット、用意が出来るまで冷やしておいた白ワインが所狭しと並べられている。
 不二がワインの栓を開け、のグラスにワインを注ぐ。は不二からワインを受け取って、彼のグラスにワインを注いだ。
 微笑み合って、ワイングラスを軽く合わせる。キン、と高く澄んだ音が静寂な部屋に響いた。
「……コクがあって美味しいね」
「でしょう?味見させてもらった時、これだって思ったの。周助の口に合ってよかった」
 ワイングラスを右手に、緩く首を傾げてが嬉しそうに微笑む。その微笑みに不二はに選んでと言って正解だったなと思った。
 少し冷めてしまったのでオーブンで温めて熱々にしたローストキチンを、不二がナイフで切り分けた。ディナー皿にチキンをのせ、ひとつをに渡す。
「ありがとう。 美味しそう。いただきます」
「僕も、いただきます」
 それから二人は、温かな食事とワインをゆっくり味わいながら、会話を楽しんだ。外国のクリスマスについて、トンテムランドに住んでいるサンタのこと、好きなクリスマスソングなど、いろいろな話をした。
 二人で話をしていると時間はあっという間で、時計の針はまもなく5時半を指そうとしていた。
「ちょっと遅くなったけど、ケーキ食べない?」
 食事で満腹になり、ケーキはあとで食べようと言っていたのだ。
「いただくよ。が愛情込めて作ってくれたんだしね」
「もうっ、周助ったら」
「あれ、違うの?」
「ち、違わないけど…」 
 は赤く染まった頬を隠すように立ち上がった。窓際のカーテンを引くためだ。昼間は薄いカーテンだけだが、夕方以降はもう一枚カーテンを引くようにしている。
「あっ!」
 カーテンの隙間からふわりと舞うものが見え、は声を上げた。さっとカーテンを開ける。
「周助、雪が降ってるわ」
 振り向くとすぐ傍に周助がいた。が声を上げてカーテンを開けたから、不二の瞳にも雪が映った。そして彼はの傍へ寄ったのだった。
「さっきから降ってるみたいだね」
 ベランダの手摺にうっすら雪が積もっていた。
「この時間なら、そろそろ宵の明星が見えるのにな」
「天体観測したかった?」
「ええ。でも、ホワイトクリスマスって憧れていたから、雪でも嬉しいわ」
 黒い瞳を輝かせて無邪気に微笑むに不二はクスッと笑った。彼女のこういうところが可愛らしくて、愛しいと思う。
「金星じゃないけど、あるよ」  
 宵の明星である金星は見えない。
 けれど、今宵の一番星は、不二の手の中に。
「え?」
 は意味がわからず瞳を瞬き、首を傾げる。
、手を出して」
 不二の手の中に群青色の小箱があった。が気がつかなかっただけで、小箱は初めから不二の手にあった。その前はしっかり隠して持っていたけれど。
 は言われた通り、掌を上にして両手を揃えて胸の前に出した。突き出すではなく受け取る出し方をしているのが、奥ゆかしいらしかった。
「Merry Christmas.My sweetheart.」
 言葉と一緒に華奢な手の上に小箱を置いた。
 は小箱を見つめ、不二を見上げた。
「開けてみて」
 言われて、は小箱をそっと開けた。
 キラリと眩しい輝きが黒い瞳に映る。
「これ……」
 そう口にしたきり、は声が出なかった。
 星が群青色の天鵞絨の小箱で光っている。
 小箱に入っているのは、小さなダイヤモンドがついたプラチナリング。リングは花を繋げたような清楚なデザインで、一目で見惚れた。
「僕から君へ。クリスマスの一番星をプレゼント。 なんて、ね」
 フフッと微笑む不二に、は瞳を潤ませて抱きついた。
「…周助、ありがとう。すごく嬉しい」
 不二はの腰まである長い黒髪を指でそっと梳いた。
「君に喜んでもらえて僕も嬉しいよ」
「ね、わたしも周助に――」
 うずめていた胸から顔を上げると、至近距離――色素の薄い瞳に自分の顔が映っているのが見える近さに、不二の顔があった。
「僕に?」
「あっ、うん、クリスマスプレゼントがあるの」
「うん」
「…だから…」
 いつのまにか腰に不二の腕が回って抱きしめられていて、は身動きできない。
「今は、にキスしたい」
「周助…」
 はっきり言葉にされて、はかああっと瞬く間に頬を真っ赤に染めた。
「嫌かな?」
「い、嫌ってわけじゃ…」
「よかった」
 にっこりと微笑む不二にの心臓が跳ねた。
「しゅ――」
「もう、黙って」
 甘く熱のこもった声で囁かれて、は恥ずかしそうに瞳を閉じた。




END

ふたりの聖夜に5題「3.一番星は群青天鵞絨の小箱で光る」
Fortune Fate様(http://fofa.topaz.ne.jp/)

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