Je t'adore その日、校内は朝から浮き足立っていた。 グラウンド周辺、昇降口、教室や廊下など、いつもの学園内の空気と違う、そわそわ落ち着きのなさを感じさせるような、イベント独特のそれ。 今日は運が悪いと告白場面に出くわしてしまうこともある、日本では女性から男性へチョコレートを贈る習慣が一般的となっているバレンタインデーだ。 チョコレートを貰える者と貰えない者が出るのはイベントの性質上どうにもならないのだが、その中でも男子テニス部員所属のクラスでは女生徒の人数は半端がなかった。毎年山程のチョコレートが詰まった紙袋を手にしている姿は、ある種の名物となっていた。余談だが、テニス部員――とりわけ人気のあるレギュラーが一度に持って帰れないほど貰うチョコレートを入れる袋は、マネージャーが用意している。 しかし、不二は一昨年から彼女――以外からはチョコレートを受け取っていない。直接手渡されたものはその場で断わり、知らないうちに下駄箱や机の中に入っていたものは名前があれば返しに行っている。名前が不明なものは仕方がないので持ち帰るが、食べるのは母と姉とたまに寮から家に帰ってくる弟だ。一昨年のバレンタインで不二は彼女以外からチョコレートを受け取らないということが広まったらしく、数が少ないのが救いだった。 不二は帰りのホームルームが終わると素早く帰り支度をし、三組の教室へ向かった。 三組はすでにホームルームが終わっていた。教室前方のドアのところで、ざわめく教室内へ視線を向ける。は前から三列目右寄りの自分の席に座っていた。 「」 友達と話している彼女の姿を見つけ名を呼ぶと、こちらへ黒い瞳を向けて嬉しそうに笑った。 は友達と二言三言交わし、バッグを持って教室を出てくる。 「待たせたかな?」 六組の教室を出た時、他のクラスはホームルームが終わっていたから、そう訊いた。 ううん、とは笑顔で首を横に振った。 「早く帰ろ?」 がそう言ったのは、これから不二家で一緒に過ごす約束をしているからだ。去年は不二が家に来てくれたから、今年はが不二家へ行くことにした。 着替えてくるね、と言ったと両家の門前で一度別れ、不二も家に入り、二階の自室で学ランからシャツにセーター、ジーンズとラフな格好に着替えた。 母は買い物に行っているらしく、姉の帰りが遅いのはわかっていたので、一階へ降りて、たまに立つことがあるが、そう頻繁には立たないカウンターキッチンへ足を運んだ。 間もなくしたらが来るだろうから、ケトルに水を入れてIHクッキングヒーターにかけた。 紅茶とカップの用意をしておこうとそれらが収納されているそれぞれの棚をあけて取り出したところで、リビングで玄関のインターフォンが鳴った。 「かな」 呟いて、インターフォンには出ずリビングを素通りし、玄関へ向かった。 扉を開けると予想通り大好きな彼女――が、深青色の袋を胸の前に抱えていた。その袋の色で中身がチョコレートなのだとわかる。彼女はバレンタイン限定で、いつも深青と銀を組み合わせたラッピングをしているからだ。 「いらっしゃい、」 「お邪魔します」 不二はをリビングに通し、座っているように言ってカウンターキッチンへ行く。 「」 カウンター越しに名を呼ぶと、は黒い瞳をこちらへ向け、問うように首を傾げた。 「紅茶でいい?」 「うん」 今朝姉が「ちゃんと飲んだら?」と薦めてくれたダージリンオータムナルを淹れ、トレーに乗せてリビングへ持っていく。 「はい」 「ありがとう」 トレーからの前と自分が座る場所のテーブルにティーカップを移す。 「少し待ってて」 不二はそう言って、再びキッチンへ行くと冷蔵庫から小さな白い箱を取り出した。桜色のリボンがかかったそれを持ってリビングに戻り、の斜向いに座る。 それを見計らったように、は深青色の袋を不二に差し出した。 「はい。 周ちゃん、大好き」 「ありがとう」 嬉しそうに笑うが可愛らしくて、不二はクスッと微笑んで受け取った。それをテーブルの上に乗せ、手を空ける。 「はい、。僕から君に」 不二はのイメージで選んだ色のリボンをかけた小さな白い箱を、彼女の紅茶の近くに置いた。 「開けていい?」 「いいよ。 じゃ、僕も開けようかな」 「うん」 二人は貰ったものの包みを各々開けた。 「あっ」 声を上げたのは。 不二は三角形だ、と過日の会話を思い出して胸の中で言って、クスッと笑った。 「美味しそうだね。これは……スコン?」 一見ビスケットのように見えるが、膨らみがあるのでスコンかな、と思った。 「あ、うん。チョコチップスコンなの」 不二のくれたものに瞳を輝かせて見惚れていたは、問われて不二へ視線を向けた。 「ね、周ちゃん、可愛いのをありがとう」 が言っているのは不二がくれたものだ。ピンク色のハート型で可愛らしい。添えられたフォークは鈍い金色で、シックなのが素敵だ。 「それはイチゴチーズケーキなんだ」 「えっ、苺なの?」 嬉しそうには黒い瞳を輝かせる。不二は彼女のこの笑顔が見たかったので、色素の薄い瞳を嬉しそうに細めた。 「そ。にはやっぱり苺かなって思ってね。作ったんだ」 姉さんに教えてもらって、と胸の中でつけ加える。 「周ちゃんが?すごい、上手。それに美味しそう。 由美子お姉ちゃんが教えてくれたの?」 口に出さずともわかったらしいに言われ、隠す理由はないから、そうだよと頷いた。 「わあ、食べ――」 は言いながらチーズケーキに視線を戻し、その時、ケーキの横に長方形のホワイトチョコプレートが添えられ、それに文字が書いてあることに気がついた。 「んっと、…ジュ、タ…?」 書いてある文字を読んでみるが、よくわからない。 わずかに首を傾げるの耳に本場の人――フランス人さながらの流暢な言葉が届く。 「Je t'adore」 「ジュ タドール?」 不二のほうを見、は言葉をなぞった。 「フランス語?なんて意味?」 読み方は教えてくれたからわかったけれど、意味はさっぱりわからない。 不二は優しい微笑みを秀麗な顔に浮かべた。 「君が大好き」 「えっ」 の白い頬が瞬く間に赤く染まる。 「フフッ。 ねぇ、。せーので食べようか」 紅茶が冷めないうちに、と言う不二には笑顔で頷いた。 それからしばらくの間、不二家のリビングには二人の楽しそうな声が響いていた。 END ValentineDay&WhiteDay 2 [3. Je t'adore] Fortune Fate様 BACK |