Red full moon




「おはよう」
 朝練が終わって教室に入ったは、友人のに声をかけた。
「あ、ちゃん、おはよう」
 こちらに黒い瞳を向けるの笑顔がいつもより嬉しそうに見えた。
「何かいいことあったの?」
 訊くと、は嬉しそうに頷いた。
「うん。あのね、今夜皆既月食があるでしょ?」
「そういえば何日か前の新聞に載ってたわね」
 記憶を掘り起こしながら言ったは、そこでもしかしてという可能性に行き着いた。
「もしかして不二くんと見るの?」
 それならばが嬉しそうにしていることと結びつく。
「見たいけど、まだ聞いてないの」
 の言葉には首を傾げた。
 それなら、なぜ嬉しそうなのだろう。
 がじゃあなんで?と訊くより先、が口を開いた。
「明日、テニス部休みなんだって。だから、遅くまで起きて見ていられるなあって」
 はまだ聞いてないと言っていたけれど、彼女の中では不二と見ることはすでに決定事項になっているようだ。
 不二はのお願いを断らないだろうから、決定してしまっていてもいいのだろうけれど。
「夜は寒いだろうから、ちゃんと温かくしないとダメよ」
 まあ、不二君が一緒なら心配はいらないでしょうけど。
 心の中では呟いた。
「うん、ちゃんとする。 楽しみだなあ」
 瞳を輝かせるは小さく笑う。
「滅多に見られないものね」
「周ちゃんに写真撮ってってお願いしてみようかな?」
「ああ、いいんじゃない?きっと綺麗に撮ってくれるわよ」
ちゃんもそう思う?」
「ええ」
 同意をもらえて、は薄く笑った。



 その夜。
 夜空に浮かぶ銀の月を、と不二は不二家のベランダから見上げていた。
 皆既月食が始まる時刻まで、あと少しだ。
「まだかな」
 そわそわと月を見上げて呟くに不二はクスッと笑みを零した。
 待ちきれなさが態度に出ている彼女が可愛い。
 不意に強い風が吹きぬけ、の長い黒髪が翻った。不二は首を竦めた彼女の華奢な体を、毛布ごと後ろから抱きしめた。
「周ちゃん?」
「くっついてると温かいね」
 は黒い瞳を瞬いて、頬を緩ませた。
「うん」
 やがて銀色の月が褐色を帯び始めた。
 見ているとごくごくゆっくりと、けれど確実に月の色が銀から石榴色へ変わっていく。
「わあ、きれい…」
 感嘆の声を上げるの唇から、白い息が零れる。
「もっと全体が赤くなったら、撮ろうか、
「あ、うん。お願いします、周ちゃん」
 は不二を振り仰ぐようにして言った。
 月や星などの天体ショーを撮影するには専門のカメラが適しているけれど、不二はそれを持っていない。なければ撮れないということはないが、写りに差が出るのは明らかだ。
 けれど不二は撮るだけならいいよ、と言ってくれた。
 は不二の優しさが嬉しかったし、撮ってもらえるだけで――不二が撮る写真が好きだから、それでもいいと頷いた。
「……寒くなってきちゃった」
 ぽつりと小さな呟きが不二の耳に届く。
「しばらく部屋の中へ入ろう、。 まだ終わらないから、あとでまた見よう」
「うん」
 頷くから抱きしめていた腕をほどき、不二は彼女をつれて部屋の中へ入った。
「温かいものを持ってくるよ。少し待ってて」
 不二が言った時、部屋のドアが開いた。
「あ、二人とも中に入っていたのね」
 そう言った由美子の手には、トレイに乗ったマグカップがふたつ。
「そろそろ温かいものが欲しい頃だと思って。ホットチョコを淹れてきたわよ」
「ありがとう、姉さん。今淹れにいこうと思ってたんだ」
「あら、そうなの」
 弟に応えながら、由美子はまずにホットチョコを薦めた。弟よりのほうが冷えているように見えたからだ。
「ありがとう、お姉ちゃん」
 手を伸ばしてマグカップを取り、コクと一口飲んだ。
「…あったかくて美味しい」
 弟にトレイごとホットチョコを渡していた由美子はに視線を滑らせて、「よかったわ」と微笑んだ。二人に飲み物を渡すと、由美子は部屋を出て行った。
 二人はしばらく話をしながら、月が全体的に石榴色になるのを待った。
「様子、見てみようか」
「うん」
 立ち上がる周助に続き、はベランダへ出た。
 頂点にかかった月はほぼ全体が石榴色に染まっていた。
「わあ、すっごい。ほんとに赤くなるんだね」
 きれい、とはしゃぐにクスッと微笑んで、三脚にセットしておいたカメラのシャッターを、露出を長めに設定して数度切った。
 その様子をは邪魔にならないようにこっそり見ていた。
 真剣な顔の周ちゃんはカッコイイなあ。
 は胸中で呟いた。見つめていると、周助の視線がこちらを向いた。
も撮ってみるかい?」
「えっ?撮れるかなあ」
「僕が教えてあげるよ。 おいで、
 手招きされて、はカメラの前に移動した。
 周助に言われた通りに操作し、シャッターを切る。
 確認できる機能で撮影したものを見ると、夜空に浮かぶ石榴色の月がきれいに写っていた。
「ちゃんと映ってる」
 嬉しそうに笑うに周助は色素の薄い瞳を愛しそうに細めた。
「現像してもらったら、周ちゃんの撮ってくれたのと並べて飾りたいなあ」
「フフッ。 僕もそうしようかな」
「お揃いね」
「そうだね」
 それから二人はベランダと部屋を行き来しながら、数刻に渡る皆既月食を楽しんだ。




END



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