ケーキ




 街中がバレンタインの訪れを告げる時期となった、2月の上旬。
 昼休みの教室で、 は本を読んでいた。いや、見ていると言った方がいいかもしれない。
 正確に表現するなら、本では本でも、お菓子の本であるから。
 もうすぐバレンタインで、 も例に洩れず、彼に手作りチョコを贈ろうと思っている。
 不二と付き合い始めて、今月で10ヶ月になる。だから、初めてのバレンタインだ。

「何を読んでるの?」

 声を掛けられて、 は顔を上げた。
 そこには、彼女の恋人、不二周助が立っていた。
 不二は の読んでいる本を見て、クスッと笑った。

「そういえば、もうすぐバレンタインだね。 は誰にチョコをあげるの?」

 絶対にわざと言ってる。

 口には出さなかったが、 の黒曜石のような瞳はそう語っている。
 彼女が不二以外にチョコを渡すとは微塵も思っていないのに、わざとそう訊くのだ。

「お父さんに」

 彼の望んでいる言葉を口にするのは悔しくて、そう言ってみる。
 すると、不二は色素の薄い瞳を僅かに細めて。

「大好きな彼に、じゃないんだ?」

「イジワルだから」

 そう言うと、不二はフフッと笑った。
 
「ごめんね? からのチョコが欲しいな。他のコからは受け取らないから、僕にくれる?」

 耳元で甘く囁かれて、身体中の体温が一気に上昇する。
  は頬を赤く染めて、コクンと頷いた。
 すると不二はそれは嬉しそうに微笑みながら。

「フフッ、ありがとう。楽しみにしてるね」

「…ズルイ」

 小さな呟きだったが、不二の耳にはしっかり届いていた。
 だが、 の言葉は彼の笑みによって、しっかり黙殺された。
 
「お〜い、不二」

 そこへタイミングよく、二人のクラスメートである菊丸がやってきた。
 名前を呼ばれた不二は、視線を彼女から菊丸へ移した。
 そして、 に向けている笑顔とは違った種類の笑顔を浮かべて。

「なにかな?英二」

 言葉は柔らかいのに、どこか冷たさの感じる口調で不二は言った。

「昼休みまだあるから、テニスに付き合ってくれにゃいかな〜なんて」

 菊丸はほきつった笑を浮かべながら、なんとか言葉を紡ぐことに成功した。
 その言葉に、不二は暫し沈黙して。
 そして「いいよ」と返事を返した。

「ごめん、 。僕、ちょっと行ってくるよ」

「うん、いってらっしゃい」

 そう言うと、不二は笑顔で頷いて、菊丸と教室を出て行った。
 それと入れ代わるようにして、教室へ の親友である が入ってきた。

「なになに?チョコレート、手作りするの?」

  の前のイスに座り、 が訊いた。
 彼女の顔には、興味津々と書かれているような気がして、 は思わず苦笑した。

「うん。初めてのバレンタインだから」

「初めてのバレンタインねえ」

 含み笑いをして言う親友を怪訝そうに眺める。
 すると、 はくすっと笑って。

は男の子にチョコをあげるのも初めてでしょ」

「‥‥悪い?」

 むぅっという形容詞が似合う表情で が言った。
 すると、 は首を横に振って。

「悪くないよ。 
  が元気になって不二君と一緒にいれて、よかったなあって思うから」

  は生まれた時から軽い心臓病だった。
 数年の間治まっていた発作が突如起こり、倒れて大学病院へ運ばれたのは去年の春先のこと。
 そして は成功率が高いとは言えない手術を受けることを決めた。
 それは、大好きな不二とずっと一緒にいたいから、という願いからだった。
 かくして手術は成功し、その後のリハビリを必死にこなして。
 そして、今に至る。

「ありがとう、 にも義理だけど、チョコあげるね」

 無邪気な笑顔で言うと、親友はなんとも複雑そうな顔をした。
 甘いものは好きだし、大切な親友からチョコをもらえるのは嬉しい。
 けれど、 は不二の独占欲の強さをイマイチ解っていないようだ。

「気持ちだけもらっておくわ。不二君に恨まれたくないしね」

「周助くんが恨む?どうして?」

 そう訊かれて、 は苦笑した。

「その理由は不二君本人に訊いてちょうだい。 ところで

「なに?」

「バレンタインもいいけど、不二君の誕生日はどうするの?」

「周助くんの誕生日?」

 不思議そうな顔で は言った。

「不二君の誕生日って今月だよ」

「うそっ!?」

 よほど衝撃が強かったのか、 はイスから立ち上がった。
 その反動で木製のそれがガタンと音を立て床に倒れそうになった。
 だが にそれを気に留める余裕はない。彼女は黒曜石のような瞳を驚きに見開いて。

、ホントに?」

 確認するように言うと、 は首肯した。
 そして、思い出すように首を傾けて。

「ちょっと前のことだけど、手塚君が言ってたの。不二君て閏年生まれだから、今年は誕生日がないみたいだけど」

「ってことは、29日?」

「うん、そうらしいよ」

「教えてくれてありがとう、

 言って、 は教室を飛び出した。なにか思い付いたのだろう。
 そんな親友の後ろ姿を見送りながら。

「まだ時間はあるのにね。まあ、 らしいけど」

  はそう呟いて、くすっと笑った。




 28日、月曜日の夜。
 お気に入りのロッキングチェアに座り、不二は今日発売されたテニス雑誌を読んでいた。
 そして、最新モデルのラケット紹介の記事を読んでいる時。
 コンコンと部屋の扉が叩かれた。

「周助、お客様よ」

 扉を開けて、姉の由美子が言った。
 由美子は秀麗な顔に笑みを乗せて、どこか愉しそうだ。

「姉さん?」

 訝し気に姉を見遣ると、彼女はくすくす笑った。
 誰が来たのかを話す気はないようだ。
 それを読み取った不二は軽くため息をつき、立ち上がって部屋を出て行く。

 階段を降りて、リビングへと向かう。
 そして、リビングの扉を開けた不二は色素の薄い瞳を驚きに見開いた。

?」

 不二はソファに座る に近付いて。

「こんな時間にどうしたの?」

 今は夜で、時刻は21時を回っている。
 そんな遅い時間に彼女がいることに、不二は少なからず驚いていた。

「どうしても周助くんに渡したいものがあって」

「僕に渡したいもの?」

「うん。だから、連れてきてもらったの」

 言いながら、 は胡桃色のバックを開けた。
 そして、中から20センチくらいの銀色の包みを取り出して。

「周助くん。お誕生日おめでとう」

 言って、 は花が咲くようにフワッと笑った。
 不二は一瞬驚いた顔をして、そして嬉しそうに微笑んだ。
 彼女が家に来た意味が解ったから。
 なにより、彼女の気持ちがとても嬉しかったから。

「ありがとう、

 不二は白く細い手から、銀色の包みを受け取った。

「開けてみていいかな?」

 訊きながら、不二は の隣に座った。

「う、うん」

 不安そうな瞳で返事をした恋人に、不二は安心させるように優しく笑う。
 そして、彼女の黒髪を撫でるようにしなやかな指先で梳いて。

からのプレゼントはなんでも嬉しいよ。こうして と一緒にいられることも…ね」

 海の蒼を映し取ったような色のリボンを解いて、包みをほどく。
 すると中から四角く茶色い籠が出て来た。
 不二は長い指で、ゆっくりと籠の蓋を開ける。

「コレ、 の手作りだね」

 籠の中には、小さなホールケーキが入っていた。
 飾りや文字もなく、至ってシンプルなケーキ。

「周助くん、林檎が好きって言ってたから、だから‥‥」

 恥ずかしそうに頬を染めて言う彼女に、不二は笑みを深くした。
 皆まで言わなくても、彼にはしっかり解ったらしい。

「フフッ。アップルケーキなんだ? ありがとう、

 再度言って、不二は細い身体を片腕で抱き寄せた。
 そして、 の桜色をした頬にキスを落として。

「今日、泊まっていってくれない?」

「えっ?」

 顔はおろか耳まで真っ赤に染め上げて、 は不二を見た。
 すると、彼はクスッと笑って。

「心配しなくても、まだなにもしないよ」

「しゅ、周助くん?あの‥っ」

 真っ赤な顔で益々慌てる彼女を愛し気に瞳を細めて見つめながら。

「僕の誕生日が29日なのは知ってるでしょ?」

「え…うん、知ってる。でも今年は閏年じゃないから」

「うん、29日はないんだ。でも、真夜中の0時は28日でも1日でもないから。 に傍にいて欲しいんだ」

「一緒にいていいの?」

「うん、いて欲しい」

 言うと、 は笑顔で頷いた。
 それは嬉しそうに微笑みながら、 は言う。

「周助くんのお誕生日になる0時には一緒にいられないから、メールしようと思ってたの。だから、ホントのお誕生日にお祝いできて嬉しいな」

‥‥」

 愛しい恋人の名前を呼んで、細い身体をしっかりと腕の中に閉じ込める。
 そして。

「大好きだよ、

 耳元で甘く囁いて、柔らかい唇をそっと塞いだ。




END


2005.04.24加筆・修正


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