唐辛子




 世界に500種類以上あるという、唐辛子。
 それは、タイ料理、韓国料理、四川料理、そして、ケイジャン料理などに使われる。

 

 2月末日。
  は16時過ぎからキッチンにこもって、パーティの準備に勤しんでいた。
 今日は大好きな旦那様の誕生日。
 そして、周助にプロポーズされた日でもある。
 厳密に言うと、周助の誕生日は29日だから、閏年ではない今年は彼の誕生日はない。
 けれど、29日がないなら作ってしまえばいいだけのこと。

 カウンターキッチンから見えるリビングの壁に掛けられた、風景写真のカレンダー。
 28日の翌日は、29日と書いてあった。
 それは、 が油性マジックで書いたもの。

 閏年でない年には、3月1日は存在しなく、2月29日が存在する。

 そう言ったら、周助は愉しそうに、でも嬉しそうに笑っていた。
 
  は彼の笑顔を頭に浮かべながら、棚から唐辛子を取り出した。

「普通は2、3本だけど…周助だし」

 彼女は辛いものが得意ではない。無論、作る方ではなく食べる方だ。
 苦手なワケではないが、周助ほど辛いものが好きなワケではないだけ。
 しばらく思案した後、唐辛子は5本使うことに決めた。
 あまりにも辛くしてしまうと、味見すらできなくなってしまうからだ。
 もし辛味が足りないようなら、その時は辛味を足してもらおう。
 そう決めて、 は料理に取りかかった。

 冷蔵庫から鶏肉、海老を出して、一口大に切る。
 そして、玉葱とピーマン、セロリをみじん切りにする。
 メインのオクラは1センチ幅にスライスした。

「あとは‥‥万能ネギね」

 切った材料を確認して、足りていなかった万能ネギを小口切りして。
 具と野菜を切る前に用意いておいた唐辛子をはじめとする香辛料を使って作れば完成だ。

 手慣れた仕種で、油と小麦粉でルーを作って。
 その中に野菜を入れて炒める。野菜がしんなりしたのを見計らい、オクラと鶏ガラスープを加えた。
 タイム、パセリ、ローリエ。そして、忘れてはいけない唐辛子の輪切りを入れて。
 炒めておいた鶏肉と海老を加える。
 30分程度煮込んで様子を見て、味を整えればメインは完成する。

 煮込んでいる間にデザートを作ろうと、 はガス台から離れた。
 TRRRR............
 
「あ、電話」

 呟いて、リビングへと向かう。

「はい、不二です」

『もしもし、僕だけど』

「周助?どうしたの?」

『今日、早く帰れそうなんだ』

 聞いて、 の顔がパッと明るくなる。
 最近、周助は仕事が忙しく、帰宅時間はまばらだった。
 しかも夜遅く帰ることが多く、ゆっくりと過ごすことができなかった。

「どのくらいに帰って来られるの?」

 早く帰ると聞いて、 はいてもたってもいられずにそう訊いた。
 すると、クスッという笑い声が聴こえて。
 ついで優しい声が言う。

『あと1時間もしないうちに帰るよ』

「えっ?」

 思わず声を上げてしまって、慌てて口元を掌で覆う。
 けれど、それはすでに遅かった。

『"えっ?"って何かな?

 少しだけだが、周助の声が低くなった。
 
「えっと‥‥は、早いのね〜って」

 かなり無理があるが、そう言ってみた。
 すると。

『相変わらず、嘘がつけないね、 は。
 まあ、いいか。とにかく、そういうことだから』

「うん、解った。頑張ってね」

 言って、 は電話を切った。
 そして慌ててキッチンへ戻る。
 周助は人をからかうことがあっても、嘘はつかない。
 そんな彼が、あと1時間で帰ると言った。それならば、彼は絶対に帰ってくる。
 少し予定が狂ってしまったけれど、副菜とデザートを急いで作ってしまわなくては。












 出来上がったデザートを冷蔵庫に入れ、 は一息ついた。
 周助が帰ってくるまでに、なんとか料理が全部出来上がった。
 そこへ実にタイミングよく、玄関のチャイムが鳴る。

「よかった、ギリギリセーフね」

 パタパタと軽い足音をさせて、玄関へ向かう。
 そして、扉を開けた は、黒曜石のような瞳を驚きに見開いた。
 
「お義姉さん!」

 玄関のドアノブを握ったまま、 は声を上げた。
 由美子はくすっと笑って。

「久しぶりね、 ちゃん」

「そうですね。あ、外は寒いですし、上がってください」

 直に3月とはいえ、夕方になると風は冷たい。

「気にしないで。コレを渡しに来ただけなの」

 言って、由美子はウィンクした。
 持っていた白い紙袋を に渡して。

「私からの差し入れ。 ちゃん、抹茶のロールケーキ好きでしょう」

「わぁ〜、ありがとうございます」

 満面の笑みを浮かべてお礼を言うと、義姉は嬉しそうに微笑んだ。
 
  のこういう素直な所を由美子は気に入っている。

「ふふっ、どういたしまして」

「でも、どうして私に?」

 周助にと言うなら解るが、どうして自分にくれるのか。
 何もない日に渡されたものなら、彼女の言うように差し入れだろう。
 けれど、明日は周助の誕生日だ。中はケーキだと言うし、彼へではないのだろうか。

「周助の誕生日だし、 ちゃんはきっと周助の好物を作っているでしょう?
  ちゃんは辛いのは得意じゃないから、口直しに…ね」

 由美子は艶やかに微笑んだ。

「由美子さん‥‥」
「姉さん、何やってるの?」

「あら、周助」

「今日は何しにきたの?」

 不機嫌を微塵も隠さずに、周助は言った。

「ご挨拶ね。 ちゃんに差し入れを持ってきたのよ」

 周助の射るような視線をものともせず、由美子はあっけらかんと返す。
 この弟にしてこの姉ありと言ったところか。
 周助が独占欲の強いことを解っていて、笑顔で答えるあたり二人はよく似ている。

「じゃあ、お邪魔虫は退散するわ。またね、 ちゃん」

 笑顔でそう言って、由美子は踵を返した。
 そして、周助とすれ違い様に、ごくごく小さな声で。

「あんまりムリさせたら可哀想よ?ほどほどになさい」

 耳元でそう囁いた。
 そのセリフに、周助は不敵に笑った。

「周助?」

「ん? ああ、ただいま。

「お帰りなさい、周助」









「フフッ、美味しそうだね」

 目の前に並べられていく料理を見て、周助が言った。
 すると は嬉しそうに微笑みながら。

「今日は周助の好きなものばっかりでしょう?」

「すごく嬉しいけど、作るの大変だっただろ?」

 訊くと、 は首を横に振ってそれを否定した。
 
「全然。周助が美味しそうに食べてくれる笑顔が好きだから、大変じゃないわ。
 それに今日はトクベツな日だもの 」

 その言葉に周助はなにも言わなかった。
 だがそのかわりに、 の黒い瞳を愛し気に見つめたまま、幸せそうに微笑んで。
 愛妻の華奢な身体をそっと引き寄せて、腕の中にしっかり閉じ込めた。

「周助ったら‥‥お料理が冷めちゃうわ」

 言って、 はくすくす笑う。
 周助は腕の力を少しだけ弛めて、赤く色付く唇にキスを落とした。



「お誕生日おめでとう、周助」

「ありがとう、


 二人でささやかなバースデーパーティをして。
 その後はデザートを食べる予定だったのだが一一一




 周助はデザートよりも甘く美味しいものを味わったのだった。











END



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