「ただいま」

 周助が玄関の扉を開けると、そこに由美子がいた。

「おかえり、周助。ちょっと相談があるのだけど」

 そう言って彼女は微笑んだ。
 微笑んだといっても、何か企んでいるような、そんな笑顔だが。

「イヤだって言っても聞かないくせに。 相談って何?」

 半ば諦めた口調で一応は訊くよ、と存外に告げると、由美子は笑みを深くした。
 
「月末の31日、空いてるでしょう? パーティに参加しない?」

「パーティ?」

 訝し気に問い返す周助とは正反対に、由美子は楽しそうに微笑みながら。

「ええ。 大学時代の友人たちとホテルのホールを借りてハロウィンパーティをすることになってね。
 周助も ちゃんと参加しない?」

「・・・目的は ?」

「あら?分かっちゃった?」

 そう言いながらも、由美子は周助が言うことを予想していたのだろう。
 言葉に驚きは一切含まれていない。
 それどころか声は弾んでいるようにも聞こえる。

「僕が分からないワケないだろ」

「フフッ。 じゃあ決まりね」

「まだ返事をしてないけど?」

「あら、参加しないの? それなら ちゃんだけ誘うわ」

「僕も行く」

 即答だった。
 由美子ならやりかねない。むしろやってのけるだろう。
 それに、 にあることないことを吹き込まれても困る。
 乗り気ではないが、 が絡んでくれば話は別だ。




桜色円舞曲




 当日の31日。
  と周助は由美子の運転する車で会場に向かった。
 まもなく太陽が沈み、夜になるまでそう時間はかからないだろう。
 そんな刻限に、車はホテルの地下駐車場に入った。
 車から降りた三人はエレベーターでホテルのロビーがある一階へ向かった。
 エレベーターが止まり、一度降りてから会場である「鳳凰の間」へと向かう。
 ホテルはセキュリテイーの関係上、一度ロビーに出ないとホールや客室へと行けないつくりになっているからだ。
 会場は五階にあるので、ホールからエレベーターに乗らなければならない。

ちゃん、周助、こっちよ」

 緑色のロングドレスを纏い、レースのショールを肩にかけた由美子の後について、
エレベーターに乗り会場へ向かった。

 大きな白い扉を開けると、すでにそこではパーティが始まっていた。
 ショパンのピアノ曲がかかっている室内は、すでに人がいっぱいだった。
 きらびやかな衣装を身に纏い、固まって談話している女性。
 そして、黒いタキシードを着て蝶ネクタイかネクタイを絞めている男性。
 室内に点在する大きな円卓には、ハロウィンらしく淡いオレンジ色のクロスが掛けられている。
 その上には、オードブル、サンドイッチやスコーンなどの軽食、旬の果物。
 アルコールの入ったカクテルなどの酒類やソフトドリンクは、ウェイターから受け取る形になる。

「由美子、遅かったじゃない」

 由美子の友人の一人が彼女の姿を見つけて声をかけた。
 声をかけた女性は、由美子の後ろにいる二人に目を止めて、首を傾けた。

「由美子、後ろにいる二人は?」

「弟の周助と、周助の彼女の ちゃんよ。
 人数が増えてもかまわないって川崎君が言っていたでしょう。だから誘ったのよ」

「こんばんは、周助です。姉がいつもお世話になっております」

 胸元に手を添えて、周助が優雅に挨拶をする。
 慣れているのかその仕種はとても自然だ。

「こんばんは。私は由美子の友人の永井咲良よ。ゆっくり遊んで行ってね」

 咲良はそう言うと、周助に向けていた視線を に向けた。

ちゃんもゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

  はフワッと微笑んで、おじぎをした。
 すると咲良は に抱きついた。

「きゃ〜、可愛い。連れて帰りたいわ〜」

「ダメですよ。 は僕のですから」

 やんわりとした口調で、 を抱きしめている咲良に言った。
 けれど、周助の色素の薄い瞳は「 から手を離せ」と雄弁に語っている。
 彼の視線に気付いたのか、簡単に拘束している腕は離れた。

(周助ったら。 ちゃんが絡むと誰だろうと容赦ないわね)

「姉さん、何か言った?」

「何も言ってないわよ。ね、 ちゃん 」

 










 姉の友人だという人たちからようやく解放された と周助は、会場の隅へ移動した。
 壁際には座って食事をしたり休憩できるように、イスが並んでいる。

、喉乾いたでしょ?」

「うん、少しだけ」

「何か貰ってくるからココにいて。動いちゃダメだよ?」

「うん」

  の返事を聞いて、周助はドリンクを配っているウェイターの所へ向かった。
 残るような形になった は、会場に入った時と同じように、室内を見回した。

「・・・由美子さんもだけど、みんなキレイな人ばっかりね」

 目の前を行き交う女性たちはみんなキレイで、 はため息をついた。
 キレイな人ばかりで、自分は場違いなのではと思ってしまう。
 由美子の友人だという人が縫ってくれた淡いピンク色のミニドレスを纏った自身を見降ろす。
 大きく開き過ぎていない胸元には、小さなバラのコサージュがついていて、膝より少し長めのスカート。
 可愛いけれど、周りにいる女性たちとは違って子供っぽいような気がする。
 一方、周助は黒いタキシードを見事に着こなしていて、動作も仕種もとても自然だ。
 会場にいる男性に混じっても、見劣らない。
 いまだってそうだ。
  から離れた周助がウェイターの所へ歩いていく様を見ている女性が何人もいる。
 楽しい時間になるはずなのに、周助が隣にいないだけでとても淋しく思えた。

(周くん、早く戻ってきて・・・)
 



「どうかしたの?」

 背後から聴こえた聞き慣れない声に振り向くと、 の頭ひとつ半分ほど高い位置に顔があった。
 どうして声を掛けられたのか分からない は、相手が何か言うのを待った。
 だが。

「あの…何か?」

 自分を凝視したまま喋らない男性を少し訝し気に思い声をかける。
 すると、不信感が声に混ざっていたのか、目の前の男は苦笑して。

「ごめん。そんなに警戒しないで」

 そう言われても、見ず知らずの人に警戒するなと言うのは無理な注文だ。
 だが、相手はそういったことに頓着しないらしい。
  はこういう自分本意な人は正直苦手なのだが、由美子の友人を無視することもできず、仕方なしに話に付き合うあことにした。

「君さ、不二さんの連れてきたコだろ?」

「そうですけど…それが何か?」

「いや。可愛いコだな〜って・・・・」

、待たせてごめん」

  に声をかけた男性の言葉を遮って、二人の間に周助の声が割って入った。

「周くん」

 明らかにほっとしたように は息をついた。
 その様子に周助は色素の薄い瞳を細めた。そして男性を斜に見据えて。

「僕の連れに何か用が?」

 凍えるような目付きでそう言うと、男性は周助の纏う雰囲気に気押され、一歩後ずさった。
 男性が から離れると、周助は素早く彼女を庇うように細い身体を背後へ隠した。
 
「用があるのなら僕が代りに聞きますよ?」

 口調は穏やかだが、それには明らかに怒気が混じっている。
 しかも、口元は笑みを象っているが、瞳は全く笑っていない。

「な、なんでもないんだ。気にしないでくれ」

 早口で言って、男性はそそくさと離れて行った。


「ごめん、

「ううん、大丈夫。ちょっと油断してたから…」

「油断…て?」

 周助が持ってきたグラスを渡しながら訊く。
  は差し出されたグラスを礼を言って受け取った。
 そして、グラスに注がれたアイスティーを一口飲んで。

「周りの人たち…キレイだなって見とれてたの」

 黒曜石のような瞳をそっと伏せて、 は沈んだように顔を曇らせた。
 
「大丈夫だよ。  はキレイだ。僕が保証する」

 耳元で囁くと、閉じられていた瞳が周助を捕えた。

「周くん・・・」

「君は気付いてないみたいだけど、ココに来てから君は注目の的だよ」

「え?」


 不二由美子が連れて来た娘というだけで注目されるには十分な理由で。
 しかも、その娘は愛らしく可愛い。
 緊張しているせいか頬は少しピンク色にそまり、笑った顔は花が咲くようで。
 会場に入った途端に、 に注がれる視線の数々に気付いた周助は、
牽制の意味を露にするかのごとく、必要以上に に触れていた。
 彼女をエスコートしながらも、細い腰に腕を回したり、自分のものだと見せつけるように の黒髪を梳いたりと余念はなかった。
 それだけで を見る視線の数々は反れたのだが、どうやら足りない輩がいたようだ。
 あれだけ見せつけていたのに、周助が の傍を離れた隙を狙ってくるのだから。


。僕の保証だけじゃイヤ?」

「ううん。周くんがそう思ってくれてるならそれだけでいい」

  はにっこりと微笑んだ。周助の言葉がよほど嬉しかったらしい。
 そんな彼女を愛しく思い、周助の秀麗な顔にも笑みが浮かんだ。






 

 

 やがてパーティも終わりが近付いた。
 かかっていた曲が一端切れて、再び音楽が流れ出した。

「Beautiful blue Danube」

「え?なに?」

 上手く聞き取れずに訊ねると、周助はクスッと笑って。

「姫、私とワルツを踊ってくださいませんか?」

「ワルツを?」

 周囲を見ると、会場にいるほとんどの人たちが手を取り合っている。
 視線を周助に戻すと、彼はにっこり笑って。

「そう、ワルツだよ。踊ろう、

 去年の文化祭で演劇部は『シンデレラ』を公演した。
  はシンデレラ役であったから、劇の山場である舞踏会シーンのために、必死にワルツを練習した。
 ワルツどころか、ダンスなど踊ったことはなかったので、いささか苦労はしたけれど、なんとか身に付けることができた。
 だが、踊れると言っても多少である。しかも、いまかけられている曲はヨハン・シュトラウス作曲の『美しき青きドナウ』だ。劇で使用した曲よりテンポが早い。
 だから迷ってしまう。差し出された手を取っていいかどうか。取りたい気持ちは十二分にあるものの、曲のラストまで踊り続けられる自信がない。

「私、あんまり踊れないの」

「僕がリードするから」

「足を踏んじゃうかもしれないわ」

「大丈夫だよ。僕がついてる」

「・・・・うん」

 差し出された手を取ると、周助は細い手を包み込むようにそっと握った。
 ホールの中央に出て、二人は滑るように踊り出した。

 三拍子のリズムに合わせてステップを踏む。


 左足からクローズド・チェンジ
 ナチュラル・ターン
 右足からクローズド・チェンジ
 リヴァース・ターン
 チェック・バック


「ねえ、周くん」

 ターンをしながら、 は周助を見上げた。
 そして不思議そうに首を傾けて。

「ワルツ、どこで習ったの?」

  が多少まごついても、周助は戸惑う事なくリードしてくれる。
 それがとても不思議だった。

「パーティでワルツがあるから覚えなさいって言われてね」

「由美子さんに教えてもらったの?」

「姉さんからはステップだけね。あとはビデオで」

「それだけで?」

 ステップを踏むと、桜色のドレスの裾が揺れる。
 ターンする度に、黒髪がふわりと舞う。
 周助はそんな を優しく見つめながら、言葉を紡ぐ。

「うん。だって、 以外の人と踊っても意味ないでしょ」

 にっこりと微笑んで言われて、 は白い頬を瞬時に赤く染めた。
 周助は を抱き寄せて。
 
「フフッ、可愛い」

「な、なに言って・・っ」

「大好きだよ、

 言って、周助は柔らかい唇を掠め取った。


 

 

 

END