Scent



 周助と が結婚して、新居に越してきて数カ月が過ぎたある日のこと。
 秋晴れというに相応しい天気の中、周助の学生時代からの友人である手塚と、彼の妻が不二家を訪れていた。
 訪れたと言っても、前もって連絡があった訳ではない。
 なぜなら、連絡を入れたら、周助が を連れて外出してしまい、不二家を訪れても誰もいないという結果に繋がるからであった。
 それは、手塚とその妻が不二家を訪れる度に、手塚夫人が を独占して離さないからという理由からくるものだったりする。
 周助と が恋人同士だったころから、彼の彼女に対する独占欲は相当なものだった。
 それは周助がそれだけ を愛しているからにほかならないのだが。

 

 リビングでは、周助の妻と手塚の妻が楽しそうに話をしている。
 穏やかで、花が飛んでいるような空気が二人の間には流れていた。
 少し毛の長い水色のカーペットの上には、ピンクや白や青い色のビンがいくつも置かれている。
 それらは由美子が にプレゼントしたいからと持ってきた香水であった。

「これはどうかしら?」

 言いながら、由美子が桜色のビンを に差し出した。
 それを受け取ってフタを開けると、仄かな薔薇の香りが広がった。

「いい香りですね。でも、私には大人っぽくないですか?」

「そんなことはないと思うけど。でも、香水は気に入った香りをつけた方がいいわね。
 これとか、どうかしら? ちゃんの雰囲気にすごく合うと思うわ」

 言って、乳白色のビンを に渡す。
 すると は微かに眉を顰めた。

「匂いのキツイものはちょっと…せっかく薦めてくださったのに、ごめんなさい」

  が申し訳なさそうに言うと、由美子は首を横に振った。

「いいのよ、 ちゃん。私がうっかりしてたわ。あまり香水とか好きじゃないのよね」

 残念そうに言った由美子に、 は慌てて。

「でも、花の香りとかなら平気です。だから、軽めのものとかなら」

「そう? これならどうかしら?そんなにきつくないし、フローラル系の香りなの。
 香水のイメージも ちゃんと合うと思うわ」

 言って、由美子はライトグリーンのビンのフタを開けた。
 ほのかな花の香りが広がる。

「優しい香りですね。いい香り…」

 ふわっと微笑んで が言うと、由美子は嬉しそうににっこり笑って。

「よかったわ。 ねえ、 ちゃん。それ、つけてみたら?」

「え?いいんですか?」

「もちろんよ」




 そんな会話をしている二人の傍らで、その光景を黙ったまま見つめている人物が二人いた。
 一人はにこにこと微笑をたたえて、一人は眉間に皺を寄せている。

「ねえ、手塚」

 色素の薄い瞳で と由美子を見つめたまま、周助が口を開いた。
 ちなみに、口元は笑っているが、切れ長の瞳は全く笑っていない。
 そして、彼がまとう空気は凍っている。

「なんだ?」

 周助と同じく、由美子と を凝視したまま、手塚が答えた。
 彼の眉間の皺は不二家を訪れてから、だんだんと深く刻まれている。
 普段から喜怒哀楽が少ない手塚だが、今は違う。不機嫌を絵に書いたようであった。

「由美子姉さん連れて早く実家に戻ったら?」

 周助の声色は、いかにも不機嫌だと物語っている。
 だが、普段の手塚相手になら通用するが、彼も不機嫌なため、効果はない。

「それができれば既にそうしている。お前こそなんとかしたらどうだ?」

「なんとか…って?」

さんを由美子から離してくれないか?」

 一向に解決しない無意味な会話を交わしている自分たちの旦那様には気付かずに、相変わらず と由美子は楽しそうに話をしている。
 周助は を独占したい。手塚は由美子を連れて実家へ帰り、二人でゆっくりしたい。
 となれば、二人を引き離すのが手っ取り早い。
 だが、楽しそうに話している愛しい妻の顔を曇らせたくないため、二人とも行動に出られないまま、見守っているしかできないのである。




「香水ってどこにつけたらいいんですか?」

 香水をつけたことのない が、疑問を投げた。

「耳の後ろとか手首とか膝の裏ね。直射日光の当たらない所につけるのが一般的ね」

「直射日光の当たらない所ですね」

「ええ。 それから、キスして欲しい所とかね。ふふっ」

「ゆ、由美子さんっ」

 悪戯っぽく笑う由美子に、 は顔を真っ赤に染め上げた。
 すると、それを聞いていた周助は意味ありげに微笑みながら。

「香水なんてつけなくても、いつでも が望む所にキスしてあげるのに」

 小さい声のため、 と由美子には届いていないようだが、隣にいる手塚にはよく聞こえていた。
 けれど。

「・・・・・・」

 手塚はあえて何も言わず、眉間の皺を増やしただけだった。
 彼はこういった話題は苦手なのだ。




「周くん」

 由美子と話をしていた が周助を呼ぶ声がした。
 周助は顔に笑顔を浮かべて、首を傾けた。

「ん?どうしたの?」

「あのね、こういう香りって好き?」

 そう言いながら、 は周助の傍に寄った。
 空気が動いて、仄かに甘い花の香りが周助に届いた。
 由美子に薦められた香水を、 は試しにつけてみたのだった。
 自分は気に入った香りだけど、やはり気になるのは彼の反応だ。
 好きと言ってくれればこの香水にしようと は思っているのだが、もし周助が好きではないと言ったなら、別のものにしようと、そう思っていた。
 不安そうに黒い瞳でじっと見つめる に、周助はクスッと笑って。

「いい香りだね。僕も好きだよ」

 言うと、 は嬉しそうに笑った。

「よかった。 由美子さん、この香水にします」

  が由美子の方を向いて言うと、由美子は艶やかに微笑みながら。

「ええ。 でも、気をつけてね」

「え?」

 言われていることが分からずに、きょとんとした表情で義姉を見つめた。
 すると、由美子はくすっと笑って。

「周助には気をつけてね、 ちゃん。 もう遅いかもしれないけど」

 そう由美子が言ったかと思うと、 はふいに後ろから抱きしめられた。

「ねえ、 。そろそろ僕を見てくれない?」

 耳元で囁かれた甘い声に、 の鼓動が跳ねる。
 抱き締める腕は優しいのに、身体に感じる彼の体温が熱くて、身動きが取れなくなる。
 
…」

 白い項にキスを落としながら、甘い声で名前を呼ばれて、細い身体がびくんと跳ねた。

「やっ…」

  の赤い唇から甘い声が漏れた。
 すると、ぎこちない堅い声が響いた。

「由美子、帰るぞ」

「え?もう?」

「『もう?』じゃない。俺は不二に恨まれるのはごめんだぞ」

 心底冗談じゃないという表情で言った夫に、由美子は「それもそうね」と同意した。
  を由美子に取られたことで、周助の機嫌はすこぶる悪い。
 このまま不二家に留まるなら、あとで何をされるか分かったものではない。
 それに、周助は手塚と由美子がいるのを承知の上で に触れている。それは「早く帰れ」と言っているも同然の行動だ。それが分かってしまうのは、些か問題があるかもしれないけれど。
 由美子は自分に差し出された大きな手に捕まって立ち上がった。

「そろそろ帰るわ。またね、 ちゃん」

「邪魔して悪かった。今度はウチに来い。今日の詫びにもてなすから」

「ああ、楽しみにしてるよ。お義父さんとお義母さんに宜しく言っておいて」

「分かった。 またな」

 そして手塚夫妻は帰っていった。


「これで誰にも邪魔されずにゆっくりできるね」

 周助は華奢な身体を楽々とお姫様だっこして、にっこりと微笑んだ。
 そして、 を抱き上げたまま寝室へと運び、真っ白なシーツを敷いた大きなベッドの上にそっと降ろして。

「僕だけを見て?」

 色素の薄い瞳を細めて言う周助に、 は困ったように笑った。
 そして、彼の頬にそっと指先で触れて。

「無視してた訳じゃないの。 でも、ごめんね?」

 そう言うと、周助はクスッと笑った。
 そして、 の形のいい額に優しいキスを落として。

「じゃあ、今から僕だけ見ててね」

「え?周くん?待っ…っ」

 慌てて身体を起こそうとする を白い波に沈めて、周助は不敵に笑った。

「昨日の夜に約束したでしょ?『明日は二人きりでゆっくり過ごそうね』って。
 忘れちゃったの?」

「忘れてない…けど、こういう意味だったの?」

 白い頬を赤く染めて訊くと、周助はクスッと笑って頷いた。

を独占していいのは、僕だけだから…ね」

 甘く熱く囁いて、周助は柔らかい唇にキスを落とした。

「愛してるよ、僕の

「私も・・・」

 

 そして、甘くて蕩けるように熱い時間がゆっくりと過ぎていった。


 








END

 

2004.10.XX
Congratuate 50000 over.Thank You.

【Anjelic Smile】 Ayase Mori   2004.12.02


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