Dear...

 

 

 時計の針が退社の時間を示してすぐに、 は席から立ち上がった。
 そして、デスクの上を素早く片付けて。

「じゃあね、

 そう言うと、隣の席の同僚が に顔を向けて。

「お疲れ様、 。 これからデート?」

 首を傾けて訊いてきた に、 は笑顔で頷いた。

「うん。今日ね、周助が帰国するの」

  の恋人である周助はプロテニスプレイヤーで、一年の大半を海外で過ごしている。
 そのため、日本に帰国するのはリーグのない時だけ。だから、滅多に逢うことができない。
 この前逢ったのは8月の終わりで、周助との逢瀬は約4ヶ月振りになる。

「これから帰ってくるの?」

「うん。手紙でそう言っていたわ」

 三週間前の12月上旬に周助から手紙が届いた。
 それは月に2〜3回送られてくる定期便だ。
 手紙には試合の結果や、周助の身の回りであった日常的なことなどが綴られている。
 だが、先日届いた手紙には、24日に帰国するということ、そして、待ち合わせ場所が書かれていた。
 
「クリスマスイブにねえ。不二君らしいわね」

「くすっ、そうね。 …っと、いけない。ごめん、急ぐから」

「ううん。こっちこそ引き止めてごめん。 ゆっくり楽しんで来てね」

「ありがとう。じゃあ、月曜日に」

 友人にそう言って、周囲の人に「お先に失礼します」と挨拶をして、 は職場を後にした。
 周助が指定してきた時間は、19時だった。だから、待ち合わせている時間には十分に余裕がある。
 けれど、恋人が指定してきた場所は都内でも有名な一流レストランだった。
 そうなると、いつものスーツで行くことはできない。
 スーツも正装には変わらないけれど、せっかくのデート、しかもクリスマスイブのデートとなれば、それなりの格好をしたいというもの。
  も女である以上、愛する人の前ではキレイでいたいのだ。
 幸い、昨年の初夏に姉が式を挙げることになったため、ドレスを新調していた。
 だから、あえて用意しなくても助かった。
 それに、一度袖を通しただけだし、周助は のドレス姿は見ていない。尚更、都合がよかった。
 もっとも、スーツでも違和感なく身につけることができて、でも品質は譲れないのでプラチナで出来た、雪をイメージして作られたネックレスとイヤリングをボーナスで買ったのだけれど。
 




 

 自宅に戻った は、ドレスに着替えるために羽織っていたアッシュグレイのロングコートを脱ぎ、
ハンガーに吊るした。
 ドレスの上には、昨年のクリスマスに周助から贈られた白のロングコートを着て行くつもりだった。
 だから、必要でないコートを片付けるために、 はクローゼット型のタンスを開けた。
 すると、携帯電話が鳴った。けれど は急いでいるからいい、と無視を決め込んだ。
 そのままにしておくと、やがて電話が鳴り止んだ一一一かと思うと、今度はメールの着信音が響いた。
 よほど重要な連絡かもしれないと考え、しかたなしに携帯をバックから取り出して、届いたメールを開いた。


『今、家の前にいるんだ。
 ドア開けてくれない?』


 差し出し人の名前を確認した は、開いたままの携帯を手に、すぐさま玄関へ走った。



「周助!」

 ドアを開いて恋人の名を呼んだ。
 すると周助はにっこりと笑いながら。

「ただいま、 。 驚いた?」

「驚いたに決まってるでしょ!どうして…」

を迎えに来たんだよ。
 ドレス姿の を僕が一人で行かせるワケないでしょ」

 そう言って穏やかな笑みを浮かべる周助を見つめていた は、あるコトに気付き首を傾けた。
 周助は今日、帰国すると言っていたはずだ。そして、便が夕方に到着するとも。
 となると、あっていいものが彼の手にない。
 しかも、彼はすでに正装なのだ。どう考えてもおかしい。

「ね、荷物は紙袋ひとつなの?」

 ふたつの疑問のうちのひとつを は投げた。
 一昨年の春に周助はアメリカへ渡った。だが、アメリカで行われる大会以外の主にヨーロッパで開催される試合に出場するには、些か活動しにくかった。移動にかかる時間的なロスが多く、少しでも多くの練習や試合をしたい周助にとっては都合が悪い。
 ゆえに周助は、半年だけアメリカで過ごし、それからフランスに拠点を移した。
 そしてフランスを拠点と定めた周助は、ホテル住まいでは気が休まらないので、一件の家を購入していた。
 だから、大きい荷物は全て家に置いてきているだろう。
 けれども、いくらなんでも紙袋ひとつで彼が帰国するとは考えられない。
 そんな の心境は、周助には手に取るように明らかで、彼は楽しそうに微笑んで。

「帰国したのは5日前なんだ。だから、手荷物とかは家に置いてある」

「え?だって手紙には今日帰国するって」

「クリスマスイブなんて混んでいて航空券は中々取れないよ、

「だったら初めから19日に帰るって言ってくれればいいじゃない。
 日曜日で仕事も休みなんだから、迎えに行けたのに」

「ごめん、 を驚かせたかったんだ。たぶん怒るだろうなって思ったけど…ね」

「・・・・・・」

 無言のまま は周助の秀麗な顔を睨んだ。
 すると周助は顔に苦笑いを浮かべて。

「機嫌を直して、 。可愛い顔が台なしだよ?」

「・・台なしにしたのは誰かさんのせいじゃないかしら?」

 周助から黒い瞳を逸らして が言った。
 すると周助は華奢な身体を腕の中に抱きしめて。

「ホントにごめん、

「知りません」

「まいったな…。 どうしたら笑ってくれる?」

「自分で考えれば?」

  は明らかに怒っていて、すぐには機嫌を直してくれそうにない。
 そう判断した周助は、 の柔らかい唇を素早く、少し強引に奪った。
 触れるだけだったキスは直ぐに熱いキスへと変わり、 の思考を奪ってゆく。
 周助がゆっくりと から唇を離すと、細い銀糸がツッと伸びた。

「・・・・・ッ・・・しゅ・・・う・・」

「ごめん、 。ホントにごめん。君が許してくれるまで何度でも謝る」

 色素の薄い瞳で を真摯に見つめて言った。
 すると彼女はゆっくりと呼吸を整えて。

「今度したら許さない。周助と別れるからね」

「うん。 ありがとう、

 言いながら、周助は の華奢な身体を解放した。
 そして彼女に床に置いた一一一正確には落としたのだが一一一グレイの大きな紙袋から、赤い包装紙に包まれて銀色のリボンがかかったものを差し出した。

「はい、

 言うと、 は怪訝そうに眉を顰めて。

「まさか”お詫び”とか言わないわよね?」

 その言葉に周助は苦笑して、首を横に振った。

「違うよ。 にクリスマスプレゼント一一一のひとつ」

「『のひとつ』って何?」

「それは後で教えるよ。
 それより、コレを に受け取って欲しいんだ」

  は周助の言った『ひとつ』という言葉が気になったが、それは頭の隅へ追いやった。
 そして差し出されたプレゼントを素直に受け取って。

「ありがとう、周助」

 嬉しそうに微笑んで言うと、周助は優しく微笑んだ。

「ね、開けてみて?」

「え?いま?もう時間がないんじゃない?」

「大丈夫。予約の時間は19時30分だし、車で来てるから十分間に合うよ」

「時間まで誤摩化したわね…」

「そうじゃないとコレの意味がないからね」

 周助の言っているコトがさっぱり解らず、 は再び眉を顰めた。
 けれど、周助は楽しそうに微笑んでいるだけだ。
 こういう時の恋人に何か言ってもムダなコトを理解している は、軽くため息をついた。
 そしてプレゼントの包装を丁寧に解いていった。
 すると真っ白い大きな箱が顔を覗かせた。
 それは、洋服を贈り物にする際に使用される箱と同じものだった。

「え‥‥‥?」

 箱を開けて中を見た は驚きに絶句した。
 中に入っているのは服であろうことは、外観から予想がついた。
 白い箱には多少の厚みがあるから、潰れては困るもの、もしくはアンサンブルか何かかと思っていた。
 ウールを使った素材は、 の体質に合わないことを周助は知っているからそういったものでないことも予想はついていた。
 けれど、まさかこのようなものをプレゼントされるとは思ってもみなかった。

「クスッ、驚いてくれた?」

 耳に届いた声に、 は周助を見上げてコクンと頷いた。
 そして。

「でも、私が貰っていいの?」

「君が受け取ってくれなかったら、僕は誰にあげたらいいのさ」

「それはそうかもしれないけど…でも・・・」

が言いたいことは解るけど、受け取って欲しい。
 いつも傍にいてあげられないから、このくらいのコトはさせてよ」

 周助が日本に帰って来られるのは年に3〜4回ほど。
 しかも数日間の滞在で、一緒過ごしていても、あっという間に過ぎてしまう。
  に淋しい思いをさせているのを周助は十二分に解っていた。
 彼女は自分より他人の気持ちを優先するので、わがままなど言ったりはしない。
 
『もっとわがまま言っていいのに』

 そう言っても、 は滅多に甘えてくることはない。
 それは が周助に負担をかけたくないと考えているからだということも、彼は解っていた。
 その優しさに、周助は何度も救われている。
 普通なら傍にいられない恋人に愛想をつかせても仕方ない、とそう思うのに。
 高校卒業を機にアマチュアからプロになった周助がアメリカに渡る前にそう言ったことがあった。
 その時、 は一一一

『バカなこと言わないで。私は周助だから好きなの。
 傍にいないからって、キライになるワケないじゃない。
 周助は違うの?』

 言葉は強気なのに、黒真珠のような瞳は涙で微かに潤んでいて。
 そんな表情で紡がれた言葉に、嘘など微塵も含まれていないのは明確だった。
 周助はそんな のアンバランスな所も、優しい所も、彼女の全てを愛していて。
 だからこそ、何かしたくて仕方がないのだ。
 それをきっと も解ってくれているはず。

「周助、ありがとう。すごく嬉しい」

 微笑んだ に周助は微笑を返して。

「着てみせてくれない?」

「うん。 あ、時間かかるかもしれないし、座って待ってて?」

「そうさせてもらうよ。 でも、ムリだったら僕を呼んでね」

「うん?」

 周助の言葉に は疑問形で返事を返して、箱を抱えて寝室へ戻った。


 

 それから15分後。

「これで大丈夫…よね?」

 見えにくい後ろを確認する為に、全身が映る鏡の前に立つ。
 リボンはウエストの後ろでキレイに結べたし、背中のファスナーもちゃんとできている。
 細めの肩ヒモも捩れていない。
 ちゃんと着れているので、周助を呼ぶ必要はなさそうであった。
 ドレスの裾は足首に届くか届かないかの長さだが、膝までスリットが入っているので、足に絡まずに歩きやすそうだった。
 ドレスを着た は、ふと豊かな黒髪を両手で纏めて。

「アップにした方がいいわね」

 呟いて、ドレッサーの前に座ると、慣れた手付きで腰まで届く長い黒髪を、パールのついたヘアピンを3本使って結い上げた。
 それなりに開いている胸元に先日買ったばかりのネックレスをつけ、それと揃いのイヤリングをつけた。宝石はついていないので、ワインレッドのドレスと相性はよかった。
 そして化粧を少し直して。
 左手に白いコートとハンドバックを持って、隣部屋へ続く扉を開いた。

「周助、お待たせ。 どう…かな?」

 心配そうな瞳で は首を傾けた。
 すると周助は驚いたように色素の薄い瞳を見開いた。
 だがそれはほんの一瞬で、 は全く気付かなかった。

「思った通りだ。 とてもよく似合うよ、
 誰の目にも触れさせたくないくらいにキレイだ」

「やだ…大袈裟よ」

 頬を赤く染めて言う に、周助はクスッと笑って。

「大袈裟じゃないよ。 想像以上にキレイだ」

 切れ長の瞳を細めて見つめてくる周助の視線が熱くて、 は俯いた。
 するとクスクス笑う声がして、それと同時に華奢な身体は周助に抱き締められた。

「ねえ、 。 気に入ってくれた?」

「・・・すごく」

「そう。よかった。 じゃあ、そろそろ出かけよう」

  を解放して、周助は大きな手を彼女に差し出した。
 その手に細い手を重ねると、大切そうにそっと優しく握られて。
 二人はレストランへ向かった。








 小さなリースが飾られた扉を周助が開く。
 すると、入口に待機していたボーイがスッと頭を下げた。 

「いらっしゃいませ。不二様、お待ちしておりました。お部屋へご案内致します」
 
 言って、背の高いボーイがゆっくりと歩きだす。

?」

「え?あ…ごめんなさい」

 自分の置かれた状況に戸惑っていると、名前を呼ばれて は周助を見上げた。
 すると周助は優しく微笑みながら。

「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」

 その言葉に頷いて、周助にエスコートされてボーイの後に続いた。
 そうして案内されたのは、店内の奥にある個室であった。

「・・・素敵ね」

 部屋に入った は室内の装飾を見て、感嘆の声を上げた。
 テーブルの上は勿論のこと、壁にもクリスマスの飾り付けがなされていた。

「お客様、コートを」

 横から声をかけられて、 はハッとなった。
 まだ席にもついておらず、周助と二人になった訳ではなかったのだ。
  は白いコートを脱いで、ボーイの手に預けた。
 背の高い青年は周助の黒いコートと の白いコートを手にして、部屋を出ていった。
 そして部屋で待機していた2人のボーイがイスを引いてくれたので、二人は向い合せに座った。

 ほどなくして、食前酒と前菜が運ばれて来た。
 
「Merry Christmas 

 フルートシャンパングラスを少し掲げて周助が笑顔で言う。
  もそれに微笑み返して。

「Merry Christmas 周助」

 そして二人は のドレスと同じ色をしたキールを飲んだ。

 前菜を食べ終わった頃を見計らい、メインディッシュの料理が運ばれて。
 そのあとも、温かく美味しい料理の数々を二人は堪能した。


「デザートのチーズケーキでございます」

 自分の前にデザートが置かれて、 は黒い瞳を瞠った。
 周助が予約しているから、出される料理が全て決まっているのは解っていた。
 けれど、 が甘い物を苦手なことを周助が知らないはずはないのだ。
 すると。

「お客様は甘い物が苦手だとお聞きしましたので、甘さは控えてございます」

  は驚いた瞳でボーイを見つめた。
 すると歳若いボーイは笑顔を浮かべて。

「不二様のご希望でございます。 そしてこれも・・・」

 言って、 の前に白磁のカップに注がれたダージリンが置かれた。

「では、失礼致します」

 そしてボーイは部屋から静かに出ていった。
 
  は目の前で微笑む恋人をじっと見つめた。
 すると周助はクスッと笑って。

「まだ驚いた顔してるね」

「・・驚くに決まってるじゃない。 だって、普通じゃ考えられないもの」

「フフッ。 少しでも に喜んで欲しかったから…ね」

 言って、周助は色素の薄い瞳をそっと細めた。
  はそんな彼を少し潤んだ瞳で見つめた。
 彼の優しさが嬉しくて、何も言葉にできない。

「そんなに喜んでくれると僕も嬉しいよ。でも、もうひとつ・・・」

 言いかけて、周助は席を立った。
 そして の傍へ歩み寄って、真摯な瞳で彼女を見つめながら。

「僕から にクリスマスプレゼントがあるんだ」

「え?」

 クリスマスプレゼントはドレスと目の前にあるデザートだと思っていたので、 は驚きに黒真珠のような黒い瞳を瞬きさせた。
 
「これを君に・・・」

 言いながら、周助は白く細い指に銀色に光る指輪を嵌めた。
  の左の薬指に嵌められた指輪には、彼女の誕生石であるダイアモンドがついている。

を愛してる。必ず幸せにするから、僕と結婚してください」

「・・・・・っ」

 黒い瞳から涙が零れた。

 夢、だった。
 いつか周助とそうなれることを、何度も夢見ていた。
 遠くから彼を見守るのではなく、傍で支えたいと、願っていた。

  は喜びを堪えることができずに、周助の腕の中に飛び込んだ。
 そんな彼女を周助は大切にそっと抱きしめて。

「僕と結婚してくれるね?

 耳元で訊かれて、 は何度も頷いた。
 たくさん言いたいことがあるのに、それは音にならなくて。
 溢れる涙は止まらなくて、止まるどころか益々溢れてしまう。 

、そろそろ笑って欲しいな。 僕は君の笑顔が一番好きなんだ」

 周助は大きな手でほのかに赤く染まった頬を捕えて、笑いかけた。
 そして、 の目尻に唇を寄せて、溢れる涙を優しく拭った。

「・・・しゅう・・すけ」

 ようやく恋人の名前を口にして、 は涙で濡れた瞳で微笑んだ。
 すると周助は幸せそうにフフッと笑って。

「愛してるよ、
 
 柔らかい唇を熱いキスで塞いだ。






 
  

 規則正しい寝息が、赤く色付く唇から溢れる。
 周助は白い波に横たわる愛しい恋人の柔らかな胸元についた赤い花を、しなやかな指先でそっと撫でた。
 白い肌に幾つも散った赤い花は、周助がつけたものだ。

「無理させてごめんね、

 眠っているので彼女の耳に届いていないことを承知で、周助は囁いた。
 そして華奢な身体をギュッと抱きしめて。

「・・・ありがとう、

 愛しい恋人に触れるだけのキスを落として、周助も眠りについた。










 

END


 

修正・再録

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