Sweeter than Chocolate


 朝起きて、三人分の朝食の用意をしながら、周助のお弁当を作る。
 そうしているうちに周助が起床し、息子の颯を起こして着替えさせてくれる。
 主婦の朝はなかなかに忙しいので、周助が颯の面倒を見てくれるので、とても助かっていたりする。
 そして、家族三人揃って朝ご飯を食べる。
 そのあと、 は周助の出勤を見送り、愛息子の颯を保育園に連れていく。
 保育園から帰宅すると、部屋の掃除をしたり、洗濯をしたりする。
 それが彼女の平日の昼間の日課となっている。

 けれど、今日は掃除や洗濯をする前に、やっておきたいことがあった。
 午後でも問題ないと言えば問題ないのだが、問題あるといえば問題がある。
 2月14日の今日は、バレンタインデーである。
  は周助と結婚する前一一一つまりは恋人時代から、毎年かかさずチョコを贈っている。
 そして今年も例に洩れず、チョコを贈るつもりだ。
 彼と付き合い初めた時から今日まで、 は周助に勝てた試しがない。
 もっとも、そう思っているのは だけで、周助は には勝てないと思ってるのだが。
 だから今日こそ何とか、と意気込んでいる。
 そして、最終的には周助を驚かせようと目論んでいる。

 毎年違うチョコを周助に贈ると決めている は、今年はチョコレートタルトにする予定であった。
 しかし、ただのチョコレートタルトではなく、周助の好きな林檎を入れた林檎のチョコレートタルト。
 前回作ったのは、愛息子の誕生日だった。外見は周助と を足して2で割ったようなのだが、好みや性格は周助ととてもよく似ている。
 保育園ではおやつがでるので、保育園がない日や特別な日にしか は手の込んだ菓子を作っていない。
 誕生日に作った時は、とても喜んでいたから、颯もきっと喜ぶだろう。
 周助は が作るものは何でもオイシイと日頃から幸せそうに言ってくれるから、喜んでくれるのは間違いないだろう。

 二人の顔を思い浮かべ、 の顔に自然に笑みが浮かぶ。



 昨日作って寝かせておいた、チョコレートを練り込んだパイ生地を冷蔵庫から取り出す。
 それを丸い型に合わせてカットし、型に敷き込む。
 それにラップをかけて冷蔵庫に入れた。生地の縮みを防ぐために少し休ませるのだ。
 生地をなじませている間に、 はリビングや寝室を始めとし、家の中の掃除を済ませてしまう。
 効率的に動かないと、周助が帰宅するまでに出来上がらず、彼を驚かせることができなくなってしまう。
 
「そろそろいいかしら?」

 リビングの壁掛け時計を見て時刻を確認して、 は呟いた。
 手にしていた掃除機を壁に備え付けになっている収納場所に片付けて、彼女はキッチンへ戻った。

 冷蔵庫を開けて、生地を取り出してテーブルの上に乗せる。

「・・・・・ん、いいかんじ」

 生地の固さを右手の人指し指で確認した は、語尾に音譜マークでもついているような、弾んだ声を出した。彼女は菓子作りをするのが好きなのだ。だから、これは無意識。
 今は 一人だから、何も起きない。
 だが、周助が彼女の声を聞いていたとしたら、まず間違いなく一一一


『フフッ、楽しそうだね。  が僕のために作ってくれてるっていうのが一段と嬉しいよ』


 こう言うのは間違いない。
 実際、彼は仕事が休みの日に愛妻が料理している姿を見て、いつも言っているのだ。
 それに『可愛い、 』とか『 の方が美味しそうだけどね』など、 が照れたり怒ったりすることを言うのもしばしばだったりする。

 敷き込んだ生地から空気を抜くために、フォークで何ケ所か穴を開けて。
 生地の上にオーブンペーパーを敷きタルトストーンを乗せて、先程から暖めておいたオーブンの下段に入れた。高温で焼いた方が生地がパリッとなって、美味しいのだ。
 パリッとした生地が周助の好みであることを彼の姉である由美子から教えてもらってからは、焼き加減はずっとそうしている。

「少し多めに煮ておこうかな?」

 呟いて、 はキッチンの隅にあるダンボールから、林檎を4コ取り出した。
 2コはタルトに、残りの2コは明日の朝食用に。
 林檎を洗って四つ切りにし、皮を剥いてタネを除いて少し厚めのくし形に切る。
 鍋にバターを溶かして、その中に林檎を入れて時々混ぜながら煮る。
 仕上げにシナモンとカルバトスを入れ香りをつける。周助だけでなく颯も食べるから、カルバトスは少し控えめにした。
 オーブンを覗いて生地がまだ焼けていないことを確認して。
  はバターとチョコレートを混ぜて、手早くクリームショコラを作った。







 それから約30分後一一一。



「あと5分くらいかな」

 オーブンを覗いてタルトの焼き具合を確認した は呟いた。
 林檎にもうちょっと焼き色がついた方が美味しそうだったためだ。
 少し温度を下げて焼くことにし、使った器具の片付けを再開しようとオーブンから離れた。
 まさにその時。

 玄関のチャイムが鳴った。
 時刻は昼を少し回った辺り。あと2時間もすれば颯を保育園に迎えに行く時間だ。

「宅配か何かかしら?」

 首を傾けて考え込むようにしながら、 は玄関へ向かった。
 そして扉についている覗き穴から来訪者を確認した は、驚いて動きを止めた。
 夜空色の瞳を瞬きして、再度確認しても、外に立っている人はそのまま。
 やはり幻ではないらしい。

、そこにいるんでしょ。玄関開けて欲しいな」

「やっぱり本物よね…」

 ため息を吐き出してそう言うと、 は扉を開けた。

「ただいま、

 家の中に入った周助は、言いながら の赤く色付く唇に軽いキスを落とす。
 嬉しそうに微笑む周助と対照的に、 は眉を顰めて。

「なんでこんなに早いのよ」

 彼を下から睨むように言うと、目の前の人はクスッと楽しそうに笑って。

「今日はもともとこの時間に帰れる予定だったんだ。
 昨日、 に言おうと思ってたけど、君が何か隠しているみたいだったから。
 だから僕も黙ってたんだ。 を驚かせようと思ってさ。
 案の定、驚いてくれたみたいだけど、怒ってもいるみたいだね?」

「別に怒ってなんかいないわよ」

「それならいいけど、ね」

  の眉間に皺が浮かんでいるため、彼女が不機嫌なのは明確だ。
 けれど、周助はそれに気付いてない振りをする。
 だが、それを が解らないはずはなく。

「お帰りなさい、周助。 お仕事お疲れ様」

 そう言ってフワッと微笑んだ。
 早く帰って来ることを言ってくれなかった夫に少しは腹が立った。
 けれど、 も周助に内緒でチョコの準備をして驚かせようとしていたのだ。
 同罪と言えば同罪。彼ばかりを責めるのはイヤだった。
 なにより、家族のために周助は仕事をしているのだ。そんな彼を傷つける行為は避けたい。

「ただいま、

 再び言って、周助は優しい笑みを浮かべた。
 そして。

「今年はケーキ?」

 寝室へ向かって並んで歩きながら、周助が質問する。
 もう少し秘密にしておきたかったが、家中にチョコレートの香りが充満していた。
 これでは誤摩化すことなど到底無理な話だ。

「ケーキじゃないけど、周助が好きなものよ」

 言うと、周助はフフッと笑って。

「出来上がるのを楽しみに待ってるよ」















「へえ…すごく美味しそう」

 スーツから着替えた周助がキッチンのテーブルを覗いて言った。
 淡いグレイのテーブルクロスを掛けたテーブルの上には、焼き上がったばかりの林檎のチョコレートタルトが湯気を立て置かれている。

「今日は僕のために作ってくれたんだ?」

「それってどういう意味?」

 彼の言うことが理解できず、 は首を傾けた。
 すると、周助は色素の薄い切れ長の瞳をフッと細めて。

「この前のは颯の誕生日だから颯のため、今日はバレンタインだから僕のためでしょ?」

 その言葉に は彼女にしては珍しく、悪戯っぽく微笑んで。

「残念でした。チョコレートは愛する人にあげるものでしょ。
 だから今日は、周助と颯のために作ったのよ」

 周助は驚いたように切れ長の瞳を瞠った。
 だが、それはほんの僅かな時間にすぎない。

「じゃあ、颯が保育園から戻ってきたら一緒に食べるよ」

「そうしてちょうだい。でも、颯はそんなに食べられないと思うから、周助が責任持って食べてね。
 そのためにサイズも小さくしたのよ?」

「クスッ、解ったよ。 ところで…」

「ところで?」

「颯は何時に迎えに行けばいいの?」

「え? あと2時間くらいしたらだけど?」

「それなら充分に時間があるね」

 言って、周助は顔に笑みを浮かべて。
  の膝裏と背中に腕を回して細い身体を抱き上げた。

「しゅ、周助っ?」

「ん?なに?」

「なにって、それは私のセリフよ。なにする気?」

「まだ食べてないけど、先にチョコのお返しをしようかなって」

「そ、そんなのいいわよ。ホワイトデーまで待つからっ」

がよくても、僕は今直ぐがいいな」

 言いながら、周助は を抱き上げたまま寝室へ向かう。

「そっ、颯がっ」

「心配しなくても、颯の分も僕がお返しするよ」

「そんな心配はしてないわよ!私が言いたいのは…っ」

 白い波に降ろされて、優しく唇を覆われて、言葉が遮られる。
 軽くキスをして、周助は唇を離した。

「愛してるよ、

 耳元で囁いて、周助は の身体に熱を加えていく。
 ささやかに抵抗していた だったが、周助から与えられる熱に、段々と思考が溶けてゆく。
 
「・・ ・・・ッ」

 掠れた周助の声が甘い響きを持って、彼女を支配してゆく。

「んっ・・・しゅう・・すけ・・・アッ・・ん」

 柔らかな赤い唇から、絶えず甘い嬌声が溢れて。
 徐々に掠れていく甘い声と、 から馨る甘い蜜の香りに、周助の動きが早まる。
 周助は細い腰を更に自分の方へ引き寄せて。
 
・・・愛してる」

 桜色に染まった身体を抱きしめて、唇に深いキスを落として。
 柔らかな唇をキスで塞いだまま、花園の最奥を強く突き上げた。
 ほんのりと桜色に染まった白く細い身体が大きく跳ねて、白い波に沈んだ。




「行ってくるよ、 。 …って言っても聴こえないか」

 周助はクスッと笑って、白い波に横たわり微かな寝息を立てる の形のいい額にキスをして。
 白い身体にブランケットを掛け直して、床に散らばった衣服を拾いベッドの上にのせて。
 その中から自分の衣服を身に纏い、静かに寝室を出ていった。














「おとうさ〜〜ん」

 園庭で遊んでいた颯が周助の存在に気付き、駆け寄ってくる。
 周助は小さな身体を抱き上げて。

「ごめんね、颯。待ったかな?」

「だいじょうぶ。ショウくんと遊んでたの」

  譲りの黒い瞳が楽しかったと語っていて、周助はクスッと笑った。
 そして、颯を腕から降ろして、小さな手を取った。

「帰ろうか」

 周助は担任の先生に挨拶をして、小さな手を引きながら歩き出す。
 保育園の門を出た所で、颯が立ち止まった。

「颯?どうしたの?」

 そう訊くと、息子は不思議そうな表情で小首を傾けた。

「おかあさんは?」

「お母さんは家でお休みしてるよ」

 そう言うと、 と同じ色をした瞳が泣き出しそうに歪む。
 それに周助は苦笑して。

「心配しなくていいよ。病気じゃないから、ね?」

「ほんと?」

「うん、本当だよ。 お父さんがちょっとムリさせちゃったんだ」


 夕暮れ間近の空の下。
 なんとも言えない会話が繰り広げられていた。
 このことを が知ったのは、ほんの数時間後のことだった。


 

END

 

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