Peaceful time




 柔らかな音が部屋の中を満たしている。
 CDとは異なる、アナログな音。

 温かみがあるこの音が好きなんだ。

 彼がそう言っていたのは、付き合い始めて間もない頃だった。
 レコードという存在を知ってはいたけれど、実際に聴いたことはなかった。
 そう言ったら、「聴きにおいで」と彼が誘ってくれたのだった。
「あの時が初めてだったのよね…」
 呟いて、両腕に抱えたクッションを抱きしめる。淡いオレンジ色のそれは、彼からのバースデイプレゼント。カバーはさらりとしていて肌触りがよく、中は羽毛でふわふわしている。その感触が好きで、クッションなのに腕に抱えていることが多い。
 このクッションをプレゼントされた時は、一人暮らしをしていたから、クッションに彼の温もりを求めていたのかもしれない。
 今は一緒に暮らしているから、寂しいと思った時は甘えられるのだが、こうすることが癖になってしまっているようだった。
「……まだかな、周助」
 少し淋しさを含んだ呟きが、柔らかな唇から零れる。
 今日――正確には明日だが、明日は3月1日だから、周助の本当の誕生日である2月29日ではない。けれど、その間に確かに存在する彼の誕生日をこれから祝う予定なのだ。
 本音を言えば、朝からずっと周助と過ごしたかった。でも、中学高校と仲のよかった仲間が周助のバースデイパーティをしてくれると聞いたから、わがままは言えなかった。
 彼らの中には、今日のために海外から帰国する人がいるという。その人の話をする時、周助は嬉しそうな顔をしている。だから、大切な仲間なんだと感じていた。
 それはきっと他の人に対しても同じだろう。周助の立場を自分に置き換えてみれば、それはすぐにわかった。



 周助は家を出る時にも、幾度となく言った言葉を口にした。
「本当に一緒に行かないの?」
「うん。私は留守番しているから、楽しんできて」
「みんなを連れてきていいって言ってるけど、それでも?」
「気持ちはすごく嬉しいけど、みんなと会うのは久しぶりなんでしょう? だったら私は行かない方が気兼ねなく楽しめると思うから」
 一昨日と同じく、一緒に行くとは言わないに、周助は深いため息をついた。
 無理矢理に彼女を連れて行くのは簡単だが、彼女の気遣いを無下にできない。けれど、だからと言って一人にさせたくはない。
 いっそのこと断ってしまおうか、と本気で考えたが、は怒るか悲しむかするだろう。
「わかった。じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。ゆっくり楽しんできてね」
 手を振って見送るを周助はじっと見つめて言った。
「…なるべく早く帰ってくるから」
 そうしては玄関を出て行く周助を見送った。
「………私ってげんきん…」
 彼に行ってきたら、と勧めておいて、早く帰るという言葉が嬉しいなんて矛盾もいいところだ。
 けれど、も行くか行かないか迷っていた。彼らと最後に会ったのは結婚式で、それから8ヶ月が経っている。
 お礼というお礼も言えずにいたから、それを言うチャンスかもしれない。そう思ったのだが、彼らに気を遣わせるのは気が咎めた。それに、異性抜きで楽しむのもいいと思った。



 パーティから帰宅した周助は、出迎えがないのを不思議に思い、音楽の聴こえるリビングへと向かう。
 すると、眩しいほどの陽射しが窓から降り注いでいる部屋で、ソファに寄りかかり瞳を閉じているがいた。
「…?」
 そっと呼びかけてみるが返事はない。
 やはり眠ってしまっているようだ。
 周助はクスッと小さく笑って、彼女の膝から落ちそうになっているブランケットをかけ直して、起こさないよう静かに隣に座る。
 無防備な可愛い寝顔。
 あの日、レコードを聴いたコトがないというを自宅に誘って、その夜に月の光の下で見たのと変わらない寝顔。
 お互いに初めてで、二人で迎えた朝は、今のように穏やかな時間だった。
「…ん…」
 そう遠くない過去を思い出していると、小さな寝息が周助の耳に届いた。
 そんな彼女を周助が愛しそうに微笑んで見つめていると、瞼がかすかに動いて、ゆっくり瞼が上がっていく。
 覚醒したの瞳に周助の顔が映ったと同時に、彼女は黒い瞳を驚きに瞠った。
「しゅ、周助?」
「うん。ただいま、
「あ…おかえりなさい。ごめんなさい。私寝ちゃってたのね」
「謝らなくていいよ。原因は僕にあるんだから」
 柔らかな唇にキスをして言った周助に、の白い頬が瞬く間に赤く染まる。
 そうやって照れるが可愛くて、周助はクスクス笑いながら、細い身体を抱きしめた。
「…ねえ、
「なに?」
「来年の誕生日は君と二人きりがいいな」
「周助が望むなら…ううん、私もそれがいい」
 みんなでパーティで盛り上がるのも楽しくて好きだけれど。
 周助の本当の誕生日は、二人きりで過ごしたい。
「…ハッピーバースデイ、周助」
 そう言って、は周助の唇にキスを贈った。


 柔らかく温かいアナログな音が、二人のために美しい旋律を奏でている。
 その音に包まれながら、穏やかな時間がゆっくり流れていく。



 他の誰といるより、周助と一緒だから穏やかな時間なの。



 、覚えてる?

 そう言って恥ずかしそうに微笑んだのは、君だよ――。


 腕の中で安らかな寝息を立てているに甘く囁く。
 周助は細い身体を大切に抱きしめて、瞳を閉じた。




END



BACK