Wool





 昼休みに教室でマフラーを編んでいると、廊下から声をかけられた。
 は編み棒を動かす手を止めて、声がした方へ視線を向けた。
 それと同時に彼女に声をかけた人物が近づいてくる。

「悪い。邪魔しちゃったみたいだな」

「平気よ」

 だから気にしないで、と言外に告げるに佐伯は「それならよかった」と口にして。
 彼女が机の上に置いたものへ視線を向ける。

「今度は何を編んでるんだ?」
 
 編み始めたばかりなのだろう。形になっていないので、何を編んでいるのかわからない。
 わかるのは、編んでいる物と贈る相手の二つ。
 1月末に見かけた時はマフラーだと言っていたから、今度は違う物だろうというコト。
 毛糸の色は藍色で女性向けの色ではないし、彼女の好きな色ではない。そして、バレンタインを過ぎたあとに来るのは幼馴染の誕生日だ。
 そうすると編んだ物を贈る相手もすぐにわかる。
 
「セーターよ。まだ完成には遠いけどね」

「へえ。不二が羨ましいよ」

「佐伯も欲しいの?」

 訊かれて佐伯は瞳を丸くして、ついで軽く吹き出した。

「君みたいな彼女を持つ不二が、だよ。だいたい君が編んだものを俺がもらったりしたら、不二に殺される」

 それ以前に、は自分にセーターを編んだりはしないだろうが。
 佐伯にとっては友人で、恋愛感情というものはない。それは彼女も同じだ。
 だから成り立つことはない。

「失礼ね。不二くんは殺人なんてしないわよ」

 いささか気分を害したように、の黒曜色の瞳が剣呑に細められる。
 それによって佐伯は悟った。不二は彼女の前で自分の全てを曝していないのだ、と。
 違う学校に通っていて、いつも一緒にいる訳ではないから彼女がそれに気づいていないのも無理はない。
 もっとも、佐伯がそれをわかったのは去年の春先、不二とが付き合い始めた直後だったが。
 不二が気づかれないようにしているのか、が鈍感なのかと考えて、後者のような気がした。
 あそこまであからさまな不二の独占欲に気づいていないのはぐらいだ。
 気の毒なのはどっちだろうと考えながら、佐伯は形のいい唇を開く。

「俺もするとは思わないよ。物の例えだ。それより、貸りたい物があるんだ」

 友人のクラスに来たのは話をする為ではない。貸り物があるからだった。
 テニス部のメンバーを当たってみたのだが、持っていなかったり、すでに貸していると言われてしまった。
 それでのクラスに貸りに来たのだ。彼女が持っていれば、の話だが。

「佐伯が忘れ物?珍しいわね」

 瞳を瞠るに佐伯は苦笑した。 
 俺が忘れ物をするのはそんなに驚かれるようなコトなんだな、と胸中で呟いて。

「英和辞典を貸して欲しいんだ。持ってる?」

「あるわよ。ちょっと待ってて」

 は立ち上がり、教室の後方へ向かった。そこにはロッカーがある。
 『』とプレートが貼ってあるロッカーの扉を開けて、中から英和辞書を取り出した。
 教科書は宿題や予習するものは持って帰るようにしているが、その他の教科書や辞書はロッカーに入れているのだ。
 机の中に入れておいたり、袋に入れて机の横にかけて置くと掃除の時に落とされることがあるので。

「はい、辞書。使い終わったらロッカーに入れておいて。今日はちょっと急ぐから」

 佐伯の手に紺色の表紙の英和辞書を渡す。
 使い込まれたそれを受け取って、佐伯は首を傾げた。

「今日も、の間違いじゃないか?」

「気づいてたの?」

「どうしてかまではわからないけどね」

 いつも廊下を走らない彼女が走っていたらすぐにわかる。
 それには階の角クラスで、下駄箱のある昇降口に行ったり、移動教室の際は佐伯のクラスの前を通らないと階段へ出られない。
 今月に入ってから何度か見かけていて、昨日の放課後にも目撃していた。

「理由を聞いたら驚くと思うわ。でも、今はまだ言えないの」

「不二にも言っていないから、だろ?」

「よくわかったわね」

「君の性格を考えればわかるよ。 辞書、ありがとう。じゃあな」

 教室を出て行く佐伯の後姿を見送って、はイスに座って編み物を再開した。
 疲れてしまって家では進められないので、学校の休み時間を利用しているのだ。
 誰かのために編むというのは二度目だが、だからといって編むペースが変わる訳ではない。
 まして、マフラーよりセーターの方が時間がかかる。
 一針一針に気持ちを込めて、そして確実に編んでいく。
 バレンタインの時のように嬉しそうに笑ってくれる彼を思い浮かべながら。





 2月28日の朝早く、は家を出た。
 今年は29日がないので3月1日にお祝いをしたかったのだが、明日は卒業式がある。
 そのため、彼の誕生日は今日お祝いすることになった。
 青学は私立で卒業式は六角高校より数日遅い。
 今年だけ2日に卒業式にしてくれたらよかったのに、と心の内で呟く。

 待ち合わせの駅で電車を降りて、は案内板で場所を確認し、ホームの階段を上がって南口へ向かった。
 この駅を指定したのは不二で、はホームにさえ降りたことがなかった。
 いつもは二人の家の中間にある駅で待ち合わせをするので。
 
(あ、不二くん)

 改札をくぐる順番を待ちながら改札口周辺へ目を向けると、不二の姿が見えた。
 が見つけるより早く彼女に気づいていた不二は瞳を細めて微笑みかける。
 改札を出たは嬉しそうに微笑みながら、不二の所へ真っ直ぐに向かった。

「おはよう、

 不二がにっこりと笑う。
 久しぶりに見た彼の笑顔にドキドキする。熱くなる頬を自覚しつつ、それを止められない。

「・・・おはよう、不二くん」

「フフッ、緊張してるの?」

「だって久しぶりだから・・・」

 不二は愉しそうにクスクス笑って、の右手を取って手を繋ぐ。
 
「確かにね。でも、4月になったら毎日逢えるから緊張しないね」

 そういう問題ではないような気がする。
 このドキドキはきっと毎日逢えるようになっても変わらないだろう。
 不二と一緒にいる限り、ずっと。

「・・・不二くんが好きだから無理だと思う」

 とても小さな声だったが、それはしっかり不二の耳に届いていた。
 不二は色素の薄い瞳を僅かに瞠ったあと、嬉しそうに細めた。
 付き合い始めてもうすぐ一年目になるけれど、と逢う度に彼女の新しい一面が見られることに喜びを隠せない。
 きっと自分以外の人が知らないだろうと思うと口元が緩んでしまいそうだ。

 駅から少し歩いたところに紅茶の美味しい店がある。
 不二はを連れてそこへ向かった。

「わあ、素敵ー」

 店の前で嬉しそうに笑うに不二は小さくクスッと笑った。
 予想通りの反応だ。
 以前、姉の由美子に付き合って入ったことがあり、外観も内装もが好きそうだ、と思った。だから彼女を連れて訪れたのだった。
 彼女と過ごすのなら、彼女が好みそうな場所で、と。


 温かなミルクティーを飲んで、は顔を綻ばせた。

「すごく美味しい。こんな美味しいミルクティー飲んだの初めて」

「クスッ。よっぽど気に入ったみたいだね」

 席に案内される間も、飲み物をオーダーしたあとも、は店内をきょろきょろ見ていた。
 壁に掛けられたいくつかの絵画。窓際に飾られた花々。窓が大きく光がよく入る室内。そしてアンティーク家具のテーブルとイス。
 まるで外国の田舎にあるカフェのようで、の心は弾んでいた。

「ええ、また来たいわ」

「フフ…いつでも付き合うよ。毎日逢えるようになるしね」

 その言葉には、あっと声を上げた。

「どうかした?」

「う、ん・・・」

 歯切れの悪いに不二は首を傾けた。
 いつもハキハキしている彼女にしては珍しい。
 目は宙を泳いでいて、どう言おうか迷っているような感じだ。

「実はね・・・来週から一人暮らしすることにしたの」

「えっ?」

 は驚く不二から僅かに視線を逸らして話を続けた。

「叔父さんの家からだと青学は遠いし、それに家を出たら不二くんともう少し一緒にいられるかな、なんて」

「一人暮らしするコトをの御両親は知ってるの?」

「うん。仕送りはいままで通りしかしないけど、それでお前が平気ならいいってお父さんが」

 それを聞いて不二はため息をついた。
 なぜの父親は反対してくれなかったのだろう。
 そう考えて、不二は否定した。例え彼女の父親がダメだと言っても、おそらくは実行するだろう。
 それを読んでいるから仕送りを増やさないと言ったのだ。それがイヤなら親戚の家にお世話になれ、という意味を込めて。

「・・・不二くんも反対?」
 
 黙りこんでしまった不二に、は不安そうに声をかけた。
 三年になってから考えていたことで、そのために今までの仕送りを少しづつ貯金しているし、推薦合格が決まってからバイトもしている。
 それに今まで通りの額だが仕送りをしてくれる。
 けれど不二の様子を見て、決めてしまう前に一言相談すればよかったと今更ながら後悔した。

「どちらかと言えば、ね。君が心配だから」

「そう…よね…。一人で決めてしまってごめんなさい。でも、学生向けらしいから、大丈夫だと思うの」

「・・・それなら少しは安心かな。それに、が僕ともう少し一緒にいたいって思ってくれて嬉しいから、はっきり反対とも言えないよ」

 苦笑まじりに言うと、は顔に安堵の色を浮かべた。

「ただし無理はダメだよ。夜遅くなるようなバイトもね」

「約束するわ。ありがとう、不二くん」

 よかった、と微笑むに、不二は適わないな、と顔に書いて微笑んだ。
 今日まで秘密にしていたコトを彼に話して賛成をしてもらえて安心したは、傍らに置いた紙袋に手を伸ばした。
 白い紙袋の中から水色の包装紙に包まれたものを取り出す。

「不二くん、お誕生日おめでとう」

「ありがとう、

「これ、プレゼントなんだけど…」

 そう言って、白い両手で持った包みを不二に差し出す。
 不二は嬉しそうに笑って、それを受け取った。

「ありがとう。嬉しいよ。 開けてみていいかな?」

「勿論。…気に入ってくれるといいんだけど」

「君がくれるものならどんなものでも嬉しいよ」

 長い指が銀色のリボンを解き、包装紙を丁寧に開いていく。
 それをはドキドキしながら見つめていた。

「・・・暖かそうなセーターだね。これもの手編み?」

「うん。マフラー喜んでくれたから、と思ってセーターにしてみたの
 ベージュにしたかったんだけど、マフラーがベージュだったから違う色にしたの。
 不二くん何色でも似合いそうだけど、青系の色が一番似合いそうだから」

 青学テニス部のジャージとユニフォームが青いのでそのイメージが強いのかもしれないけれど。
 不二はどんな色を身に着けても似合うとは思っている。

「フフッ、ありがとう。すごく嬉しいよ。大事に着るね」

「不二くんが喜んでくれて私も嬉しい」

 頑張ってよかった、と胸の中で呟くを不二はじっと見つめて。

。君からもうひとつプレゼントが欲しいんだ」

「え?」

 意味がわからず、は首を傾けた。

「僕のコト名前で呼ぶのも、プレゼントにしてくれない?」

「・・・・・・周助くん?」

 今まで彼を名前で呼んだことがないので一瞬ためらったが、思い切って口にした。
 改まって名前で呼んで欲しいと言われると、なんだか恥ずかしい。

「ダメ。やり直し。ちゃんと僕の目を見て、疑問系じゃなく呼んで」

「・・・し・・・周助くん」

 見つめられるのは初めてじゃないのに、キスをする時以上に恥ずかしい。
 の白い頬が赤く染まっていくのを見て、不二はクスッと笑った。

「もっと呼んで欲しいな」

 頬杖をついて意地悪く言う不二に、は無理だというように首を横に振る。
 けれど、それで諦める不二ではない。

さんって呼んで欲しいの?」

「ど、どうしてそうなるの?」

「君に名前で呼んで欲しいから。
 一年近く待ってたんだよ?それなのに君はいつまでたっても『不二くん』としか呼んでくれないし。
 これくらいのイジワルは許されると思うけど?」

 微笑みを崩さずに言う不二に、は白旗を揚げた。
 今までどおり彼を苗字で呼ぶ限り、彼も自分を苗字でしか呼ばないに違いない。
 それに、彼に名前で呼ばれるのが嬉しいように、彼も名前で呼ばれると嬉しいのではないか、と思う。
 彼を名前で呼んだ時、恥ずかしさもあったけれど、それ以上に嬉しい気持ちがあったから。

「・・・周助くん、好きよ」

 それでも少し悔しいから、名前を呼んで告白してみた。
 彼の驚いた顔が見られるかもしれないと思って。
 けれど、の思惑は見事に破れた。

「僕はを愛してるよ」

 不二は極上の微笑みを浮かべて、の耳元で甘く囁いた。




END


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