陽が落ちる時間が早くなってきた、9月中頃。
 道端の草むらから虫の哭き声が聴こえ始め、秋だと感じるようになってきていた。

 机に向かって原稿を見直していた は、腕と肩を解すように、ぐんと伸びをした。
 ついで、首を軽く回すとコキコキと音がした。

「はぁ、ようやく終わった。あとはコピーして配ればOKね」

 喜々として原稿をまとめて、 は机の上にある携帯へ手を伸ばした。
 台本の最終チェックが終わったことを に伝えるために。




Cultural Festival




 開演時間が近付くにつれ、講堂に大勢の人が集まってきていた。
 今日は学園祭で、構内はどこも生徒や父兄、他校生で賑わっているが、ここの比ではない。
 これから講堂で行われるのは、演劇部による『至宝の宝石』。
 青学の演劇部は都内の大会で賞をとっていることも多く、注目度が高い。
 更に今日は演劇部員だけでなく、スペシャルゲストを呼んでいることもあって、尚のこと人入りが多い。
 ちなみに、そのゲストとは有名人や著名人ではない。

「うっわ!人がいっぱいじゃん」

 舞台の袖からこっそりと講堂を見て声をあげると、頭に軽い衝撃があった。
 叩かれた所に手を置いて振り返ると、演劇部部長の が仁王立ちしていた。

「菊丸君、静かにしてよ。 が集中できないでしょ」

 辺りに響かないよう菊丸に近付いて、 は注意を促した。
 眉間に皺を寄せ、口元に人差し指を当て静かにしろと合図する。

「あ、ごめん」

 ほんの僅かな距離の所で、 が椅子に座り瞳を閉じている。
 彼女は瞳を閉じて、役作りに集中しているのだ。
 学園祭だからと言っても、演劇を愛している彼女はいつも全力で劇に臨んでいる。
 それを は知っているから菊丸を止めた。

 意識を集中させている の傍らには、不二が静かに立っている。
 二人からは近寄りがたいオーラがでていて、周囲に近付いている人影はない。
 近寄りがたいと言っても押すようなそれでなく、甘くふわりとした心地よさそうなオーラだ。
 二人だけの世界を作っている中に入るのは、できるなら遠慮したい。
 『お姫様を守る王子様みたい』と表現したのは、演劇部一年の女生徒だった。
 金の細工がついた服にネイビーのマントを纏い、白い羽根がついた帽子を被っている不二は王子様役。
 胸元や袖口、裾に細かいレースをあしらった淡いパールピンクのドレスを身に纏っている はお姫様役。
 幸せそうな恋人たちの図。その表現が適しているなあ、と菊丸は一人で納得する。




 ビーッという低いブザー音が講堂に響く。
 
 一一一まもなく開演いたします。席に座っていない方は席へついてください。

 開演を知らせる放送が流れ、ざわめいていた講堂が徐々に静かになっていく。
 講堂が静けさに包まれると照明が一斉に消え、周囲は暗闇に包まれた。

 そして、舞台の幕が開けた一一一。





「我が娘はどこにいるのだ?」

 王が脇に仕える従者へ声をかけると、従者は恭しく頭を垂れた。

「その…大変申し上げにくいのですが‥‥」

「よい。申してみよ」

 言葉尻を濁す従者に許可を出し、王は続きを促した。

「はい。姫様はパーティーに出る気はないとお部屋にこもっておられます」

 王は眉間に皺を刻んで、玉座から立ち上がった。
 そして険を露にして命令をくだす。

「そなた、姫を連れて参れ。今日は姫のために開いたパーティーなのだぞ。
 主役がいなくては話にならん!」

 今宵のパーティーは、この国の姫が17歳になったのを祝う為に開かれた。
 だが、それは建て前で、実際は姫の結婚相手を決めるためのパーティーであった。
 亡き王妃に似た姫は、たいそう美しく器量よしで優しい姫、と近隣諸国に評判が広がっている。
 后は姫が小さい頃に亡くなった。ゆえに王の子は姫一人だけで、世継ぎの君がいない。
 そのため姫と結婚すれば、王位継承権がない第二王子、第三王子でも王になることができる。従って、姫と婚姻を結びたいと思っている国は多い。
 だが、知力と武力に秀でた王は国の未来を思い、この国を治めていくのにふざわしい人物を選ぶためにパーティーを開いたのだった。

「我が王。姫様をお連れいたしました」

 先程、姫を連れてくるように命じられた従者が広間に戻り、王に頭を下げた。

「御苦労。すまぬがそなたは下がっていてくれ」

「はっ」

 再び頭を下げると、従者は王の声の届かぬ位置へ移動していった。

「姫よ。今宵はそなたの為に開いたパーティーなのだぞ。
 主役であるそなたが不在では、おいでいただいた方々に申し訳が立たぬではないか」

「お父様、わたくしは出席するとお返事した覚えはございません」

 可愛い顔をしてきっぱりと言い切る所は妻にそっくりだと、王は溜息を零した。
 忘れ形見とはよく言ったものだな、と呟いて。
 王は娘に視線を注いで告げた。

「よいか、フローラ。
 今宵はそなたの結婚相手を決めるためのパーティーだというのは判っておろう。
 今日おいでいただいた方々は皆、この国を治めていくによいと判断した方々だ。
 失礼のないようにお相手をしなさい」

「いやです。わたくしには心に決めた方がいらっしゃいます。
 その方以外の方と結婚なんて絶対にしませんわ」

 まっすぐな視線で射ぬいてくる姫に気押されながら、王が言葉を紡ぐ。

「ジャン=ジャック殿のことか?」

 この国から見て北西にある、セイガク王国と呼ばれる国の第一王子の名だ。
 過去に幾度か謁見に訪れたことがあり、王も顔見知りの人物だった。
 優し気な風貌に穏やかな物腰。柔らかな声は優しく、人を和ませる雰囲気の青年。
 そして、知力は勿論のこと武力にも秀でており、近隣の国々に広く名が知れている。
 確か、彼は20歳。姫と歳も近く、似合いの相手だ。
 二人が王宮の庭で仲睦まじく寄り添っているのを、何度も見かけている。
 互いに想い合っているというのは、見ていてすぐにわかった。

「あの青年ならば結婚相手に申し分ない。だが、ジャン=ジャック殿は第一王子だ。
 王位継承が決まっておる相手との結婚は許さん。
 私の子はそなただけ。そなたが国を出ていっては王位が続かないのだぞ?」

「アンリ様がいらっしゃるではないですか」

 王弟の息子の名がアンリという。フローラより一つ上で、彼女の従兄弟にあたる。
 冷静沈着で大局を冷静に見極めることのできる彼ならば、王として相応しい。
 武力に秀でてはいないが、指揮能力は十分にある。今は平穏な時世だが、もし戦が起こったとしても、国を守っていくだけの力を備えているだろう。

「私はそなたに王位を継いでもらいたいのだ」

「お父様‥‥。お気持ちはよくわかりましたわ。
 けれど、わたくしはジャン=ジャック様の元へ嫁ぎたいのです。
 先月、ジャン=ジャック様が父王様の遣いで王宮にいらしたでしょう?
 その時に求婚されました。わたくしはそれを受けようと思いますの」

「なに?それはまことか!」

「ええ、本当ですわ」

 幸せそうに黒い瞳を細めて微笑む に、会場から溜息が溢れた。
 気品溢れた微笑みが自分に向けられたものでなくとも、幸せな気持ちになっていく。
 この時ばかりは に不二という恋人がいることを知っている男子生徒も、それを忘れて彼女の微笑みに魅入った。ちなみに、普段そんなことをしたら、不二の鋭い眼光に間違いなく射ぬかれる。
 舞台に魅入っている観客の耳に、ガシャーーンというガラスの割れるような音が響き、それと同時に舞台の照明が全て落ちた。

「あなたがフローラ姫ですね?」

「誰っ? は、離してっ!」

 スポットライトの当たった先に、姫を拘束した黒い衣装を纏った男達がいた。
 腕を捕まれた姫が逃れようともがく。だが、か弱い女の力で振払うことはできない。

「少しおとなしくしていただきましょうか」

 低めの声が聴こえ、闇に銀色の輝きが浮かぶ。
 鋭い剣が王の喉元につきつけられているのを見て、姫は固唾を飲んだ。

「お父様に何をするの!」

「姫がおとなしくしてくれれば傷つけないよん」

 緊迫した展開を見守っていた観客の間から、小さく笑い声が聞こえる。
 この場にそぐわない菊丸の声に、客席に一瞬の和みが広がった。

「本当に?」

 震えた声で言うと、王に剣を向けている長身の男が頷いた。

「俺たちの狙いは王じゃないからね」

「そうそう。オオトリのいう通りだから、安心していいよ」

「それって‥‥」

 姫が疑問を口にしようとすると、ぐわっ、とか、うぐっ、という呻き声が届いた。
 それに事態を察した姫を拘束している男が舌打ちをした。

「フローラ姫ッ!」

 その声がしたと同時に、舞台に一斉に明りがついた。
 姫の回りを囲う得体の知れない男のうちの一人が、表れた男に切りかかかる。
 振り降ろされる剣を青年が弾いた。キィンと高い音がして、切りかかった男の手にあった剣が床へ落ちた。
 すると、客席から甲高い黄色い悲鳴が上がった。それは女性の口からで、男性からは諦めたような溜息が零れた。
 剣を手にしマントを翻して戦う不二は、女性でなくともカッコイイと思える。
 絵に描いたように王子役がハマる不二は、まさに王子様と言えた。

「君たちの顔、どこかで見たな。 ヒョウテイ国の王子の側近だね」

 周囲に注意を向けながら、威圧するように王子が男たちを睨む。
 穏やかな姿の不二しか知らない氷帝の鳳と日吉は、本気で固唾を飲んだ。
 特に、 を拘束しているヒョウテイ国の側近役である日吉は、どことなく顔が青白い。

「ヒョウテイ国に不穏な動きがあったから、姫が心配でやってきたら案の定とは…ね。
 僕の大事な姫を人質にとって、セイガク国の領地を手に入れるつもりかい?」

「ジャン=ジャック様っ!」

 可憐な唇から悲鳴が上がり、王子の背後に鋭い剣がせまった。
 それに気付いていた王子は振り向きざま、男の肩を斬り付けた。

「悪いけど、手加減しないよ。僕のフローラを人質にしたんだ。
 その覚悟はできているんだろ?」

 じり、と王子がヒヨシとの距離をつめた。
 不二の色素の薄い瞳に赤い炎が宿っているように見えるのは、目の錯角じゃないと日吉は心の中でごちた。
 劇をしている最中だということを忘れてしまいそうなほど、不二に呑まれてゆく。

「フローラから手を放せ」

 押さえた声は怒鳴り声よりも威力が大きい。
 冷静に言葉を紡ぐのは感情を押さえているからだろう。

「ヒヨシさん、逃げましょう!」

 王子が纏う雰囲気に気押されたオオトリが剣を鞘に収め、声を上げた。
 ヒヨシはその声に答えなかったが、捕らえていた姫を放し、仲間と一緒に広間から逃走していった。


「姫、お怪我はありませんか?」

 白い頬にしなやかな長い指で触れながら、優しく訊く。
 姫は緩く頭を振って。

「ありませんわ。ジャン=ジャック様が助けてくださいましたから。
 お助けいただいてありがとうございます」

 ふわっと可愛らしく微笑んで、感謝の言葉を口にした。
 王子はそれに優しい微笑みを返して、姫の華奢な身体を抱き寄せた。

「君に怪我がなくてよかった」

 月の光を織り込んだような金色の長い髪を指先で弄ぶ王子に、会場からほぉと溜息が零れる。
 とても優しく見つめてくる恋人に、 はドキドキが止まらなくなった。
 王子と恋人という設定の舞台で、本当の恋人である彼に惚れ直すなんて思いもしなかった。

「ジャン=ジャック殿。フローラを助けてくださったこと感謝する。
 そなたに何か礼をしたいと思うのだが、受け取ってくれまいか?」

 抱き合う二人にコホンとせき払いをして意識を自分に引きつけ、王が言った。
 
「ドニス王。なんでもよろしいのですか?」

「ああ、二言はない。そなたの望むものを与えよう」

「では、王が大事になさっている至宝の宝石を」

「私が大事にしている至宝の宝石とな?」

 深紅の薔薇を閉じ込めたような色のルビーも、海の蒼を模したサファイヤも、至宝の宝石と呼べるほどの価値はない。それに、セイガク国はこの国より鉱山が多く、珍しい宝石が多く採れると聞く。
 不思議そうに首を傾げる王に、王子はクスっと微笑んで。

「ええ。黒曜石の瞳と月光の髪を持つ、可愛い姫をいただきたく思います」

「そなた、本気で申しておるのか?フローラは私の跡継ぎだぞ」

「お父様、わたくしは継ぎませんわ」

「フローラは黙っていなさい。私はジャン=ジャック殿と話しているのだ」

「王はなんでもくださるとおっしゃいました。それは偽りでございますか?」

「偽りではない。だが、フローラは駄目だ」

「どうしても、ですか?」

 色素の薄い瞳に氷刃に似た光が宿る。
 王は愛娘へ瞳を向けた。姫は細い手で王子にしっかりつかまっていて、離れようとしない。
 王子もまた愛しい姫を離す気配はなく、しっかり腕で抱き寄せている。
 肩を落として、王は溜息を吐いた。

「本気なのだな。仕方がない。二人の結婚を認めよう」

「感謝いたします、ドニス王」

「許可しなければ、そなたはフローラを攫っていくつもりなのだろう?
 ならば許すほかない」

「お父様‥‥ありがとうございます」

「幸せになりなさい」

「はい」

 娘の肩をポンと叩いて、王は王子へ視線を向けた。

「ジャン=ジャック殿、気の強い姫だが私の大事な娘だ」

「フローラは僕のかけがえのない人です。誰よりも愛しています。
 この誓いに偽りはありません」

「ジャン=ジャック様‥‥」

 幸せそうに微笑んで、姫は甘えるように王子に身体を預けた。

「愛してるよ。僕のフローラ」

 白い頬に手をそえると、姫の瞳がゆっくり閉じられて。
 王子が赤く色付く唇に触れようとした瞬間、スルスルと幕が降りて。
 劇は終わりを告げた。


 鳴り止まない拍手が聞こえる中で、不二は の唇にキスを落として微笑んだ。

、すごく可愛かったよ」

「もっ、もう」

 賛辞の言葉より、またしても人前でキスされたのが恥ずかしくて、 は不二の胸に顔を埋めた。



 間近でそれを目撃した王様役の手塚が嘆息したり、鳳と日吉が赤面したり。
 幕が降りていた一瞬の間に何があったのか、カーテンコールでキャスト紹介を見た観客が不思議に思っていたのは、また別の話。
 






END


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